ヤクルト、中日、日本ハム、阪神が近藤真一を指名

夏の甲子園で天理が初優勝した1986年。秋のドラフトの目玉は享栄高の左腕・近藤真一と亜細亜大の左腕・阿波野秀幸だった。

当時は指名が重複した場合は抽選、外れた場合はウェーバーというルール。近藤にはヤクルト、中日、日本ハム、阪神の4球団、阿波野には大洋、巨人、近鉄の3球団、日本生命の右腕・田島俊雄には南海と阪急の2球団が競合した。

1986年ドラフト1巡目指名選手の成績


外れ1位も含め、各球団1巡目指名選手のプロ入り後の成績を振り返る。

南海は2球団競合の田島俊雄、日本ハムは西崎幸広

ヤクルトは近藤を外し、近畿大の右腕・西岡剛を指名。関西学生リーグ通算17勝を挙げた長身右腕は、一軍で白星を挙げることができないまま、オリックスに移籍後の1994年にユニフォームを脱いだ。

南海は日本生命・田島俊雄を引き当てた。1年目に30試合に登板して3勝を挙げたが、以降は白星を挙げられずロッテ、日本ハムと所属を変え、台湾や米国でもプレーした。NPB通算30試合登板で3勝7敗だった。

享栄高の剛腕・近藤真一は地元・中日が引き当てた。1987年8月9日の巨人戦では、プロ初登板でノーヒットノーランという史上初の快挙で衝撃デビュー。しかし、ケガもあって通算12勝(17敗)どまりで1994年に引退した。

日本ハムは近藤を外して愛知工業大の右腕・西崎幸広を指名。1年目は新人王こそ近鉄・阿波野秀幸に譲ったものの15勝をマークし、2年目も15勝11敗で最多勝に輝いた。1991年まで5年連続2桁勝利を挙げるなど通算127勝102敗22セーブをマーク。西武移籍後の2001年に引退した。

大洋はデニー友利、阪神は猪俣隆

大洋は阿波野を外して興南高の右腕・友利結を指名した。登録名を「デニー友利」に変更した1995年、プロ9年目にして初勝利を挙げると、西武、横浜、中日と移籍し、2007年に引退。通算18勝29敗30セーブ10ホールドだった。

ロッテは専修大の右腕・関清和を指名。近鉄が最終戦で優勝を逃した1988年の「10・19」では、第2試合の最後の投手として登板し、羽田耕一を打ち取った。1996年に引退するまで通算60試合登板で4勝7敗だった。

阪神は近藤を外して法政大の左腕・猪俣隆を指名。1993年に11勝を挙げるなど主に先発として活躍し、通算43勝63敗3セーブの成績を残した。中日移籍後の1997年に戦力外となり、引退後はアメリカで寿司職人になったことがテレビ番組等で紹介されている。

阪急は田島を外し、横芝敬愛高の左腕・高木晃次を指名した。ダイエー、ヤクルト、ロッテと渡り歩き、2009年に引退。通算357試合登板で29勝36敗3セーブ19ホールドの成績を残した。

巨人は木田優夫、西武は「隠し球」森山良二

巨人は阿波野を外し、日大明誠高の右腕・木田優夫を指名。1990年に12勝8敗7セーブをマークし、その後はオリックスやメジャー、ヤクルト、日本ハムを渡り歩いた。日米通算581試合登板で74勝83敗51セーブ54ホールドをマーク。現在は日本ハムの二軍総合コーチ兼投手コーチを務めている。

亜細亜大で東都通算32勝をマークしていた阿波野秀幸を引き当てたのは近鉄だった。1年目は15勝12敗で新人王に輝くと、2年目は14勝、3年目は19勝で最多勝のタイトルを獲得し、リーグ優勝に貢献した。巨人、横浜と移籍し、2000年に引退するまで通算75勝68敗5セーブの成績を残した。

広島は近藤を外して三菱重工神戸の左腕・栗田聡を指名。ケガのため一軍登板を果たせないまま、近鉄に移籍した1991年に戦力外となった。引退後は理学療法士として活躍している。

この年のドラフトで世間を驚かせたのが西武だった。「隠し球」のONOフーヅ・森山良二を単独指名。中央球界で無名の右腕は、2年目の1988年に10勝を挙げて新人王に輝いた。1995年に引退するまで通算14勝15敗。現在はソフトバンクの一軍投手コーチを務めている。

近藤のノーヒットノーランや阿波野と西崎の新人王争いなど、1年目から球界を沸かせた1986年組。2巡目以下では印旛高・土橋勝征がヤクルト2位、豊川高・内藤尚行がヤクルト3位、拓大紅陵高・飯田哲也がヤクルト4位、愛工大名電高・山崎武司が中日2位、三菱自動車水島・八木裕が阪神3位、鷹巣農林高・中嶋聡(現オリックス監督)が阪急3位、プリンスホテル・藤井康雄が阪急4位、鳥栖高・緒方孝市(前広島監督)が広島3位、熊本工高・緒方耕一が巨人6位で入団している。

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