僕はこうして逆境を乗り越えてきた 〜宇賀神友弥(浦和レッズ)〜

 Jリーグの再開が決まり、チームの全体練習が再始動したことについて触れれば、浦和レッズの宇賀神友弥はうれしそうだった。


2018年の天皇杯・決勝で優勝に導くゴールを決めた宇賀神友弥

「やっぱり、みんなでボールを蹴れるというのは楽しいですね。あらためてサッカーの楽しさを感じることができた。(練習場に行く時は)夏休み明けの学校に行くみたいな気分でした。

 これからは、さらに試合ができる喜びを感じていくんだと思います。公式戦は無観客で再開されますが、そこでは今度、ファン・サポーターの大切さ、ありがたみを感じるんだろうなと」

 とはいえ、活動自粛中もみっちりとトレーニングしていたようだ。

 宇賀神は2018年に、地元・埼玉県戸田市にフットサルコートをオープン。新型コロナウイルス感染症の影響で施設の利用を休止していたこともあり、そこで練習に励んでいたという。

「幸い環境には恵まれていたので、体幹トレーニングも含めて、今まで以上に集中して取り組めたところはあります。だからなのか、全体練習が再開された時も、周りから『身体がゴツくなったよね?』って言われました」


 画面越しではあるが、たしかに以前よりも上半身ががっしりしているように映った。それを伝えると、「練習着が小さくなったみたいに見えるんですよ」と、笑いながら胸を張った。

 宇賀神が活動自粛期間中に励んでいたのは、肉体強化だけではなかった。4月中旬には、やはり地元である戸田市の病院や高齢者施設を中心に、3万枚ものサージカルマスクを寄付した。

「チームメイトの長澤(和輝)選手に『今、医療現場が大変なことになっているのは知ってる?』という話をされたことがきっかけでした。当時の医療現場は物が不足していて、とにかくマスクが足りていないという情報を聞いたんです。自分にはたまたまマスクを入手できる手段があったので、こういうのはタイミングも大事だなと思って動きました。

 サッカー選手はよくも悪くも影響力のある存在。こういう時に行動を起こすことによって、感染しないための注意喚起になったり、医療従事者の方たちにさらなる感謝の気持ちを持って接するきっかけになればと考えたんです。

 あとは、試合が開催できないことで、クラブも収入面で苦しんでいた。そうしたなかで『自分たち選手には何ができるのか』と思っていたんです。それで、みんなが困っている時に『浦和レッズの選手はこういうことをした』というのが伝われば、試合を見に行ってみようと思う人や、そうした活動をした選手というのはどんなプレーをするんだろうと興味を持ってくれる人もいるのではないかと感じたんです。


 SNSやブログも毎日のように更新していますけど、サッカー選手やクラブの価値を高めるのって、一番はそういうことなのかなと。そうした貢献が、スタジアムに来てくれる人を増やすのかなって」

 宇賀神はここ数年、スタジアムに足を運んでくれた人たちに対して、ただ勝利を届けるだけでなく、それ以上の”何か”を感じ取ってもらいたいとの気持ちが強くなっていると話してくれた。

 サッカー選手であり、浦和レッズの一員である自分たちには、もっと”何か”ができるのではないか……。その契機は、かつてのチームメイトが与えてくれた。

「チュンくん(李忠成/現・京都サンガ)が以前、サウサンプトンでプレーしていた時の経験を話してくれたことがあるんです。プレミアリーグの選手たちは、財団を立ち上げたり、社会貢献活動や奉仕活動を積極的にしていると。だから、イギリスではサッカー選手の価値がとにかく高いんだって。

 その話を聞いて、じゃあ、Jリーガーはどうなんだって考えたんです。日本でのサッカー選手のイメージを周りに聞けば、おそらくお金をもっている、もしくはチャラい。このくらいしか出てこないんじゃないかなって。プレミアリーグの選手の話を聞いた時、Jリーガーってまだまだだなって思ったんです。


 でも、それならばこのふたつのイメージに、『サッカー選手ってみんなのためにいろいろなことをやっているよね』というのを、もうひとつ足したいなって。こんな自分でもいろいろと動けば、少しずつサッカー選手の印象を変えることができるんじゃないかって考えたんです」

 そう語った宇賀神は、「だからこれも、きっかけはチュンくんなんです」と言って笑った。

 今シーズンで浦和に在籍して11年目を迎えているが、素直に「いい歳の取り方をしているな」と感じた。それを伝えると、「レッズで『こんな歳の取り方をしたいな』って思えるような人たちにたくさん出会ってきましたからね」と言って、もう一度、笑った。

