ミュージカル『ビリー ・エリオット〜リトル・ダンサー〜』(原題:Billy Elliot/脚本・歌詞:リー・ホール/演出:スティーヴン・ダルドリー/音楽:エルトン・ジョン)は、世界的にヒットした映画『リトル・ダンサー』(原題:Billy Elliot/2000年イギリス公開/監督:スティーヴン・ダルドリー/脚本:リー・ホール)をミュージカル化した、イギリス発の舞台作品である。オリジナル・プロダクションは、2005年にウエストエンドのヴィクトリア・パレス劇場で上演をスタートさせ、2016年までロングランを続けた。また、世界各地でも上演され、1000万人以上の観客を動員、英オリヴィエ賞や米トニー賞をはじめ世界の名だたる演劇賞を総なめにしてきた。その日本プロダクションが、今年(2024年)7月〜11月、東京・大阪で上演される。2017年初演、2020年再演に続く、再々演である。日本でも菊田一夫演劇賞(大賞)や読売演劇大賞(選考委員特別賞)など数々の栄誉に輝いてきた本作。この機会に改めて、全5回の連続シリーズにて作品の魅力を色々な角度から解き明かしていきたい。その第一回目は、『ビリー ・エリオット』の社会的背景を確認することから始める。

 

■ダラム州の炭鉱町イージントンで起ったこと

まずは改めて、『ビリー ・エリオット〜リトル・ダンサー〜』のストーリーを簡潔に紹介しよう。1984年、イギリス北東部ダラム州内の炭鉱町イージントンの炭鉱組合が、サッチャー政権による強硬な炭鉱合理化策に反対しストライキをして闘っている。そんな中、炭鉱夫ジャッキー・エリオットの次男坊ビリーが、ひょんなことからウィルキンソン先生の教える町の小さなバレエ教室に、親に内緒で通い始めることとなる。やがて才能を開花させたビリーは、プロのバレエ・ダンサーを目指してロンドンの名門バレエスクールの入学を志願するが、その道のりは必ずしも平坦なものではなかった……。

メインで描かれているのは、バレエ・ダンサーを目指す一人の少年ビリーを巡る人間ドラマである。この部分は実話ではない。しかしその背景には、1984年〜1985年にかけてイギリスで実際に起った有名な炭鉱争議の様子が垣間見える。つまり、フィクションの背景で、ノン・フィクションの史実が同時進行しているのだ。その背景のことをイギリスの大部分の観客は、自国の現代史として理解している。だからこそ舞台の面白さをトータルで堪能できる。一方、私たち日本人の多くは、そのことを詳しく知らない。だから舞台全体を充分に味わえずに損をしている、ともいえる。ならば、舞台鑑賞の手助けとして、その背景部分についての予備知識を前もって蓄えておくことも肝要かと思う。

舞台の冒頭、小さな男の子が舞台に上がると、「パテ・ニュース」というニュース映像が映し出される。そこで紹介されるのが、ダラム州の炭鉱夫たちが70年以上も続けてきた、ダラム炭鉱祭での行進だ。掲げられている旗にはダラム炭鉱労働組合(Durham Miners' Association)との文字も見える。このような旗(バナー)は後に劇中にも現物が出てくる。そして、労働党のハーバート・モリソン副首相が、炭鉱の国有化を成功に導くために、炭鉱夫の一致団結を呼びかけている。イギリスで炭鉱業が労働党政府によって国有化されたのが1947年なので、このニュース映像はその直前のものと推察される。ダラム州の炭鉱夫たちにとっては最も輝かしい時期のものだ。これが一体、どのような過程を経て、1984年の炭鉱争議へと至ってしまったのだろうか。

主人公ビリーやその親友マイケルは子どもゆえに、なぜ大人たちがストライキをするのか、よく理解できていない。言えることはただ「サッチャーが悪い」ということだけだ。この舞台の観客席には、ビリーやマイケルと同年代やその前後の子たちも少なくない。だから、もしも休憩時間に子どもが親に「あれはどういうこと?」と尋ねたら、親はどう対応するのだろう。すかさず、しかるべき説明をおこなうのか、それとも、慌てて公演パンフレットをめくって答えを探すのか。前者のほうがスマートだと考える向きには、(必要に応じて)これから記すことに目を通していただければ多少はお役に立てるかもしれない。


