リーガに挑んだ日本人(6)

「ギリギリのところで戦っていないと、自分はダメなんです」

 リーガ・エスパニョーラ2部で、カステジョン、ヌマンシア、ラス・パルマスと3チームを渡り歩いた福田健二は当時、その信条を語っている。

「自分との対話ですよ。『できるよな?』『ああ、やってやる!』って。そう自分に言い聞かせることで、生きているという実感を得られるんです。しがらみ関係なく、誰とでも競争して。たとえばクロスに飛び込んでゴールしたら、お互いが通じ合って、そこから信頼が生まれて、自信もつく。そのとき、成長する感触がいいんですよ」

 福田は人生を懸け、スペインに渡り、大きな足跡を残している。


2006−07シーズン、スペイン2部ヌマンシアでプレーした福田健二

 1996年に習志野高校を卒業した福田は、名古屋グランパス、FC東京、ベガルタ仙台でプレーした後、パラグアイ1部の名門グアラニに移籍した。給料を20分の1にしても、新天地を求めている。パラグアイでは10得点を記録し、堂々のエースだった。その後、メキシコの強豪パチューカに移籍し、リベルタドーレス杯に出場。主戦場はパチューカ・ジュニアーズで2部だったが、12得点した。その活躍で、次はイラプアト(メキシコ)に引き抜かれ、10得点を挙げた。

「ゴールすることで自分の道を作る」

 その言葉どおり、2006年1月にはスペインの2部カステジョンへの移籍が決まった。パラグアイ時代の恩師の推薦を受けてで、南米経由の欧州移籍だ。

 ただ、その1年目は苦しんでいる。17試合2得点と振るわず、戦力外通告を受けた。スペイン国内での移籍先が決まらないまま、毎日12キロ走り、ジムに通い、粘り強く機会を待った。「お前の居場所はない」と言われても、へこたれていない。出稼ぎ外国人労働者たちがサッカーをしていれば、そこに混ぜてもらい、ゴールを決め続けた。

「パスをよこせ」

 死に物狂いの形相で叫び、もらえなければ相手ボールを奪い返し、そのままドリブルで蹴散らし、シュートを叩き込んだ。

 そんな日々のなか、福田は代理人から連絡を受け、同じ2部のヌマンシアのテストを受けられることになる。開幕直前、最後のチャンスだった。

「ケンジはカステジョンで対戦して、面白いFWだと思っていたよ」

 当時、ヌマンシアを指揮していたアンドニ・ゴイコエチェア監督は、そう証言している。ゴイコエチェアは現役時代、ディエゴ・マラドーナの足をタックルでへし折ったことで知られる猛将だ。

「ケンジは眉間にしわを寄せ、怒ったような顔でボールを追い、ゴールを狙う姿が印象的だった。ヌマンシアはFWの駒が足りなかったし、代理人を通じてテストに誘ったんだよ。カステジョンを戦力外になっていたが、そんなのは関係なかった。彼の闘争心はすさまじく、私が求めていたFWだったんだ」

 テストに合格した福田は、ヌマンシアの選手になった。

 福田は開幕から出場機会は限られ、しばらくゴールがないことで罵声を浴びていた。しかし、11月に古巣カステジョンを相手にゴールすると、状況は一変した。

「ゴールでこれだけ変わるんだな、と思うくらい変わりました。娘が幼稚園で『お前のパパ、ヒーローだな』って言われたらしい。それまで、『お前のパパ、点とれないな』とバカにされ、『幼稚園に行きたくない』って駄々をこねたことがあった。自分もスタジアムで罵声を浴びていましたが、一瞬でそれを変えられる。この瞬間は最高だなって」

 福田は着実にゴールを決めるようになって、エースとして1部昇格争いに貢献した。第27節のベシンダリオ戦では、左サイドからのクロスを得意のヘディングで叩き込み、4位にまで順位を押し上げている。

 ヌマンシアはその後、力不足で失速を余儀なくされるのだが、福田のハイライトは第37節のラス・パルマス戦だろう。チームの不振に合わせ、福田も精彩を欠き、前節は先発を外されていた。

「ケンジ、お前は戦っていない」

 ゴイコエチェア監督に決めつけられたことに腹を立てた福田は、「次の試合、目の前でゴールしたら、監督にイホ・デ・プータ(スペインでは相手を侮辱する最大級のスラング)って叫びますから」と売り言葉に買い言葉で言った。

 そして後半44分、福田はリードされた展開で投入されている。体が自然に動いた。体の奥が燃え上がるようで、誰にも負ける気がしなかった。角度のないところから右足を振り抜き、ファーサイドに叩き込む。すかさずユニフォームを脱ぎ、上半身裸で「イホ・デ・プータ!」と叫びながら、監督に駆け寄った。さらにアディショナルタイム、今度は振り向きざまに決め、逆転で勝利をもたらしたのだ。

「2点取ったから、今回は許す。1点なら、許さなかったぞ」

 ゴイコエチェア監督にそうたしなめられた。福田は笑顔で返している。人生をかけて戦う日々に痺れていた。

 福田は2006−07シーズン、10得点を記録している。

 次のシーズン、福田はラス・パルマスから熱烈なオファーを受け、移籍を決断した。1部昇格を目指し、最後まで戦った。しかしスタートの時点で、前シーズン終盤戦のケガがたたって調子が上がらず、15試合出場で3得点に終わっている。チームもかろうじて2部に残留した。

 福田はその後、スペインを去って、ギリシャのクラブに移籍している。故郷の愛媛FCでプレーした後、香港リーグに4シーズン在籍。2015−16シーズン、「最受球迷歡迎球星」(サポーター投票で1位)を受賞し、世界を駆け巡る戦いの幕を閉じた。

 リーガ2部とは言え、日本人選手で2けた得点という記録は、その後も破られていない。
(つづく)

著者:小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki