崖っぷちの選手を救い、4700万円をもたらした1本のホームラン

崖っぷちの選手を救い、4700万円をもたらした1本のホームラン

 4億円以上を稼ぐ選手もいれば、1000万円に満たない年俸の選手もいるプロ野球の世界。「ポスト古田」と期待され、高卒ドラフト3位としては破格の契約金7500万円でプロの世界に飛び込んだ米野智人は、すぐにアマチュアとのレベルの差を思い知らされる。

 レギュラーを目指しながらも、やがて”第二の捕手”として生きる道を模索し、最後はコンバートを選択した男が語るプロ野球選手とお金の話。今も語り草となっている米野の逆転満塁ホームランには、どれだけの価値があったのか?

──キャッチャーは、ピッチャーの女房役と言われます。米野さんが出会った1億円プレーヤーで印象に残っている人は誰ですか?

米野 東京ヤクルトスワローズ時代に仲がよかったのは石川雅規さんですね。身長170センチもない小さな体で、38歳になった今も一軍で投げ続けています。正直、すごみのようなものは感じませんが、ケガしませんね。

 いくら才能があっても、故障したら投げられなくなります。十数年も一軍で投げて、勝ち続けるのは本当にすごいと思います。ストレートのスピードは130キロそこそこですが、バッターの体感ではもっと速い。技巧派だと思われているのに、ストレートが強いし、手元でピュッと来ます。

──石川投手は、コンディションを整えるために何かしているんでしょうか? 誰よりも早くクラブハウスに来るとか、体にいいものを食べているとか?

米野 特別なことをしているようには見えませんね(笑)。ただ、いつも淡々と、自分のペースを崩しません。秘密主義なんで、隠れて何かやっているかもしれませんが。きっと誰にも言わないんじゃないですか。

──キャッチャーからすると、ピッチャーの性格は気になりますか?

米野 そうですね。でも、ピッチャーはわかりやすい人が多いですね。基本的には、みんな「自分が一番」と思っている。そうじゃなきゃいけない部分もあります。どんどん調子に乗せたほうがいいピッチャーか、勘違いして失敗するピッチャーかを見極めて、「そうじゃないよ」「ここには気をつけて」というのをうまく伝えるのがキャッチャーの仕事ですね。ブルペンではいいボールを投げるのに、試合になるとダメなピッチャーもたくさんいました。

──それは、なぜそうなるんでしょう?

米野 ブルペンで試合の感覚を持って投げているかどうかじゃないでしょうか。アウトカウントや打順を想定して投げたり、試合をイメージして投げたりすることで結果は変わってくると思います。若い選手の場合、ただ自分が気持ちよくなるボールを投げてしまうことが多くて。

──プロ野球はお互いの長所を消す戦いです。試合では、バッターはなかなかフルスイングできませんし、ピッチャーも気持ちよくは投げられない。

米野 ある時、急にコントロールがよくなったピッチャーがいて、その人に理由を聞いたことがあります。すると、「意識を変えたらコントロールがよくなった。ブルペンでは”こういうボールを投げるんだ”という意識を持たないと」と言われました。

──米野さんは2006年に116試合に出場しながらレギュラーはつかめませんでした。その後はどんな気持ちでシーズンに臨んでいましたか。結果的には「細く長い」プロ野球人生になったわけですが。

米野 2007年に32試合しか出られず、精神的にはきつかったですね。ずっとモヤモヤしたままプレーを続けていました。控え捕手という役割で、出番もなかなかありませんでしたから。自分の実力を出し切れない悔しさがありました。

──2010年のシーズン途中に埼玉西武ライオンズにトレードされました。この時の気持ちは?

米野 自分の中に行き詰まり感があって、野球が楽しくなくなっていました。野球をする喜びを感じなくなっていて……このころ、キャッチャーをやめようと思って、球団にその話をしました。

──そんな時にトレード話が?

米野 トレードはたまたまだと思いますが、「もうキャッチャーはいい。外野でもいいから試合に出してほしい」という気持ちでした。この年限りで引退になっても仕方がないと思っていました。楽しく野球をやって、それでユニフォームを脱ぐことになってもいいと。

──しかし、実際はキャッチャーとしての経験を買われてライオンズに移籍したわけですが、どんな思いでプレーしていましたか?

米野 自分の中で苦しかったことを覚えています。外野手登録になったのは2012年からですね。右打ちの外野手が少ないというチーム事情があり「外野のほうがチャンスがあるかも」と球団の方にも言われました。キャッチャーに行き詰まっていたので、本格的に外野手にチャレンジしました。

──外野手にコンバートされ、結果的には2016年まで現役を続けました。そこまで長くプレーできた理由は何ですか?

米野 2012年4月26日のホークス戦でファルケンボーグ投手から打ったホームランのおかげですね。

──9回表ツーアウト満塁から、ヤフードームのレストスタンドに逆転ホームランを放ちました。

米野 あのホームランがなかったら、その年で引退することになったかもしれません。

──まさに選手生命をつないだ一発だったんですね?

米野 はい。あれがあったから、ライオンズで5年間もプレーできたんです。

──米野さんはあのあと、引退するまでに推定4700万円を稼いでいますが、ファルケンボーグから打った逆転ホームランには4700万円の価値があったということですね。

米野 僕は本当に運がよかった……。あとで動画を見たら、渡辺久信監督がものすごく喜んでいて。ということは、おそらく僕が打つとは思っていなかったんでしょう。期待されてなかったんですよ(笑)。あの1本の印象が強かったらしく、そのままずっと一軍にいることができました。

──実況をしているアナウンサーの興奮ぶりがすごい。

米野 動画で見てもらったらわかるんですけど、文化放送の斉藤一美アナウンサーが感極まって、号泣しているような感じでした。斉藤さんのおかげで、今も再生回数が上がっているみたいです。

──2016年には北海道日本ハムファイターズでプレーし、そのシーズン限りで現役を引退しましたね。

米野 2015年にライオンズを戦力外になったとき、僕は「まだできる」と思っていて、そのときにファイターズからオファーをいただいたんですが、選手兼コーチ補佐でという条件でした。

 キャッチャーでプロに入ってきたから、最後にもう一度キャッチャーで勝負したかった。もう一度昔のポジションに戻って手応えがなければやめようと考えていました。でも、その手応えが全然なかったので、ユニフォームを脱ぐことに決めました。2016年のシーズン後に球団から「もう1年」とは言っていただいたんですが……。

 現役時代から食と健康に興味があったので、現在は東京・下北沢で、「inning+(イニングプラス)」というカフェレストランを経営しています。話題のギーやグルテンフリーで作ったナチュラルで体に優しいヘルシーメニューを提供させていただいています。スワローズやライオンズで一緒にプレーした仲間もよく遊びに来てくれますよ。

米野智人(よねの ともひと)

1982年、北海道生まれ。北照高校から1999年ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。強肩の捕手として「ポスト古田」と期待を集めた。2001年に一軍初昇格、2002年に初安打、初めてのサヨナラ安打を記録した。古田敦也が選手兼監督になった2006年に自己最多の116試合に出場し、7本塁打を放っている。2010年シーズン途中に埼玉西武ライオンズに移籍。2012年から外野手に転向した。2016年に北海道日本ハムファイターズで選手兼コーチ補佐としてプレーしたのち、引退。現在は東京・下北沢でカフェレストラン「inning+(イニングプラス)」を経営している。

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