■イギリス病 VS サッチャー

第二次世界大戦が終わると、イギリスではクレメント・アトリーの率いる労働党が、「ゆりかごから墓場まで」の福祉主義スローガンを掲げて、ウィンストン・チャーチルの保守党から政権を奪取する。政府は、無料で医療が受けられる国民保健サーヴィス(NHS=National Health Service)に代表される社会保障制度を推進した。また、国民経済の基幹となる重要な産業が一部の資本家に私物化されないようにと、石炭、通信、航空、電気、鉄道、ガス、鉄鋼などを次々と国有化した(前述のニュース映像での、炭鉱の国有化を唱えた政治家の演説はその一環である)。

しかし福祉を充実させればさせるほど、国家の財政は逼迫する。また、国有化された重要産業は競争力が欠如して自己改善の向上心を失うから、やがて経営の悪化を招き、そこで生じた赤字も国庫から補填せざるをえなくなる。そのため今度は税収を増やさなければいけなくなり、所得税率を引き上げる。すると人は、儲ければ儲けるほど税金に持っていかれてしまうこととなり、労働意欲が低下する。その一方で、当時、労働組合は要求を強め、ストライキを頻発させた。国有化された企業の公務員もストをおこない、しばしば公共サーヴィスを停止させることで、国民に不便を強いた。そのため政府は組合に対して弱腰になる。こうしてイギリスの経済は停滞、国際競争力も著しく低迷の一途を辿った。この状況は「イギリス病」と呼ばれた。

こうした、福祉優先主義政治の負の影響は、幾度か保守党に政権交替されても、与野党が合意をとりながら穏便に政治を進める、所謂「戦後コンセンサス政治」の枠組みの下で、殆ど改善されることはなかった。そんな中、「イギリス病」を克服するために登場したのが、保守党のマーガレット(マギー)・サッチャーだった。

サッチャーは、政府が国民や企業を過保護に甘やかす政治こそが現状の諸悪の根源と考えていた。だから「イギリス病」を治療するにあたって、政府は国民(特に弱者)を決して甘やかさない。困った民を高貴な人が助けてくれる“ノブレス・オブリージュ”などという「社会」は存在しないと思え。各個人は自助努力で逆境を乗り越えろ。ガタガタ言うやつは叩きのめす……といった、“弱肉強食”的な政治を断行しようとした。そのことを有効だと考えたのは、彼女自身がたゆまぬ努力によって、国のトップにまで昇り詰めることができたからだろう。

たしかに、町の食料品店の娘にすぎなかったサッチャーは、一念発起して勉学に励みイギリス最難関のオクスフォード大学に進学、さらに法学院でも勉強し、出産したばかりの双子を育てながら弁護士になった。保守党に入党後、男性優位の空気をものともせずに国会議員となり、やがて党首選に出馬し初の女性党首に選ばれた。そして1979年の総選挙で保守党を勝利に導き、ヨーロッパ初の女性首相となった。超人的な努力の賜に違いない。「やればできる」(ティモンディ高岸)という確信が彼女の心に宿ったのも無理からぬことだ。全国民が「わたし」のように努力すればいいのだ、と。

そんなサッチャーは首相に就任するや、政府の支出を大幅にカットした。公務員の数を減らし、国からの各種助成金を停止し、公共サーヴィスを縮小した。さらに国有企業の民営化や公営住宅の払下げ、インフレ抑制対策としての金融引き締めを矢継ぎ早に断行する。一方、国民の労働意欲を高めるために所得税・法人税を減税した(その代わり、付加価値税=消費税は引き上げたが)。経済は市場原理に委ね、政府はそこに一切介入しない。こうして、労働党政権がレールを敷いた“社会主義”的な「大きな政府」路線は、“サッチャリズム”という名の“新自由主義”的な「小さな政府」への大胆な路線転換が図られていったのである。