「どちらかというと、逆境ばかりの人生ですからね。基本的に苦しいことのほうが多い人生だと思っているんです。つらいことを何とかがんばって、ちょっとの幸せを手にする。人生ってそんなもんだよなって思いながら今まで過ごしてきた」

 そんな宇賀神が、自ら「逆境」に立たされたと位置づけたのは、2018年3月23日の出来事だった。それは、日本代表として初めてピッチに立った日のことだ。


 ベルギーで行なわれたマリとの親善試合で、当時率いていたヴァイッド・ハリルホジッチ監督に抜擢された宇賀神は先発出場する。しかし、前半終了間際にペナルティエリア内でファウルを犯してPKを献上。失点の原因を作ると、前半終了とともに交代を命じられた。

「公式戦でPKを与えた記憶ってほとんどないんですよね。だから、人生初の機会があの試合になってしまったんです。しかもW杯の直前にチャンスを与えてもらったのに、ああいうことになってしまった。代表戦はたくさんの人が見ているし、インパクトはだいぶ大きい。レッズでのプレーも含めて、ここから挽回するのは大変だなと思いましたし、かなりの逆境だと思いましたね」

 結果を残してやると意気込んではいたが、いつもどおりのプレーをしようと心掛けてはいた。だが、浦和で慣れ親しんできた左WBではなく、右SBで出場したことも影響したのだろう。

「PKを与えた直後は前半の残り時間もわずかだったので、後半に挽回するしかないなって思っていたんですけど、ロッカールームに戻ったら、あっさりと交代だと告げられて……。その時は、このチャンスにこういう結果を招いてしまった自分の実力はここまでだったんだなって思いましたね」

 その日は、宇賀神にとって節目となる30歳の誕生日だった。


 その後も続いた欧州遠征が終わり、帰国すると、兄と弟がサプライズで誕生日パーティーを開いてくれた。兄弟は落ち込んでいるであろう宇賀神を気遣って、「お前のせいで、みんなからめちゃくちゃ連絡がきたよ」「お前のお兄ちゃん、やっちゃったなって言われたよ」と笑いにしてくれたというが、その席でこう誓ったという。

「ごめん。でも、絶対に見返してみせるから」

 沸々と込み上げてくるものがあった。

「それまでにも逆境ってたくさんあったんですけど、自分に与えられた試練は、乗り越えられないものはないって思っているんです。この壁は『キチーなぁ』って内心は思っているけど、これは自分にしか乗り越えられないから与えられているんじゃないかって、その時はずっと考えていましたね」

 その年の12月9日に行なわれた天皇杯・決勝。

 チームを勝利に導くゴールを決めたのは、ほかでもない宇賀神だった。前半13分、相手のクリアボールに走り込む豪快なボレーシュートだった。


「代表戦(でのPK献上)があったその年の最後に、あれを決めるかみたいな思いはありましたよね。(天皇杯で優勝した時に)成長できたなって思いました。悔しい思いをして、それでもあきらめなかったから、あのゴールがあった。見返せたわけじゃないかもしれないけど、自分としてはひとつ逆境を乗り越えられたかなと」

 浦和ユースでプレーしていた高校生の時は、トップチームに昇格できず、悔しさを秘めて流通経済大学へと進学した。そこでクサらずに成長したからこそ、浦和から再びオファーをもらい、プロへの道を切り開いた。

 プロ1年目から試合に出場する機会を得られたが、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督が就任した2012年は開幕から10試合もの間、ベンチを温めた。現在コーチである当時32歳の平川忠亮に「いつまで俺を試合に出させるんだ。さっさと俺を越えろ」とハッパをかけられて奮起したことが、ポジション奪還につながった。

「いつも逆境に立たされた時、これを乗り越えた時の自分はどれだけすごい景色を見られるのだろうって考えるんですよね。起きてしまったことは取り戻せない。考えるし、悩むけど、取り戻すことはできないんです。だったら、その後、自分に何ができるか、自分が何をするかが大切なんじゃないかなって」

 振り返れば、これまでも毎年のようにポジションを争う新加入選手が補強されてきた。だが、宇賀神はそうした競争に勝ち、存在感を示してきた。


「今、32歳。自分としては35歳までレッズでプレーしていたいという目標はあるんですけど、レッズに居続けるためには、ずっと戦力であり続けなければいけないですよね。

 今年も大きな逆境に立たされていると思いますけど、リーグ再開後は連戦にもなりますし、パッと使われた時に活躍できる準備をしておかなければならないと思っています。今年は本当に正念場だと思っているので」

 あらためて、いい歳の取り方をしているなと思う。

 宇賀神に自らが言った言葉を送りたい。逆境を乗り越えた先には、きっとまた、まばゆい景色が広がっているはずだ。そして、これまでも、これからも宇賀神にとって逆境とは、乗り越えるためにある。

著者:原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke