[#atarimaeni CUP決勝]法政大0-1東海大/1月23日(土)/味の素フィールド西が丘

「奪還」をスローガンに2年ぶりの全国制覇を目指した法政大の夢は、明治大や順天堂大らを倒す快進撃を続けてきた東海大によって打ち砕かれた。

 90分を要約すれば“攻める法政と守る東海の対峙”というところだろう。法政優位に見られたが、気迫の守備でゼロに抑え続けた東海大がセットプレーから一発を沈め、これが決勝点となった。

 法政の守護神・中野小次郎は「サッカーの神様は残酷」と口にしたが、まさにその言葉通りの試合だった。

 しかし、敗者となった法政の長山一也監督は胸を張る。

「相手を見て相手を外してゴール前に運んでいくサッカーができた。結果が出なかったけど法政のサッカーは見せられたと思います」

 指揮官が言う通り、法政は前半からボールを握って相手守備陣を細かなパスワークや個のドリブルを交えて外しながら主導権を握っていた。

 それはこの試合に限ったことではない。特にリーグの後半戦はどのチームを相手にしてもボールを保持して攻撃する時間を長く作り、敵を圧倒するサッカーで魅了していた。

 その中で後列の左サイドから攻撃を作り、良質なクロスを配球した横浜FC内定・高木友也のパフォーマンスは、今大会を通じて目を見張るものがあった。数字に直結せずとも、その攻撃力は90分を通じて落ちることなく、じわじわと相手にダメージを与え続ける。右の関口正大とともに、今シーズンの法政大を象徴する存在だったと言えよう。有終の美を飾ることはできなかったが、その存在の大きさを最後の大会で示せたことは間違いない。

 高木は高校進学にあたりJクラブのセレクションには全て落選し、法政二高へ進んだ。そこでは中心選手として活躍するも、大学に入ってからは苦労する日々を送ることになる。1年生から長山監督の評価を受け試合で起用されるも「入学当初は誰よりも下手でキツかった」(高木)と振り返る。

 しかし、勤勉な姿勢が実を結んだ。

「あきらめずにサッカーノートを書いて、自分に足りないものも含めて自己分析をしてきた。高校時代も人一倍勉強してきたので。自分の持っているものをどう活かせるか、足りないものとかをノートに書いて、それがプレーに繋がっていった」

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 2年の頭から3年にかけて法政の左SBとして確固たる地位を築いたが、その過程で高木が示したのは、前述した攻撃力だ。自陣で相手のプレスを剥がして前進し、そこから味方を使ってさらに敵陣へ入り込む高木のプレーは、法政の攻撃の大きなスイッチとなった。ボールを失えば大ピンチに陥る場面でも、冷静さを失わずにボールを運んでいく。そういう面も含めて、驚異的な存在だった。

「(4年間で)突破力が成長した。ピンチの状況でも自分が切り開いて自分たちの時間へ戻せるように流れを変える力がついたな、と」

 終わった大学4年間を振り返り、自身の成長について高木はこう口にする。

 結果、プロ入りを果たしたわけだが、後押しとなった“同僚”についての言及も非常に印象的だ。
「常に上田綺世という自分たちの世代のトップがいて、できるだけ近づけるように取り組んできた。チームから8人(上田を含む)がプロになれたのも、それがあったから」

 3年生の途中でサッカー部を退部し、鹿島アントラーズ入りを果した上田綺世と今の4年生は同級生である。

 高木が言うように、最終的に8人ものJリーガーを送り出したこの組織において、先陣を切った上田がいなければこの成果は生まれなかったかもしれない。

 この悔しさを噛みしめる暇もなく、高木は進路先の横浜FCへと合流し新たなサッカー人生の一歩を踏み出す。

 昨年までヘッドコーチを務めた増田功作氏(2020年いっぱいでチームを退団)がスカウトを務めていた際、熱烈にアプローチしていたのが高木だ。その増田氏から電話口で「若手を使ってJ1に上がったときに通用するクラブを作りたい」と伝えられたことが、彼の決意を強くさせた。

「横浜FCの中心となる、ゲームを作れる選手になりたい」

 高木は次なる目標に対して視線を定める。そう遠くない日に実現するであろう上田との対峙を楽しみに待ちながら。

取材・文●竹中玲央奈(フリーライター)

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