「アウトレイジビヨンド」や「翔んで埼玉」など硬軟問わずに俳優として存在感を示し、バラエティー番組でも活躍した中尾彬(なかお・あきら)さんが16日、心不全のため都内の自宅で死去した。81歳。千葉県木更津市出身。訃報を受け、モノマネをした経験のある「ドランクドラゴン」塚地武雅が追悼した。

 伝説的バラエティー番組「はねるのトびら」で、中尾さんのモノマネを披露していた塚地。訃報を受け、「中尾彬さんの訃報 バラエティーで共演したり、はねるのトびらではマネさせていただい」と振り返り、「裸の大将でも共演し、主演という立場に恐縮している僕に“塚地,座長なんだから堂々としなさい。他業種だからとか関係ない。良い芝居してるから自信を持ちなさい。”と。僕の指針となるお言葉をいただきました」と、中尾さんからのアドバイスを回顧。「ご冥福をお祈りします」と偲んだ。

 中尾さんは、高校卒業後の1961年に武蔵野美術大学油絵学科に入学。翌62年に日活ニューフェースの第5期に合格し、映画デビューを果たすが、画家の道を捨てきれずに大学を中退してフランスに留学したこともあった。帰国後の63年に劇団民藝に研究生として入団し、翌65年に中平康監督の「月曜日のユカ」で主演の加賀まりこのボーイフレンドを好演して注目を集めた。70年に日活と民藝を離れてフリーに転身。75年に「本陣殺人事件」で金田一耕助役で主役を張ったほか、東映「極道の妻たち」シリーズ、東宝「ゴジラ」シリーズ、伊丹十三監督の「ミンボーの女」、さらには「アウトレイジ ビヨンド」や「龍三と七人の子分たち」など北野武監督の作品に重用され、コワモテから気の良い親分まで変幻自在に演じ分けて貫録を示した。ドラマではテレビ朝日「暴れん坊将軍」の初代徳川宗春役やNHK土曜ドラマ「ハゲタカ」などで存在感を示した。

 おしゃれとしても知られ、マフラーやスカーフを首元からぐるぐる巻きにする〓ねじねじ〓がトレードマークだった。