この夏、松山バレエ団は、プリマバレリーナ森下洋子の舞踊歴70周年を記念した、新「白鳥の湖」をフェスティバルホールで上演する。

公演を前に開催された記者会見には、松山バレエ団総代表 清水哲太郎、団長・プリマバレリーナ 森下洋子が出席し、公演の概要などを説明した。

会見の中で、記者からため息が漏れた瞬間があった。それは、舞踊歴70周年を迎え、今もなお現役で全幕公演をプリマとして踊り続けている森下が、自分の事を「まだまだ未熟」と評した瞬間だった。

プリマバレリーナ 森下洋子     (C)H.isojima

プリマバレリーナ 森下洋子     (C)H.isojima

会見終了後、森下洋子、清水哲太郎に話を聞いた。

―― 先ほどの記者会見で一番驚いたのが、森下さんが「まだまだ未熟で…」と仰ったことです。

森下洋子:70年間、毎日踊っていますが、まだまだ未熟です。毎日踊っていると、新しい発見や、出来ない所もたくさん出て来ます。明日はこういうふうにやってみようと思っても、完璧に出来たことは一度もありません。技術的にも課題は多く、作品自体も奥深い。自分の体に染み込ませるには、もの凄い時間がかかりますし、染み込んだからと云って、ずっと出来るかというと、すぐに忘れてしまう。

私は子どもの頃から不器用で、人より遅れてやって来ました。やって行くと、遅れてはいるけれど、出来るようになる。そういう意味で、皆と同じようには進まないけれど、やれば出来るんだという事はわかりました。その事で悲しんだり悔んだりと云ったことはありません。何しろ、自分がやって行けば、いつか必ず出来る。ただ、時間はかかります。

「くるみ割り人形」クララを演じる森下洋子(2019.11 フェスティバルホール)   (C)テス大阪

「くるみ割り人形」クララを演じる森下洋子(2019.11 フェスティバルホール)  (C)テス大阪

―― そうは言われても、森下洋子さんと言えば、若くしてコンクールを受賞され、日本のバレエ界を牽引して来られたレジェンドです。

清水哲太郎:森下が追求しているのは、バレエ芸術、舞台芸術を、技術で見せるという在り方ではなく、全人間的に、どこまで出来るかを挑戦するという在り方だという事です。

―― 日本人もコンクールで優秀な成績を残す人達が増えました。皆さん高く飛べて、早く回れる。そういう華やかな所に観る者の視点が行きがちですが、松山バレエ団が目指されているのは、まったく違う所なのでしょうか。

清水:全然違いますね。バレエで何をやりたいのか。技術で人に驚いてもらいたいというなら、それは芸術ではありません。若人が肉体に任せて踊るというのは、我々もやって来ました。大切なのは、そういう技術を超えてなお、どこまでチャレンジしていけるのか。舞台芸術者として、人間として、どこまで深みに達せるか。そういう事へのチャレンジです。こういう事でなければ、アートという領域には到達出来ません。記録という事だけで止まってしまいます。

記者会見でバレエ芸術について語る、総代表 清水哲太郎  (C)H.isojima

記者会見でバレエ芸術について語る、総代表 清水哲太郎  (C)H.isojima

―― そういった事をバレエ団の皆さんと共有していく事って、大変だと思います。

森下:毎朝、朝礼から皆の呼吸を合わせて行きます。時には、プロダクションノートを皆で読み合わせをしたり、激論を闘わせることもあります。技術的な事だけではなく、全員でいろいろな事を共有していきます。そういうことをしているバレエ団は、世界にも無いと思います。

全員の呼吸を合わせていく事が大切です。     (C)H.isojima

全員の呼吸を合わせていく事が大切です。     (C)H.isojima

清水:色々な方向を向いていても、技術力で合わせればと言われるかもしれませんが、そんなことは我々のバレエ団ではやらないですね。我々のバレエは、目に見えない所にこだわっています。目に見えない所って、説明するのは難しいのですが、主役や、目立った動きをする人だけでなく、出演者の誰をとっても手を抜かずちゃんとやっている。全員で勝負すると言いますか。

