トップに行ける力は十分に持っていた。

 実際にトップ昇格の話はあった。だが、三笘薫は自分の意思でそれを断り、関東大学サッカーリーグの強豪である、名門・筑波大の門を叩いた。

「高3の夏にクラブの強化部の方との面談をしたときに、トップ昇格を頂いたのは本当に嬉しかったのですが、正直トップでやれる自信が決定的に足りなかった。だからこそ、将来を考えると筑波大に行った方が良いと思ったんです。A代表に入って、海外で活躍することはもちろん夢であり、自分の目標ですが、高卒からいきなりプロではなく、客観的に見て大学進学が得策だと思ったんです」

 大胆なプレーとは裏腹に自分を客観視し、現状を把握しながら着実に自分が成長できる道筋を見つけ出す慎重かつ冷静な目を持つ。筑波大在学中も常に自分の立ち位置、成長するべき道筋を見極めながら、思いを言語化していく彼が印象的だった。

 今から3年前の2018年5月のトゥーロン国際大会に出場するU-21日本代表に上田綺世とオビ・パウエルオビンナと共に大学3年生で選出されたとき、彼はこう口にしている。

「周りは僕のことを『大学生』と言いますが、戦いの舞台ではそんなの関係なくて、もう同じ目で見られないといけないと思っています。僕がちょっと活躍すると『大学生が凄い』という風に言われる。そう見られるのは仕方ないのですが、自分の中ではもう年齢的にも20歳を過ぎていますし、違和感をかなり覚えます。そういう色眼鏡で見られないようにもっと頑張らないといけないし、活躍することが普通にならないといけないと思っています。その気持ちを持って今ここでプレーしています」
 
 三笘にとって“代表”はサッカー選手として、高卒プロに進んだ選手たちと同等の立場で切磋琢磨できる大切な場所であるからこそ、『大学生』であることを強調されたくなかった。さらに彼は自身の決断からの道のりも、この代表活動に重ねている部分があった。

「僕が大学を選択した理由は、将来のことを考えてのことでもありますが、正直、『逃げた』部分もあります。でも、ここに来たことは間違いなかったし、自分で正当化しないといけないと思っているからこそ、東京五輪代表でプレーして結果を出すことがそれを証明するひとつであると思っています」

 この年、彼は早々に川崎フロンターレ加入内定を発表した。愛する場所への帰還をより成長し、重要な戦力として果たすべく、彼は教員免許も取得し、サッカーと勉強の両立をやり抜いて川崎のサックスブルーのユニフォームに再び袖を通した。

 ルーキーイヤーとなった昨年からこれまでの彼の躍動はもはや説明不要だ。あの4年間が間違いではなかった、いや大きな財産になったことを証明し続けている。

「僕もここまでどちらかというとサッカーだけやって来た人間なので、視野が狭かった。そこだけやっていても生きている世の中ではないので、他の世界も見てみたかった。実際に筑波大のサッカーの練習の質は高いし、勉強面でもよりサッカーを客観的に見ることができて、いろんな観点からの学びを得ました」

 人生に遠回りはない。それはまさに彼のサッカー人生が物語っている。そして東京五輪ではさらにそれをより強く証明する道が彼にははっきりと見えている。

取材・文●安藤隆人(サッカージャーナリスト)

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