「28歳でブンデスリーガの監督に就任」というインパクトは、今思い返してみてもやはり強烈だ。

 ユリアン・ナーゲルスマンが、ホッフェンハイムで監督デビューをしたのが2016年。歴代最年少監督が、当時降格間違いなしと思われていたクラブで残留を果たしたかと思えば、翌シーズンはリーグ4位、17-18シーズンは3位と、ドイツトップレベルのチームへと変身させてしまった。

 19年にRBライプツィヒへ移籍した後も、そのキャリアは輝きを増した。チームのクオリティをさらに成長させ、昨シーズンはチャンピオンズ・リーグの準決勝まで導いた。この時点で、ドイツのみならず欧州中の注目を集める存在だったといえる。

 今シーズンは常に優勝争いに絡み続け、バイエルンとのトップゲームで勝利を収めさえすれば、最後まで可能性を残すことができるところまで王者を追い詰めた。残念ながら4月3日の直接対決を0-1で落とし、勝点が7ポイント差まで広がってしまったため、優勝の可能性はほぼ消滅してしまった。だが、それでもまだ歴史の浅いクラブでここまで食らいついたことは、健闘したといっていいだろう。
 
 そして先日、この青年監督が来シーズン、ハンジ・フリック監督の後を継いで、バイエルンを率いることが電撃発表された。このニュースは世界中を驚かせたが、選手時代を知る人はそう多くないのではないだろうか。

 バイエルン州の小さな村にあるFCイッシングというクラブで、ナーゲルスマンはサッカーを始めた。このクラブの体操部門でナーゲルスマンの母親が指導者をしており、家族にとってここはまさにホームクラブだった。

 幼いころからその才能を高く評価されていたナーゲルスマンは、U-12チームからFCアウグスブルクの育成チームへ移籍し、U-17からは1860ミュンヘンでプレー。その後、2007年にはアウグスブルクのセカンドチームへ移籍したが、膝の負傷が問題で、08年に選手としての引退を決断した、とされる。

 しかし、実はそれ以降も全くプレーをしていないわけではなかった。今から約10年前の10-11シーズンのことだ。FCイッシングの会長ハンス=ペーター・ヴァーグナーが友人と一緒にクラブハウスで友達とコーヒーを飲みながら、グラウンドを眺めていた。

「1860ミュンヘンのユニフォームを着て友達と一緒にボールを蹴っている青年の姿を見た。あれは誰なんだい?ってたずねたら、ユリアン・ナーゲルスマンという名前だったんだ」
 ヴァーグナーは当時引っ越してきたばかりで日が浅く、ナーゲルスマンのことを知らなかった。以前からスポーツにかかわりを持っていた彼は、引越先でも「スポーツに何か関わりたいな」と思い、地元紙に広告を出した。するとFCイッシングからコンタクトがあり、その後はいろんな関わり合いを経て、会長をするようになったという。

 クラブのトップチームはアマチュアの下部リーグに所属している。他のドイツのアマチュアクラブと同じように、本職ではなく、趣味のような位置づけでやっている選手が多い。だが、それでもできることなら戦力補強をし、リーグで上位を狙いたい。ヴァーグナーはナーゲルスマンに選手として助けてくれないかとオファーを出してみたところ、答えは条件付きでオッケーだった。

「当時ユリアンは、ホッフェンハイムU-17の監督だったんだ。だから週内は向こう。ただ土曜日にホッフェンハイムU-17の試合があるときは、フリーとなる日曜日に戻ってきて、試合に出てくれる、ということで折り合いをつけることができた」
 
 ナーゲルスマンはゲームメーカーとして活躍し、FCイッシングは地域リーグで優勝を果たし、昇格を果たした。それはもう、地域総出のお祭り騒ぎだ。ドイツのグラスルーツでは伝統的にリーグ優勝を果たすと、みんなでトラクターの荷台に乗って、地元でパレードをするのだが、FCイッシングの面々、もちろんナーゲルスマンも一緒になって喜びあった。

「その日のうちにホッフェンハイムの戻らないといけなかったから、アルコールは口にしていなかったね。パレードが終わったらクラブハウスでシャワーを浴びて、車で戻っていったよ」(ヴァーグナー)

 ナーゲルスマンはその後もFCイッシングとのコンタクトをもっている。クラブ会員をホッフェンハイムの試合に招待したり、16年にはクラブ主催のサッカートーナメントに参加したりもした。ホッフェンハイム時代のインタビューでは「昔の仲間と喋ってゆっくりするチャンスがあるなら、それを大事にするよ」と語っていたこともある。

 ヴァーグナーは「今もそうだが、ユリアンは礼儀正しくて、インテリジェンスの高い青年だった。当時からプロ選手になることができなかったら、監督としてやっていきたいと話していたなぁ」と懐かしそうに振り返っていた。

 プロのサッカー指導者は常にメディアの好奇の視線に追いかけられ、モニターの向こうではいつでもプロフェッショナルな立ち振る舞いをしなければならない。

 厳しさの中で身を律し、時に残酷な決断をしなければならないこともある。プロのスポーツで生きるというのはそういうことでもあるのだろう。でもそれだけが彼らの姿ではないのだ。

 サッカーの美しさ、サッカーの楽しさ、サッカーが築き上げるつながりの大切さ、仲間とともにボールを追いかけてきる時間の素晴らしさ。

 彼らの心の中にいつもあって、彼らの思いを支え続けているのは、そんな自分が心から愛したサッカーへの郷愁なのかもしれない。
  筆者プロフィール/中野吉之伴(なかの きちのすけ)

ドイツサッカー協会公認A級ライセンスを保持する現役育成指導者。執筆では現場での経験を生かした論理的分析が得意で、特に育成・グラスルーツサッカーのスペシャリスト。著書に「サッカー年代別トレーニングの教科書」「ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする」。WEBマガジン「中野吉之伴 子どもと育つ」(https://www.targma.jp/kichi-maga/)を運営中