【細川たかし 我が道8】民謡レッスンで歌が変わった 多くの「先生」から教わった「こぶし」

スポニチアネックス6/8(日)7:00

【細川たかし 我が道8】民謡レッスンで歌が変わった 多くの「先生」から教わった「こぶし」

健康ランドのステージで民謡を歌う

 札幌市の中島公園近くにあった「銀嶺荘」という健康ランド。そこに歌手兼司会者として約2年間通った利点は生活だけでなく、民謡と出合ったことです。駆け出しのクラブ歌手の収入だけでは、当然厳しい生活でした。ナイトクラブで一緒に働いていたアコーディオン奏者の「太田さん」が「昼間も働かないか?」とアルバイト的に誘ってくれました。

 「銀嶺荘」には三味線奏者が2人、民謡歌手が5人ほど常駐していました。それほど、北海道は民謡の需要が高かったのです。NHK「のど自慢」でも、北海道で開かれると民謡を歌う出演者が毎回必ず数人いました。後に私の弟子になる、杜このみが4歳から民謡を教わっていた尺八の大家・松本晁(ちょう)章(しょう)さんや、津軽三味線「佐々木流」家元の佐々木孝さんは、毎回「のど自慢」で演奏していました。その佐々木さんが「銀嶺荘」にいました。歌手では暁メイ子さんら、地元の民謡界で有名な歌手がそろっていました。

 「銀嶺荘」2階の大広間で毎日行われる歌謡ショーは、入浴客による素人のど自慢と、プロの民謡歌手のステージがありました。大きな声が自慢だった私も驚くほどの声量で朗々と歌う民謡歌手。どうしてあんな声が出るのだろうか?という興味がきっかけでした。「昼の部」が終わる午後3時過ぎ、休憩時間にレッスンをお願いしたのです。クラブに出勤前なので、時間はありました。

 まさに「口移し」のレッスンです。それまでは、ただ勢いで声を張り上げていましたが、ちゃんとした発声法は目が覚めるようでした。「こぶし」も教わりました。母音を伸ばす時に微妙に声を揺らす技術ですが、これをマスターすると歌が変わりました。自己流で歌っていた歌は、劇的に良くなりました。民謡だけでなく、歌謡曲を歌う上でも重要なテクニックです。「こぶし」を覚えたことで、歌手としての技量は1段階上のレベルになったことを自覚しました。

 毎日民謡を聴いていたおかげで、嫌でも民謡を覚えます。「ソーラン節」や「江差追分」など、民謡の名作が自然と身に染み込んでいきました。おかげで歌のレパートリーも増えました。1975年に「心のこり」で歌手デビューした後、すぐにコンサートや営業の仕事が舞い込みました。しかし、持ち歌はデビュー曲の「心のこり」とB面だった「泣きぐせ」の2曲だけです。苦肉の策で民謡コーナーをつくり、民謡を何曲か歌ってからまた「心のこり」というステージ構成で乗り切りました。

 今思い返すと、誰が民謡の師匠というわけではなく、当時「銀嶺荘」にいた民謡歌手、三味線や尺八奏者の方々全員が「先生」でした。歌手として、民謡という得意ジャンルを持つことができたのは、たまたまアルバイト感覚でお世話になった「銀嶺荘」での日々のおかげです。杜このみ、彩(りゅう)青(せい)という愛弟子たちも民謡で育ってきました。これも縁なのでしょうねえ。

 ◇細川 たかし(ほそかわ・たかし)1950年(昭25)6月15日生まれ、北海道出身の74歳。札幌・ススキノのクラブ歌手時代にスカウトされ、75年4月に「心のこり」で日本コロムビアからデビュー、第17回日本レコード大賞最優秀新人賞。82年「北酒場」、83年「矢切の渡し」で史上初の日本レコード大賞2連覇。84年「浪花節だよ人生は」で同賞最優秀歌唱賞を受賞し「レコード大賞3冠」を達成。ほかに「望郷じょんから」など。

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