「アウトレイジビヨンド」や「翔んで埼玉」など硬軟問わずに俳優として存在感を示し、バラエティー番組でも活躍した中尾彬(なかお・あきら)さんが16日、心不全のため都内の自宅で死去した。81歳。千葉県木更津市出身。

 テレビ関係者によると、今年のゴールデンウイークまで普段と変わらない様子で雑誌の取材を受けていたほか、CM撮影も行っていた。最近では足腰が弱ってきていたため、仕事をセーブしていたが「体重が減ったなどの体調に目立った変化はなかった」(番組関係者)という。

 最期は自宅で池波志乃が看取る中、静かに旅立った。

 池波は所属事務所を通じ「今年に入って足腰が悪く体力も落ちて、医師の訪問を受けながら、本人の意思により、自宅でゆっくり休んでおりました。時には取材や、足腰をかばっての仕事もやらせていただき、本人は元気で12月の旅行に向けて、頑張ってリハビリをしていたくらいでしたが、15日に容態が急変し、16日の夜中に自宅で私と二人の時に、とても穏やかに本当に眠るように息を引き取りました」とコメントした。

 中尾さんは近年〓終活〓に取り組んでいることを公言。池波が06年に末梢(まっしょう)神経に異常が生じる病気「フィッシャー症候群」を発症。翌07年には、中尾さんが急性肺炎で大阪市内の緊急入院。ICU(集中治療室)に搬送された入院当初は、肺炎による毒素が腎臓、肝臓、筋肉などに回り、多臓器で障害が発生する、危険な状態だった。池波が東京から駆けつけ、献身的に看護した。

 大病を機に、池波の提案で夫婦で“終活”を始めた。千葉のアトリエや沖縄の別荘を処分。トレードマークの“ねじねじ”も200本は捨てた。中尾さんはスポニチのインタビューで「私は、かみさんの言うことは何でも聞くタイプなんでね。やってしまえば楽でした」と相好を崩していた。

 高校卒業後の1961年に武蔵野美術大学油絵学科に入学。翌62年に日活ニューフェースの第5期に合格し、映画デビューを果たすが、画家の道を捨てきれずに大学を中退してフランスに留学したこともあった。帰国後の63年に劇団民藝に研究生として入団し、翌65年に中平康監督の「月曜日のユカ」で主演の加賀まりこのボーイフレンドを好演して注目を集めた。70年に日活と民藝を離れてフリーに転身。75年に「本陣殺人事件」で金田一耕助役で主役を張ったほか、東映「極道の妻たち」シリーズ、東宝「ゴジラ」シリーズ、伊丹十三監督の「ミンボーの女」、さらには「アウトレイジ ビヨンド」や「龍三と七人の子分たち」など北野武監督の作品に重用され、コワモテから気の良い親分まで変幻自在に演じ分けて貫録を示した。ドラマではテレビ朝日「暴れん坊将軍」の初代徳川宗春役やNHK土曜ドラマ「ハゲタカ」、フジテレビ系「GTO」などで存在感を示した。