【細川たかし 我が道15】萩本さんとの出会いで得たもの 会場に駆けつける大将の姿に感動
スポニチアネックス6/16(月)7:00

82年のレコード大賞を「北酒場」で受賞しました
1982年1月27日にテレビ朝日「欽ちゃんのどこまでやるの!」の番組中初めて披露した時は、まだ「北酒場」というタイトルも決まっていませんでした。きちんと歌詞を覚えておらず、歌の途中で歌詞が分からなくなるという私のドジっぷりを、萩本さんは飛び切りの笑いのネタに変えてくれました。
♪ちょっと、おひとよしがいい…「今日はここまで!続きはまた来週!」
歌手と新曲を笑いのネタに変えるというアイデア。天才は笑いのツボを逃しません。萩本さんが引っ張ること、引っ張ること。1コーラスを通して歌うまでに4週(1カ月)以上かかった記憶があります。さらに「今夜の恋は煙草(たばこ)の先に火をつけてくれた人」という歌詞が出てくると、そこに合いの手の掛け声を入れる話になりました。最初は「アッチ」でしたが、「マッチ(近藤真彦)に対抗して“ワッチ”にしよう」と、合いの手の掛け声までプロデュースしてくれたのです。
当時「欽どこ」は平均27%以上の高視聴率を誇る大人気番組でした。その1つのコーナーで「宣伝」してくれたのですから、大助かりです。萩本さんのアイデアは次々に出てきました。夏には「盆踊りバージョン」の「北酒場」です。本当にやぐらを組み、盆踊りしながら歌いました。ほかにもクラシックバージョン「北酒場」など、9月中旬まで毎回、番組中にいろいろなバージョンで歌わせてもらったのです。
なかにし礼作詞、中村泰士作曲という「心のこり」と同じコンビによる「北酒場」は満を持して3月21日にレコード発売されました。「欽どこ」の影響で、77万枚超の大ヒット曲となりました。待ちに待ったヒット曲です。この年はヒット曲の当たり年で、あみんの「待つわ」、薬師丸ひろ子さん「セーラー服と機関銃」、岩崎宏美さん「聖母たちのララバイ」とライバルはたくさんいました。
そして、大みそかの帝国劇場。「第24回日本レコード大賞」で初めての大賞を頂きました。受賞後、1コーラスを歌い終えて間奏に入った時、多忙な萩本さんが駆けつけてくれた姿が見えました。大将の顔を見た瞬間、ググッと熱いものがこみ上げました。我が事ながら、本当に感動的でした。
ケガの功名とよく言います。本当にケガをして仕事がなくなった時に、萩本さんと出会いました。「また、遊びにおいでよ」と言ってもらい、本当に暇だったので毎週出演させてもらった結果が、この大賞。世の中、悪いこともあるけれど、良いことも本当に起こるんだなあ。歌いながら、そんな1年半余りの出来事が頭の中をよぎりました。
萩本さんと出会って得たのは、レコード大賞だけではありません。毎週、番組の中で繰り広げられた「しゃべりの間」です。お笑いタレントでなくても、ステージの仕事が多い歌手としても、とても大事なこと。これをじかに習ったのは、後々とても大きなことでした。
◇細川 たかし(ほそかわ・たかし)1950年(昭25)6月15日生まれ、北海道出身の75歳。札幌・ススキノのクラブ歌手時代にスカウトされ、75年4月に「心のこり」で日本コロムビアからデビュー、第17回日本レコード大賞最優秀新人賞。82年「北酒場」、83年「矢切の渡し」で史上初の日本レコード大賞2連覇。84年「浪花節だよ人生は」で同賞最優秀歌唱賞を受賞し「レコード大賞3冠」を達成。ほかに「望郷じょんから」など。









