ヤクルトと巨人が荒木指名、田中富生と野口裕美は3球団競合

夏の甲子園で「やまびこ打線」と呼ばれた強打の池田(徳島)が初優勝した1982年。秋のドラフトは「大ちゃんフィーバー」を巻き起こした早稲田実のエース・荒木大輔に注目が集まっていた。

当時は指名が重複した場合は抽選、外れたウェーバーというルール。ヤクルトと巨人の2球団が荒木を指名し、法政大の右腕・田中富生はロッテ、広島、日本ハムの3球団、立教大の左腕・野口裕美は阪急、中日、西武の3球団が競合した。

1982年ドラフト1巡目指名選手の成績


外れ1位も含め、各球団1巡目指名選手のプロ入り後の成績を振り返る。

南海は池田高のエース・畠山準、ロッテは石川賢

甲子園のアイドルだった荒木大輔を引き当てたのはヤクルトだった。1987年には10勝を挙げるなど活躍し、横浜に移籍した1996年に引退するまで通算39勝49敗2セーブの成績を残した。現在は日本ハムの一軍投手コーチを務めている。

南海は池田高の優勝投手・畠山準を指名した。投手として通算55試合登板で6勝18敗の成績を残したが、1988年に野手転向。チーム名がダイエーに変更されて2年経った1990年オフに大洋に移籍し、オールスターにも出場した。1999年オフに引退するまで862試合出場で483安打、57本塁打をマークした。

大洋は九州産業大・大畑徹を指名。福岡六大学リーグ通算50勝を挙げた左腕に期待は高かったが、1勝も挙げられないまま日本ハム移籍後の1987年にユニフォームを脱いだ。

ロッテは田中富生を外して日本大の右腕・石川賢を指名。1984年に15勝4敗の好成績で最高勝率に輝き、大洋、日本ハムと移籍して1993年に引退した。通算162試合登板で22勝25敗だった。

広島は西田真二、阪神は木戸克彦、近鉄は加藤哲郎

広島は田中富生を外して法政大・西田真二を指名。PL学園時代にエースとして夏の甲子園で優勝し、大学進学後に野手転向した西田は、1995年に引退するまで通算777試合に出場、402安打、44本塁打の成績を残した。

阪急は野口裕美を外し、センバツ優勝したPL学園高の右腕・榎田健一郎を指名。高卒1年目から3試合に登板したが、一軍では白星を挙げられないまま1986年に引退した。

阪神は法政大の捕手・木戸克彦を指名した。PL学園高時代に広島1位の西田とバッテリーを組んで夏の甲子園で優勝、大学時代は日本ハム1位の田中富生とバッテリーを組んで東京六大学リーグで3度優勝した実績の持ち主。阪神では正捕手として1985年の優勝に貢献するなど、1996年に引退するまで通算965試合出場で505安打、51本塁打の成績を残した。

近鉄は宮崎日大高の右腕・加藤哲郎を指名。7勝2敗1セーブで優勝に貢献した1989年の日本シリーズ第3戦で先発し、巨人打線を酷評するような発言をしたことで知られる。広島、ダイエーと移籍し、1995年に戦力外になるまで通算17勝12敗6セーブだった。

巨人は荒木の外れ1位で斎藤雅樹、中日は鹿島忠

巨人は荒木を外して市立川口高の右腕・斎藤雅樹を指名。プロ入り後にサイドスローに転向し、1989年、90年に2年連続20勝を挙げるなどエースとして活躍した。最多勝5度、最優秀防御率3度など数々のタイトルを獲得し、通算180勝96敗11セーブをマークしている。

3球団競合した法政大の右腕・田中富生を引き当てたのは日本ハムだった。中日移籍後の1993年にユニフォームを脱ぐまで通算28勝45敗1セーブの成績を残した。

中日は野口を外して鹿児島鉄道管理局の右腕・鹿島忠を指名。主に中継ぎとして活躍し、1996年に引退するまで通算405試合登板で36勝28敗14セーブだった。

立教大の左腕・野口裕美は西武が引き当てた。2年春のリーグ戦で東京六大学戦後最高のシーズン96奪三振をマークした左腕は大きな期待をかけられたが、ケガもあって一軍では未勝利のまま1988年に戦力外となった。

結果的には荒木の外れ1位だった斎藤雅樹がずば抜けた実績を残した1982年組。2巡目以下では上宮高・笘篠誠治が西武2位、岡山南高・川相昌弘が巨人4位、今治西高・藤本修二が南海5位、愛知高・彦野利勝が中日5位、太成高(現太成学院大高)・古久保健二が近鉄5位で入団している。

【関連記事】
・江川卓が阪神に1位指名された1978年ドラフトの答え合わせ、外れ1位の成績は?
・岡田彰布に6球団競合した1979年ドラフトの答え合わせ、外れ1位の成績は?
・原辰徳に4球団競合した1980年ドラフトの答え合わせ、外れ1位の成績は?