日本ハム監督候補に浮上

今季限りで退任する日本ハムの栗山英樹監督(60)の後任候補に球団OBの新庄剛志氏(49)が浮上していることが判明。球界に激震が走っている。

新庄氏は1990年に福岡・西日本短大付高からドラフト5位で阪神に入団。甘いルックスとともに強肩、強打の外野手として人気を博し、野村克也監督時代には投手にも挑戦した。2001年からは米大リーグのメッツ、ジャイアンツでプレー。日本ハムには本拠地が北海道に移転された04年に加入し、06年のリーグ制覇、日本一に貢献した。

型破りなファンサービスを連発し、惜しまれながら同年に現役引退したが、19年には突如、SNS上で「現役復帰」を宣言し、実際、昨年の12球団合同トライアウトに参加。再び注目を集めていた。

そんな新庄氏が日本ハムの監督候補に…。確かに唯一無二のスター性は魅力十分だ。今の窮屈な世の中を明るくしてくれるだろうが、元々、その奔放キャラは阪神時代から度を越していた。

今もなお記憶に残るのは何といっても1995年オフ、23歳で巻き起こした「引退騒動」。その“行状”には当時、筆者も相当振り回された。今回、ストーブの主役になった新庄氏を「記念」して一度おさらいしてみよう。

引退宣言を2日で撤回

チームがダメ虎から一転、V争いを演じた92年にブレークした新庄氏も95年はまさに最悪の1年だった。自己ワーストの87試合出場で打率2割2分5厘、7本塁打、37打点。中村勝広監督の休養を受け、シーズン後半から指揮を執った藤田平監督とそりが合わなかったことも不振の一因となった。

そうして迎えた問題の11月19日、新庄氏は球団との2回目の契約交渉後の記者会見で突然、「野球に対するセンスがないから辞めたい」と現役引退を宣言したのだ。予期せぬ事態に球団も仰天。当時の川島セ・リーグ会長からも「辞めてはいけない」と異例の撤回を求められたほど、その迷惑…いや衝撃度は大きかった。

ところが、2日後の21日に減俸で契約更改した後の会見で新庄氏は「ユニホーム姿を見せるのが親父への一番の薬。自分の人生どうこうじゃなく命には代えられないから」と今度は一転して現役続行を宣言し、事態はあっけなく収束するから訳が分からない。

故郷・福岡で今回の騒動を心配していた父親の病状まで持ち出すとはビックリだが、もっともすぐに父親が重病でも何でもないことはわかっている。

この人騒がせな「引退騒動」の原因は、「僕とは野球観が合わない」(新庄氏)と不信感を募らせていた藤田監督が恩師・柏原打撃コーチをクビにしたことが大きい。

同コーチは後の野村監督体制で復帰し99年6月12日、新庄氏が甲子園での巨人戦で敬遠球を打ってサヨナラ安打を決めた際の指南役だ。当時、そんな信頼する人物まで奪われた新庄氏の怒りは頂点に達し、引退宣言につながった。

大河内志保さんの住む横浜へ移籍志願

だが、この新庄氏、もう一つ球団に“無理難題”を要求していたことが後に判明している。引退宣言前の初回交渉で「僕をトレードに出してほしい。横浜(現DeNAベイスターズ)に行けないですか」と移籍志願し、当然ながら拒否されていたというのだ。

トレードがダメで次が引退宣言だったとはあきれてしまうが、なぜ、縁もゆかりもない「横浜」だったのか?オチはある。

新庄氏と親しいある球団関係者は「理由は単純。“彼女が横浜に住んでるから”。誰かはわかるでしょ?」と説明。当時の新庄氏の彼女といえば93年から交際がスタートし、00年オフに結婚したタレントの大河内志保さんだ。

2人は07年に協議離婚するが、当時の新庄氏にすれば大好きな彼女のそばで“再出発”したかったのだろう。それにしてもそんな理由で…。

若き時代の話といってしまえばそれまでだが、今思えば“宇宙人”とかの公的イメージはこの「引退騒動」が発起点だったと思う。日本ハム・新庄新監督誕生となるか。早く「いいね!」を押したい。

《ライタープロフィール》
岩崎正範(いわさき・まさのり)京都生まれ。1992年から2021年6月まで東京スポーツ新聞社に勤務。プロ野球の阪神タイガースを中心に読売ジャイアンツ、オリックスバファローズ、ニューヨークヤンキースなどを取材。現在はフリーライター。

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