しかし、荒療治には痛みや犠牲が付いてまわる。当初、失業者や倒産企業の数が膨れあがり、保守党内からさえも非難を浴びたが、彼女は決して政策の“Uターン”を認めなかった。こうして、当時のソ連から「鉄の女」と評された彼女の頑固さは、支持率の低下を招くこととなる。しかし、そんな中、1982年に南大西洋上にあるフォークランド諸島というイギリスの領土が、近隣のアルゼンチンに侵攻される事件が起きた。サッチャーは毅然たる態度で大艦隊の派遣を決め、激戦の末、敵国の野望を打ち砕いた。これによって、イギリス国内のナショナリズムが一気に高揚、サッチャーの支持率は爆上がりし、1983年の総選挙で保守党を圧勝に導いた。その勢いに乗ったサッチャーが、アルゼンチンという「外敵」を打ち負かした次に本腰を入れて戦おうとした相手こそ、彼女が「内なる敵」と呼んで憚らない労働組合だった。


■相反する二つのノスタルジア

ほんのちょっと筆者の私的趣味の話をさせてもらうと、イギリスの人気バンド・イエスが、キーボード奏者としてギリシャ人のヴァンゲリス(2022年にコロナで死去)を1974年に加入させようとしたことがある。しかし英国音楽家組合に妨害されて実現しなかった。また、1982年にはピーター・ゲイブリエルの主催するWOMADというワールドミュージックフェスの第一回目がイギリス南西部で行なわれたのだが、開催日が鉄道ストライキとぶつかり、観客を動員できずに大赤字を喰らった(だが破産しかかったピーターのために、彼がかつて所属していたジェネシスによる一夜限りの再集結コンサートが開かれ、窮地を脱することができたのだったが)。……事程左様に、イギリスといえば、組合が強く、ストライキが頻繁に行われる国、という印象が昔から筆者の脳髄に刷り込まれている。さすがはカール・マルクスが後半生の大半において居住していた国だけのことはあるな、と。

そのような、組合の強いイギリスにあって最強の組合、組合の中の組合こそ、炭鉱労働者の組合「全国炭鉱夫労働組合(National Union of Mineworkers/以下、NUM)」だった。筆者が思うに、イギリスにおける石炭と、それを燃料とした蒸気機関は、日本人の想像を遥かに超える特別な概念なのではないか。たとえば1990年代を舞台とする『ハリー・ポッター』の映画や舞台を観ていると、ロンドンのキングス・クロス駅から出発するホグワーツ特急は未だに蒸気機関車である。また、アンドリュー・ロイドウェバー作曲のローラーコースター・ミュージカル『スターライト・エクスプレス』では、子どもの見る夢の中で、日本の新幹線を含む世界の錚々たる鉄道が一堂に会し、熾烈なレースを繰り広げるが、最終的に勝利するのはイギリスの蒸気機関車なのである(ちなみに同作品中の「♪Rolling Stock」という曲の旋律は、『ビリー・エリオット』の「♪Shine」の中の一フレーズとよく似ている)。また、同じロイドウェバー作曲のミュージカル『キャッツ』、そして2021年に日本でも上演されたミュージカル『オリバー』や、ナショナル・シアター・ライブ(NTLive)で我が国でも人気を博した舞台『フランケンシュタイン』にも、蒸気機関車に擬したパフォーマンスが登場する。そういえば、今でも世界中でお馴染み、こども向けテレビ番組『きかんしゃトーマス』もイギリスで生まれた。

18世紀後半にジェームズ・ワットが開発した蒸気機関は、19世紀以降、鉄道、船、工業機械など様々な分野で動力として活用されていく。それらが産業革命の原動力となり、19世紀ヴィクトリア朝のイギリスを世界的な覇権国家=大英帝国として繁栄に導いた。多くのイギリス人は今もなお、心の奥底でその栄光に酔い痴れているのではないだろうか。だからこそ、その象徴たる蒸気機関車が今でも色々な物語に登場するのではないか。

よって、産業革命の主役としての石炭を扱う炭鉱労働者は、19世紀末以降、動力の主役が蒸気から電気に移行し、発電の主燃料が石炭から石油に変化しつつあることを知りつつも、大英帝国を縁の下から支えてきたという過去のプライドに固執しながら、親子代々に渡り過酷な肉体労働に奉仕してきたのだと思う。そうした心性/心情を有する十数万人の炭鉱労働者たちによって強い結束が保たれてきたのが、NUM(全国炭鉱夫労働組合)だったのである。

