今年で49歳を迎えたファビオ・パラティチは、最強ユベントスを作り上げた立役者のひとりで、選手の発掘・評価眼、移籍市場での交渉力を併せ持った、イタリアでも指折りのスポーツディレクターだ。

 元々は下部リーグ(主にセリエC)でDFとしてキャリアを過ごしたプレーヤーで、ピアチェンツァの育成部門ではフィリッポ・インザーギとともにプレーした。

 現役引退後の2004年、その選手評価眼をジュゼッペ・マロッタ(当時サンプドリア・ゼネラルディレクター/現インテル・スポーツ部門CEO)に見込まれて、サンプドリアでスカウトとしてキャリアをスタート。すぐにスカウティング責任者に昇格し、長年マロッタの片腕を務めてきたサルバトーレ・アズミーニSD(スポーツディレクター)の下で修行時代を過ごした。

 2010年、ユベントスに引き抜かれたマロッタと行動をともにしてSDに就任。ヴォルフスブルクからアンドレア・バルザーリをわずか200万ユーロで獲得(11年1月)、ミランとの競合を制してカルロス・テベスを獲得(13年夏)といった交渉力だけでなく、アルトゥーロ・ビダル、ポール・ポグバ、アルバロ・モラタ、パウロ・ディバラなど伸びしろを残した若手の選択眼でも評価を集めてきた。

 2018年夏にはマロッタの反対を受けながらもクリスチアーノ・ロナウド獲得をアンドレア・アニェッリ会長に進言し、獲得交渉を主導。マロッタがユベントスと袂を分かつ原因のひとつにもなった。
 このC・ロナウド獲得やレオナルド・ボヌッチの復帰など、周囲をあっと言わせる派手なディールを好む傾向が強く、また時間をかけた交渉よりも電光石火で話をまとめる短期戦を好むところもある。

 11年間を過ごしたユベントスを去ることになったのは、C・ロナウド獲得後の3シーズン、すなわちマロッタが去り強化の全権を手に入れて以降、二度の監督交代をはじめとする迷走の責任を問われたと見るのが最も妥当。とりわけ、パベル・ネドベド副会長とともにアニェッリ会長に半ば強引に迫って実現したマッシミリアーノ・アッレーグリ解任が決定的な契機になったことは、今夏にそのアッレーグリの復帰とともにユベントスを追われたという事実からも明らかだ。

 トッテナムのマネージングディレクターに内定してからの仕事ぶりは、良い意味でも悪い意味でもユベントス時代からの「一貫性」を感じさせる。新監督人事では、水面下でパオロ・フォンセカ(前ローマ)と交渉を進めながら税金の問題で白紙撤回を余儀なくされると、すぐにフィオレンティーナを離れたジェンナーロ・ガットゥーゾにアプローチし、一気に話しをまとめようとした振る舞いもそのひとつ。そこに戦術的な一貫性は欠けているが、ネームバリューや実績から白羽の矢を立てたのだった(トッテナムは新監督に結局、元ウォルバーハンプトンのヌーノ・エスピリト・サントを招聘)。

 ただし、イングランドではもう少し「ファンタジア」よりも「ビジョン」や「プロジェクト」を重視した強化へのアプローチが必要となるはず。その意味でパラティチを招聘したダニエル・レビー会長の決断には疑問が拭えない。パラティチはむしろレアル・マドリー向きだろう。

文●片野道郎

※『ワールドサッカーダイジェスト』2021年7月15日号より加筆・転載