マジック点灯当日に起きた大騒動

首位を独走するヤクルトが7月2日に2リーグ分立後では1965年の南海を上回る史上最速の優勝マジック「53」を点灯させた。

目下、破竹の14カード連続勝ち越しを決め球団記録を更新。「1強5弱。ペナントレースが面白くなくなった」と嘆くプロ野球ファンは多いが、特に阪神ファンは今回のヤクルトの“歴史的快進撃”を苦々しい思いで見ているに違いない。

今から19年前の2003年、悲願のリーグ優勝を達成した阪神は星野仙一監督のもと、セ・リーグでは史上最速となる7月8日に優勝マジック「49」を点灯させたが、この“自慢の記録”がついに破られてしまったからだ。

日本中が“星野フィーバー”に沸いた当時、セ・リーグ史上最速となった優勝マジック点灯の「激動の1日」を振り返る。

「これで優勝できんかったら日本にはおれん」

星野監督は男真っ盛りの56歳。しかし、チームの快進撃とは裏腹に重圧と持病の高血圧症で心身ともにボロボロだった。

過度の高揚から血圧は一気に250にも上昇し、体調不良に陥ることもしばしば…。そんな中、優勝マジックが点灯したのは7月8日、76試合目の一戦はくしくも星野監督の生まれ故郷、岡山・倉敷での広島戦だった。

試合は8対4の快勝劇。何といってもリーグ最速の点灯である。気の早い阪神ファンは「優勝やで!」と歓喜に酔いしれたが、チーム宿舎内では真逆の騒動が起きていた。

球場からチームバスで宿舎に入った星野監督は監督室に向かうエレベーターの中で昏倒…。意識がもうろうとし、言葉も発することができず、慌てた球団スタッフに抱きかかえられて監督室に入り、すぐさまチームドクターに連絡しアイシング、冷水シャワーなど緊急処置が施された。

原因はやはり心身高揚からくる高血圧症で、阪神としては18年ぶりの優勝マジック点灯の日に指揮官がぶっ倒れるという「非常事態」に陥ったのだ。

当日の夜は星野監督の同郷の親友で、後に「星野仙一記念館」(現在は閉館)の館長となる延原敏朗氏が最速マジック点灯の労をねぎらうため、監督室で待機していたのだが、まさかの出来事に仰天。

しばらく時間が経ち次第に体調が回復した星野監督は延原氏に「マジックは史上最速やで。すごいやろ」と得意げになる一方で「もし、これで優勝できんかったらもう日本にはおれんやろな。変装してどっかに逃げんとあかんな」とつぶやいたという。

そこで延原氏が「勝ち負けも大事だけど体調も整えてやらないと。一度しっかりと見てもらった方がいい」と促すと星野監督は「バカかあ!グランドで死ねたら本望じゃ!」と声を張り上げて反論したという。

まさに命を賭しての監督業。生え抜きでやってきた中日監督時代と違い、今回は外様で絶大な人気を誇る阪神の指揮官を任されたとあって、その心労度はハンパではなかった。

体調不良のため、その年限りで退任

開幕から振り返るとチームは4月26日に首位に浮上し、7月8日に優勝マジックが点灯。8月はいわゆる“死のロード”(もう死語ですが…)で4勝11敗と負け越したが、甲子園に戻って7連勝。9月は一進一退が続きながらも結局、首位から一度も陥落することはなく、15日の広島戦(甲子園)の勝利でマジック1とし、2時間後に対象チームのヤクルトが負け、18年ぶりの頂点に立った。

星野監督はV目前のナゴヤドーム(現バンテリン)での中日戦試合中に倒れるアクシデントに見舞われるなど、勝っても負けてもこの年の肉体は悲鳴を挙げ続けていった。晴れて優勝を果たし犯罪者のように変装して逃亡する必要はなくなったが、無念にも「体調不良」を理由にオフにはユニホームを脱ぐこととなる。監督としての在籍はたったの2年で終わった。

2年連続の優勝にまっしぐらのヤクルトの場合、53歳の高津監督の現在の心境はどうなってるのだろうか。優勝して当然となった今シーズン。星野監督と同じような重圧、体の心配事があるのだろうか。

どうせならもっと突き抜けて「阪神?そういえばそんな名前の球団あったな」というぐらいのバカ勝ちをしてもらいたい。阪神の未来のためにも…。

《ライタープロフィール》
岩崎正範(いわさき・まさのり)京都生まれ。1992年から2021年6月まで東京スポーツ新聞社に勤務。プロ野球の阪神タイガースを中心に読売ジャイアンツ、オリックスバファローズ、ニューヨークヤンキースなどを取材。現在はフリーライター。

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