その最高指導者は、アーサー・スカーギルという人物だった。ヨークシャーの炭鉱労働者から組合活動に従事するようになり、1973年のストライキの際に、スト破りの就労を阻止するために編み出した「フライング・ピケット」という遊撃的ピケが功を奏し、時のヒース政権(教育大臣をサッチャーが務めていた)を退陣にまで追い込んだ。その功績が評価され、1981年にNUMの委員長となる。カリスマ感あふれるキャラクターゆえに(イギリスのアーサー王伝説になぞらえて)「労働運動界のアーサー王」と呼ばれたことも。ミュージカル『ビリー ・エリオット』の中でも、イージントンの炭鉱夫たちが「スカーギル委員長を支持する」と歌うシーンがあるので、彼の名は必ず覚えて欲しい。

一方、“改革”派のサッチャーも、スピーチの中では折に触れ「ヴィクトリア朝な価値観、伝統に立ち戻ろう」と述べていた。彼女もまた19世紀ヴィクトリア朝への回帰を願っていたのだ。だが、その意味するところは、人は困ったことに直面しても、けっして政府や組合に頼らず、秩序を重んじながら、自助努力で解決すべし(自分自身や家族を頼るべし)、ということだった。これは、産業革命によってイギリスが資本主義体制を確立していく中で、もっぱら資本家側の論理として定着していた考えだ。

たとえば、19世紀イギリスを舞台とするミュージカル『オリバー』(原作:チャールズ・ディケンス「オリバ・ツイスト」)において、最初オリバー・ツイストが収容されていた「救貧院」(Workhouse)なる施設を覚えておられるだろうか。これはけっして貧しい弱者を救う慈善施設ではなく、貧民を強制労働させる偽善施設だった。貧困は怠惰がもたらす罪悪であり、その罰を受けさせねばならぬという更生施設に他ならなかった。宗教改革によってもたらされたプロテスタンティズムの影響も反映されている、このような当時の「働かざる者は食うべからず」的な社会風潮は、時代を超えてサッチャーの新自由主義的な思考回路に直結していく。そんなヴィクトリア朝へのノスタルジア(自助幻想)を抱くサッチャーは、ベクトルの異なるヴィクトリア朝へのノスタルジア(石炭幻想)に固執するNUMの勢力を、いよいよ確実に打ち砕こうと策をめぐらせた。

そこで、サッチャーがNUM打倒に向けて、周到に準備したことは次のとおり。
[1]労働組合の争議など諸活動を様々に制限する法律を整備した。
[2]ストが長引いて石炭が供給されずとも電力不足を招かぬよう、充分量の石炭を輸入等によって備蓄した。
[3]やはり電力不足対策として、石炭専用の発電所を、石油兼用の発電所に作り変えたり、原子力発電所の比重を高めた。
[4]治安警察によるスト弾圧のための体制を整備した。
[5]「労働組合潰し」の異名をとるイアン・マクレガーを「石炭庁(The National. Coal Board/以下、NCB)」の総裁に任命した。

イアン・マクレガー(今、その名をググると俳優のユアン・マクレガーばかりが挙がってきてしまうのだが…)は、アメリカの石炭産業界において組合の影響力を徹底的に排除する活躍で名を挙げた人物で、1980年にサッチャーは既に老齢だった彼を180万ポンド(約5億円)もの大金を払ってイギリスに招き、先ずは英国鉄鋼公社の総裁に任命した。そこで大胆な合理化の辣腕を振るい、サッチャーの期待に応えたマクレガーは、次に本丸というべき炭鉱合理化を断行するために、1983年にNCB(石炭庁)総裁に就任したのだった。そして、1984年3月6日、NCBは同年中に採算のとれない20炭鉱を閉鎖し約2万人の炭鉱夫を削減する合理化案をNUMに提出した。NUMに対する宣戦布告である。

ときに、この1984年という年は、イギリスの作家ジョージ・オーウェルが全体主義国家の恐怖を描いたSF小説のタイトルであり、また米アップル・コンピューターが初代Macintoshを発表した年でもあるが、それ以上に興味深く思えるのは、前述のミュージカル『スターライト・エクスプレス』初演の年であり、『きかんしゃトーマス』の放映がBBCで開始された年でもあるということだ。当時、イギリス人の国民感情はまだ石炭/蒸気から離れることができなかった。

(以下、次回・後編に続く)

文=安藤光夫(SPICE編集部) ※執筆に際しての参考文献は次回まとめて掲載します。