◇セ・リーグ 阪神7−0中日(2024年4月19日 甲子園)

 バットが発する快音には不思議な力が宿っているのかもしれない。

 村上春樹が小説家になったきっかけは神宮球場の外野芝生席(当時)で観戦中に耳にした快音だった。1978(昭和53)年4月1日、開幕のヤクルト―広島戦。1回裏先頭のデーブ・ヒルトンが左翼線二塁打を放った時である。エッセー『走ることについて語るときに僕の語ること』(文春文庫)で明かしている。

 <僕が「そうだ、小説を書いてみよう」と思い立ったのはその瞬間のことだ。晴れ渡った空と、緑色を取り戻したばかりの新しい芝生の感触と、バットの快音をまだ覚えている。そのとき空から何かが静かに舞い降りてきて、僕はそれを確かに受け取ったのだ>。翌年『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受け、デビューしたのだった。

 この夜、阪神打線の活気を呼んだのは大山悠輔の快音である。2回裏先頭、中日先発ウンベルト・メヒアの速球を引っ張りライナーで左前に運んだ。不調だった大山が久々に放った快打である。

 スコアをつける際、打球の種類を記号で記録している。ゴロ、フライ、ライナーの3種だ。大山の安打でライナーをつけたのは9日広島戦(甲子園)の右前打以来だった。引っ張った安打では3日DeNA戦(京セラドーム)以来、14試合ぶりだった。

 4番の快音で打線は目を覚ました。この回、木浪聖也先制打に投手・青柳晃洋犠飛で2点。3回裏に森下翔太ソロ、4回裏に近本光司適時打、5回裏には大山自身に待望の今季1号が出た。3点以上奪うのは6日ヤクルト戦(神宮)以来、実に11試合ぶりだった。

 監督・岡田彰布が大山を4番に据える理由を「誰もが認める」からだという。成績だけでなく、その姿勢や存在感、4番の風格を備えている。

 昨季も苦しい時期を乗りこえた。優勝を決めた後に流した涙と岡田との抱擁を忘れてはいない。

 今季は開幕から相当に打撃不振で苦しんでいたが、それでも懸命に守って投手を救い、凡打疾走の姿勢を崩さなかった。チーム内の誰もが復調を待ち望んでいた。だからあの快音快打に、チームは奮いたったのである。

 ラグビーで言う「ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン」か。「チームのために」と「大山のために」が交わった、久々の快勝だった。=敬称略= (編集委員)