八重樫幸雄が「野村ノート」を公開。ヤクルト黄金時代を築いた金言たち

八重樫幸雄が「野村ノート」を公開。ヤクルト黄金時代を築いた金言たち




連載第8回(第7回はこちら>>)

【ノムさんの第一印象は「ヨボヨボの幽霊」!?】

――これまで、三原脩、広岡達朗と、八重樫さんが師事してきた歴代名将についてお話を聞いてきましたが、今回からは野村克也監督について伺います。野村さんとの接点は、そもそもあったのですか?

八重樫 最初に野村さんを見たのは、僕がまだ若手で、野村さんが南海ホークスのプレイングマネージャーだった頃ですね。キャッチャーとして肩はそんなに強くはなかったけど、スローイングのコントロールはよかったし、何よりもバッティングはすごかった。それに、打者心理を探るのが上手というのか、人を見る目に長けている方ですよね。いわゆる「ささやき戦術」というのも、その選手の性格を知るために行なっていたんでしょうね。


1989年にヤクルトの監督に就任し、黄金時代を築いた野村克也 photo by Sankei Visual

――野村さんが現役を引退して、評論家になってからの接点は?

八重樫 野村さんはグラウンドまで来ない評論家だったから、ノムさんの引退後に接点はなかったかな? 次に接点を持ったのが1989(平成元)年のオフ、監督就任が決まって秋のキャンプのときだったと思いますよ。そのときの感想としては「大丈夫なのかな……」って(笑)。

――どういうところが「大丈夫なのかな……」、なんですか?

八重樫 当時、僕はもうベテランだったから秋のキャンプは免除されていたんだけど、新監督就任ということもあって、「1週間は練習に出てくれ」と言われたんで、秋の神宮に行ったんです。そのときにコートを着た野村さんがやってきたんだけど、もうヨボヨボの幽霊みたいなの(笑)。正直言って、「これで監督が務まるのかな?」って思ったよね。

――覇気がないというのか、体力的に激務に耐えられるのかというか……。

八重樫 うん。ちょっとだけあいさつしたんだけど、すぐに長いコートを着てパイプ椅子に座ったままで、「身体、大丈夫なのかな?」というのが最初の印象だったな。

――じゃあ、その次に会うのが翌年2月のユマキャンプですね。その時点では「ヨボヨボの幽霊」状態から体力は回復していたのですか?

八重樫 東京で会ったときよりも、ずっと元気になっていましたね(笑)。そして、1クール終わる頃には、見違えるぐらい元気になっていたな。

――やっぱり、現場に戻ると野球人の本能として活力がみなぎってくるんですね。

八重樫 いや、そういうことじゃなくて、別に理由があったんです。東京にいた頃はサッチー(沙知代夫人)から、体調管理のために厳しい減塩指導を受けていて、塩気のないものばかり食べて、大好きな甘いものも控えていたんだよね。でも、ユマに着いてサッチーの目がなくなったので、普通のしょうゆや塩を使う料理を食べて元気になったんじゃないのかな? ポケットにも甘いものが、いつも入っていましたから(笑)。

【伝説の「野村ミーティング」】

――1978(昭和53)年の広岡監督時代から始まったユマキャンプですが、日本国内でのキャンプと比べて、どんな利点があったんですか?

八重樫 日本の場合はやっぱり湿気がすごいけど、ユマは砂漠地帯だからカラッとしていて気持ちいいんですよ。空気が澱んでいないから、汗をかいても自然に引いていく。快適でしたよ。何面もグラウンドがあるから、練習メニューも豊富だったし、当時はパドレスとの提携関係もあったから、合同で練習をしたり、いろいろ利点はありましたよ。


当時を振り返る八重樫氏 photo by Hasegawa Shoichi

――ユマキャンプと言えば夜のミーティングが話題となりました。いわゆる「野村ノート」に通じる、このミーティングの印象を教えてください。

八重樫 練習が終わって、食事をしてから1時間ほど、毎晩ミーティングが行なわれたんだけど、まさか、あんなに長いミーティングになるとは思っていなかったから、最初はみんな驚いていたね。でも、僕らベテランはそれ以前に森(祇晶)さん経由で野村さんに来てもらって講演を聞いたことがあったんで、「あ、この人は話が長い人なんだ」という事前知識があったから、僕はそんなに驚かなかったな(笑)。

――そのときの講演はどんな内容だったのですか?