森下:観た人が、また見たい。不思議と涙が出た。と言って下さる舞台に仕上げるのは、私達の責任です。

「また観たい」と言って下さるバレエをお見せするのが、我々の責任です。  (C)H.isojima

「また観たい」と言って下さるバレエをお見せするのが、我々の責任です。  (C)H.isojima

―― 松山バレエのコール・ド・バレエが揃っていると言われる所以は、そういう所なんでしょうね。

森下:そうだと思います。

定評のある松山バレエ団のコール・ド・バレエ  写真提供:松山バレエ団

定評のある松山バレエ団のコール・ド・バレエ  写真提供:松山バレエ団

―― 今回、2年ぶりとなるフェスティバルホールでの公演ですが、新「白鳥の湖」となっています。従来の「白鳥の湖」とはどこが違うのでしょうか。

清水:白鳥オデットと黒鳥オディールの関係ですね。オディールがオデットに惚れ切って尊敬している。こういう設定は、世界中どこにもありません。一般的には、オディールは魔王の手下で、悪の分身、悪役です。しかし松山バレエ団は違います。オデットに惚れ切ってしまったオディール、実は彼女も魔王ロットバルトに連れ去られてきた、元は高貴な娘なのです。

新「白鳥の湖」オディールを踊る森下洋子(21.7 オーチャードホール)  写真提供:松山バレエ団

新「白鳥の湖」オディールを踊る森下洋子(21.7 オーチャードホール)  写真提供:松山バレエ団

―― オディールがオデットの魅力にやられたという事でしょうが。

清水:オデットは皆のリーダー。心が強く慈愛に満ちて美しい。オディールもそこに触れたことでオデットの魅力にやられたのです。オデットは善の代表。悪の代表となる魔王ロットバルトとは、両極をなしています。これは、一人の人間の内にある、善と悪の部分を表しています。

森下:3幕ではオディールがオデットになり切って踊る場面があるのですが、オデットを踊れることが嬉しく喜びに満ち溢れていて、王子を誘惑するような妖艶な踊りではありません。その辺りも注目してご覧ください。オデットは、何が有っても前を向いて突き進んでいく強さと優しさ、明るさを持っている女性です。オデットとオディールの両方を躍らせて頂けることは本当に有難いことです。毎日感謝しながらリハーサルを続けています。

新「白鳥の湖」オデットを踊る森下洋子(21.7 オーチャードホール)  写真提供:松山バレエ団

新「白鳥の湖」オデットを踊る森下洋子(21.7 オーチャードホール)  写真提供:松山バレエ団

―― 関西のお客様の印象は如何ですか。2年前に新しくなったフェスティバルホールで公演を行われましたが、その感想もお聞かせください。

清水:関西のお客さんは、世界で一番熱いです。「お前ら、ようやった!」と、すべて態度で表してくださるから、踊っていて幸せです。松山バレエ団は、大阪に拠点を構えたい!本気でそんなことを言っているくらいです(笑)。フェスティバルホールは、旧ホールも素晴らしかったのですが、新しくなって客席がキュッとしまって、もの凄く踊りやすくなりました。そして、お客様は、いつも通り温かい。有難いことです。

フェスティバルホールで踊れることに感謝です。(2019.11 フェスティバルホール)   (C)テス大阪

フェスティバルホールで踊れることに感謝です。(2019.11 フェスティバルホール)  (C)テス大阪

―― 森下さん、最後にメッセージをお願いします。

森下:コロナで大変な状況ですが、お越し頂けますと大変有難いです。御来場いただいたお客様に喜んで頂けるよう、感謝の気持ちで躍らせて頂きます。

皆さまのご来場をお待ちしています!  (C)H.isojima

皆さまのご来場をお待ちしています!  (C)H.isojima

―― 森下洋子さん、清水哲太郎さん、ありがとうございます。更なるご活躍を祈っています。

2年ぶりとなる大阪公演は、コロナ感染予防対策の関係で、会場のフェスティバルホールの客席数が制限されているため、チケットは残り少ないという。

松山バレエ団は大阪公演の1カ月後、9月には滋賀県のびわ湖ホールで「ロミオとジュリエット」を行う。ペスト禍の中世ヨーロッパを舞台にした恋愛劇に、コロナ禍の現代を映し出した演出で、観るものを魅了するという。こちらは、チケット発売はこれからだ。ジュリエット役はもちろん森下洋子。

オデットにオディール、そしてジュリエットといった大役を、舞踊歴70年の森下が一人で踊り切る姿をしっかり目に焼き付けておきたい。あなたは歴史の目撃者だ。

取材・文=磯島浩彰