西岡良仁が大ケガのリハビリ中に知った「テニス以外の大切なこと」

西岡良仁インタビュー@前編


マイアミオープン2回戦、西岡良仁に悲劇が襲った

 もし、あのとき、異なる判断をして、別の行動を取っていれば……。

 後にそのように振り返る一瞬が、スポーツではフィールドやコートの上に、あるいは試合のなかで流れる時間に、いくつも散りばめられている。

 テニスプレーヤーの西岡良仁にとって、それは一瞬の迷いとともに訪れた。

 今年3月、マイアミオープン・マスターズの2回戦――。当時世界17位のジャック・ソック(アメリカ)相手にリードを奪った、第1セットの途中でのこと。

 フォアハンドサイドに振られたショットを追うべきか、あるいはあきらめ見送るべきか……。時間にすれば、おそらくコンマ何秒の逡巡(しゅんじゅん)だったろう。ただ、その一瞬の遅れが踏み出す足を数センチ狭め、着地した瞬間に「地面に引っかかり、詰まった」ようになる。

 身体が流れ、足首をひねりそうに感じた左足は、反射的に踏ん張り重力に抗(あらが)った。そのとき、西岡は「ひざが抜けるような」不思議な感覚に襲われたという。大きな痛みがあるわけではない。だが、ひざから下にうまく力が伝わらない。

「前十字じん帯裂傷」

 医師からは診断結果とともに、じん帯再建手術の必要性と、「8ヵ月〜1年の戦線離脱」が伝えられた。

 わずか1ヵ月間にトップ50選手を4人破り、ランキングも91位から58位へと急上昇させるなかで遭遇した、本人いわく「事故」だった……。

 そのときから、約9ヵ月の月日が過ぎた。リハビリとトレーニングを経て、復帰戦をいよいよ数週間後に控えた西岡は、ケガから今日までの日々を「いい時間やったかなと思います」と穏やかに振り返った。

「ケガして約1年休むことになったとき、『いろんなことができるな』と、少し楽しみに思ったところもあったんです。僕、12歳のころから海外遠征に出ていたし、15歳からはIMGアカデミー(米国フロリダ州)に行っていたので、こんなに日本にいたのも10年ぶりでしたから。

 プレーしているときはテニスで忙しかったけど、ケガした後は別のことで忙しかったので。いろんなことにトライしようとあえて忙しくした部分もあるし、取材を受けたり自分から発信したり……それによって新しく会う人が増え、つながりもいっぱい増えました。

 そういう意味では、幅は広がったかなと思います。テニスができなかったのはもちろん悔しかったし、他の選手の活躍を見てうらやましいと思ったりもしましたが、22歳の人間として得たものはたくさんあったので、今後の人生に生きていくかなと思います」

 ケガを負ったときに21歳だった彼は、「今までできなかったことを、いろいろやろう」と自然と思えたという。本を読むこと、料理、テニス中継のゲスト解説、Youtube等を通じて自らテニス選手の声や日常を伝えていくこと……。

 それら多くの試みのなかで「もっとも自分の幅を広げてくれたことは何か?」と問うと、彼は「それ、難しいですね〜」としばし黙り込んだ熟考の末に、「多くのアスリートたちとの出会い」を挙げた。

「僕の友だちに、2020年の東京オリンピックに出られそうなアスリートの交流会を定期的に開いてくれている人がいるんです。毎回50〜60人のアスリートが集まって、僕も2〜3回参加しました。

 この間の会合でも、水泳やバスケットボール、卓球、パラリンピックアスリートたちが集まって、お互いに情報交換しました。そのなかで、テニスが恵まれているんだなと感じるところや、逆に他の競技のほうが恵まれているなと思うところもあって。

 テニスが他の競技よりも恵まれているなと思ったのは、金銭面ですね。他の競技では、日本のトップ5や世界のトップ10に入っている選手たちですら、金銭的に苦労していることを知りました。もちろん、プロとアマチュア選手中心の競技という差もありますが、それでも、これだけ有名な競技でも苦労している、というのは意外でした。

 テニスは、『トップ100クラスになれば』という話ではありますが、たとえばグランドスラムの1回戦で負けても数百万円の賞金がもらえるので……。それを言ったら、みんなビックリしていました。

 逆にテニスが他の競技と比べて少ないなと思ったのは、メディア等への露出ですね。日本国内での大会や試合が少ないし、選手が日本にいないことが多いので取材が難しいというのもあるでしょうが、これだけ世界規模の競技なのに、日本国内ではまだあまり知られていないんだなと思いました。

 僕がYoutubeチャンネルを始めたり、『スポナビライブ』さんで解説したのも、もっとテニスを知ってもらいたいという思いがあったからでもあるんです。そういう情報を得て、いろいろと考えられたことは、すごくよかったですね」

「22歳の人間として」多くをオフコートで吸収した西岡は、それらを来(きた)る復帰の日のコートに持ち込む準備も怠らない。テニスができない時期を「身体作りのいい期間」と定め、身体の動かし方から栄養面まで徹底して見直してきた9ヵ月間。それは彼ひとりだけではなく、同じ目的地を目指す”チーム”としての戦いでもあった。

「フィジカルトレーナーの浜浦(幸広)さんとは、ケガをした後に一回しっかり話し合いました。僕は、今回のケガは完全な事故なので誰の責任でもないと思ってますが、彼らもやはりプロなので、『みている選手をケガなく戦わせるのが自分の義務』だと考える。浜浦さんからは『本当に申し訳ない』と言われて……。僕は全然そんなふうに思わなかったんですけど。

 それで浜浦さんからは、『身体のことをもっとしっかり考えなくてはいけないので、まずは栄養面を勉強しよう』と言われました。僕は今回、連戦のなかでケガしてしまいましたが、連戦でも戦い抜ける身体を作るためにも食事を見直そうということになり、浜浦さんが栄養面をサポートしてくださる方を紹介してくれたんです。今でも栄養士さんからは『トレーニング中心の時期なので、こういう物を多く摂ったほうがいい」などのアドバイスを受けています。

 身体の変化は自分でも感じるし、周りからも言われるようになりましたね。トレーニングが多かったので、身体が大きくなった……特に上半身はひと回り大きくなったってよく言われます。ま、けっこうやっていたので、逆にちょっと大きくなっていなかったらショックですけど(笑)。

 でも僕ら、ちゃんと数値で客観的に変化を見ているので。体脂肪から骨格筋まで、何がどれだけ変わっているかを定期的に測ってます。昨日(12月上旬)も測ったら、最近運動量が増えたので体脂肪率と体重が少し落ちて、でも筋量はほとんど変わっていなかったので、いい仕上がり具合だなと思います。

 そういうこともわかると、面白いなと思いますね。体重がほとんど変わらないのに、身体のなかはこんなに変わっているんだなって」

 西岡はケガしたその瞬間を、「もし、あのとき……」と悔いながら振り返ることはない。過ぎた過去を「仕方のないこと」と割り切り、与えられた時間をいかに有効に使うかに、彼は目を向けてきた。

 その結果、文字通りひと回り大きくなった身体に多くの出会いや知識を備えた彼は、実戦のコートへの帰還に向け、今、本格的な追い込みに入っている。

 後編では、復帰戦を控えた彼の現状や、率直な胸のうちに迫る――。

(後編につづく)

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