八重樫 とても厳しい内容でしたよ。「このチームにはプロと呼べる選手は一人もいない」って、第一声でハッキリ言いましたからね。若松(勉)さん、大杉(勝男)さん、松岡(弘)さんなんかは、「この野郎」って思ったんじゃないかな? その後に「強いて言えば若松くらいかな?」って言って、あとは長嶋(茂雄)さんへの批判だった(笑)。

――若松さんも、大杉さんも、ムッとしたでしょうね。

八重樫 たぶんそうだったと思うけど、それが野村さんのやり方なのかもしれないね。

【八重樫版「野村ノート」、本邦初公開!】

――さて、実際のミーティングはどのように行なわれていくのですか?

八重樫 野村さんがしゃべるのは最初の数分だけで、あとはひたすらノムさん自らホワイトボードに板書を続けるんです。もう、よどみなく次から次へと書いていく。僕らはそれを必死でメモを取る。その繰り返し。とにかく書くのが速いんです。で、ホワイトボードいっぱいになると、マネージャーが裏返してしまうから、とても大変でしたよ。

――みんな真面目にノートをとっているんですか?

八重樫 書かなかったのは(長嶋)一茂と、飯田(哲也)かな? でも、たいていの選手は真面目に書いていましたよ。ギャオス(内藤)なんかも、ああ見えて実は真面目で必死にメモを取っていたし、池山(隆寛)も、メモを取り切れないときには、ミーティング終了後にマネージャーに確認に行ったりしていましたからね。

――ミーティング当初は野球の話はほとんどしないで、人生論や精神論が多かったと聞きましたが……。

八重樫 そうだったね。でも、確かに野球には関係ない話のようではあるけど、それまでに聞いたことのない話ばかりだから、僕は面白かったですけどね。最初に聞いたのは「耳順」という、論語の言葉でした。他にも「働き一両、考え五両」という言葉も印象に残っていますね。

――「耳順」は、六十歳の異名で、「耳、したがう」で、「人の意見を素直に受け入れる」という意味ですよね。「働き一両、考え五両」とはどういう意味ですか?

八重樫 考えることの大切さを言った言葉ですね。野村さんによると、「考え方が取り組み方になり、訓練によって取り組み方が習慣を作り、習慣が性格を作っていく」ということなんだけど。ちなみに、「考え方の大敵はしゃべりすぎ、食べすぎ」だから、注意しなくちゃね(笑)。

――他に印象に残っている話はありますか?

八重樫 ちょっと、待ってね(とカバンからルーズリーフを取り出す)。

――おおっ! これは野村さんのミーティングの内容を八重樫さんが記した「野村ノート」の原本ですか?

八重樫 そう、ちょっと読んでみるね。たとえば「知識の入手法」として、「(1)困難な中から身につく、(2)生まれながらに身についている、(3)学んで身につく」とした上で、「自己啓発しながら仕事をしていくのが出世の早道」と書いてあるね。じゃあ、どうやって自己啓発したらいいと思う?

――本を読んだり、人に意見を求めたりですか?

八重樫 なかなか鋭いね。野村ノートには「(1)意欲を持つ、(2)読書、(3)人の話を聞く、(4)討論する、(5)よく観察する、(6)考える」とある。そして、生活の中では「聞く50%、話す30%、読む15%、書く5%」のバランスが理想的だということだね。

――ちょっと、面白すぎますよ、八重樫さん! まだまだ伺いたいことはたくさんあるので、ぜひ次回もこの続きからお伺いします。

八重樫 了解です。じゃあ、ひとまず(飲み物の)お代わり頼んでいいかな?

――どうぞ、とうぞ!

(第9回に続く)

著者:長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi


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