「学生野球の父」の飛田穂洲、「ミスタープロ野球」の長嶋茂雄、昨年には阪神を日本一に導いた岡田彰布も、1925年(大14)に始まった東京六大学野球を彩った。今年で創設から100年目を迎えた日本最古の大学野球リーグを支える人々を紹介するインタビュー連載「東京六大学野球 次の100年へ」。第3回は元早大監督で、現在は早大の先輩理事を務める岡村猛さん(69)。影からリーグ、チームを支える「先輩理事」のミッションに迫った。(聞き手 アマチュア野球担当キャップ・柳内 遼平)

 ――東京六大学野球連盟に所属する6校から選出される役職「先輩理事」。チーム運営を支えていく存在とされるが、一般のアマチュア野球ファンにはあまりなじみのない言葉。記者も東京六大学野球リーグ担当になるまで分からなかった。具体的にはどんな仕事をしているのか。

 「先輩理事は協議を重ねながらリーグ運営、チーム運営ができるようにするミッションを負っています。チーム、連盟の運営を健全かつ円滑に進めていき、問題が発生した時に対処していく役割だと認識している。大学とチーム、OB会とチーム、連盟とチームをつないでいく、関係を良好にしていくことも役割です」

 ――野球部の運営を担う部長やマネジャーらをフォローするイメージか。

 「そうですね。基本的にはマネジャーたちが野球部と大学との連携を図っていくんですけど、そこのフォローをします。あとは総長らが球場に来た際の案内、説明なども担当することがあります」

 ――今月1日には元早大総長で元日本高野連会長の奥島孝康さんが逝去された。4日の東大戦では早大の選手が左袖に喪章をつけてプレー。先輩理事としてどんな役割を果たしたのか。

 「野球部長と監督に“どういった形で弔意を表しますか”という確認をしました。喪章の着用については連盟への連絡、問い合わせ。また、東大の野球部長や先輩理事にも“こういった形で喪章をつけさせていただきたい”というような連絡、調整も行いました。そういった明文化されていない事態が起きた時、物事が円滑に進むように調整することが役割。私だけではなく各校の先輩理事が調整役を担われています」

 ――大事な役割。先輩理事をやってきて印象的だったことは。

 「顕著なところですと、20年に新型コロナウイルスが大流行した時、秋季リーグ直前に法大野球部の選手が集団感染したことがありました。リーグ戦への出場辞退も考えられた時に連盟事務局、6校の理事、先輩理事で対応について協議しました」

 ――20年はリーグ戦を中止する大学リーグもあった。法大の状況を受けて秋季リーグ開幕を1週間遅らせ、法大の初戦を第4週とすることでリーグ戦への参加を可能にした。スピード感があり、フレキシブルな対応だった。どんな話し合いがあった。

 「やはり“やりましょう”と。法大の4年生選手にとって最後のシーズンをコロナのために辞退することは忍びない。何とか調整して6校でリーグ戦を開催することを目指しました」

 ――コロナ禍の影響が大きかった同年は春のリーグ戦を夏(8月10日開幕)に実施した。

 「他のリーグからは“なんでやるんだ”という声もあれば、“やってくれてよかった”という声もありました。リーグ戦を開催することには賛否両論があった。いろいろなリスクを回避するために負担やコストがかかりましたけど、実施できてよかったと感じています。連盟と6大学が一体となって、開催する勇気を持ってできる限りの準備をしました」

 ――当時はリーグ戦を実施しない方が「無難」とも思えた。そういう空気があった中で実施するには大きなエネルギーが必要。

 「そうですね。リーグ戦をやらない方が無難であったかもしれない。でもやっぱり大人の思いだけではなく、学生野球として、学生が神宮でプレーすることを目指してトレーニングに励み、学業に励んできたわけです。我々大人はできるだけその舞台を整えてあげることが大事。それが教育的な立場で学生たちを成長させていくことにおいて大切なことだと考えています」

 ――早大の監督としてリーグ優勝も経験。今季のリーグ戦では早大が3カードを終えて勝ち点3。先輩理事から見て今年は一味違うか。

 「ユニホームを着て早大ベンチで指揮を執っていた経験があるので、どうしてもベンチにいる感覚で試合を見てしまうんですよね。先発メンバーの9人だけではなくて、やっぱりベンチにいる控え選手も含めて戦っているという感じが強い。また、その後ろにいるベンチに入れなかった部員も合わせてチームが一丸となって戦うことができていますね」

 ――元監督から見て小宮山悟監督の采配はいかがですか。

 

 「小宮山監督の采配が非常に冴えていますよ。代打起用、投手の継投でゲームを支配していますよね」

 ――日本最古の歴史を持つ大学野球リーグ。次の100年へ、バトンをつないでいくための意気込みは。

 「これまでの長い歴史で、培われてきたものを継続し、引き継いでいかなければいけないものもあると思いますが、時代や取り巻く環境が変化しています。変化に適切に対応して変えるべきものは変え、守るべきものは守っていく。そういう感覚を失わないことが必要ですね」

 ――ありがとうございました。とても興味深いお話でした。

 「いえいえ。先輩理事は分かりづらい仕事だと思いますが、少しでもご理解いただければ幸いです」

 ◇岡村 猛(おかむら・たけし)1955年(昭30)4月1日、佐賀県生まれの69歳。佐賀西から早大に進み、二塁手だった現役時代は同学年だった法大・江川、金光らと火花を散らした。社会人野球の東京ガスでは11年間プレー。89年からはコーチも務めた。社業に専念した後、11年から14年までは母校・早大の監督を務め、17年に早大の先輩理事に就任した。