当事者が振り返る40年前の「大誤審」 中編

前編:元主将が振り返る40年前の「カワコウ」>>

後編:「大誤審」が起きた後の混乱>>

「自分にとって上尾戦は特別な思い入れがあったんです」

 40年前の夏の記憶を思い起こして、国府田等(こうだ・ひとし)さんはしみじみと語った。国府田キャプテンが率いた川口工業は「史上最悪の大誤審」の動画で後年にネット界を騒がせたが、実はもうひとつの「知られざる死闘」があった。


当時の川口工業ナインを紹介する記事の一部(写真/国府田さん提供)

 1980年夏の埼玉大会、ダントツの優勝候補に挙げられたのは上尾だった。何しろ同年春の選抜高校野球大会に出場するなど、1979年夏から県内無敗の戦績を誇っていたのだ。仁村三兄弟の三男・健司さんは全国的に名の知られた好投手だった。

 そんな上尾と埼玉大会準決勝で対戦したのが川口工業だった。

 国府田さんは指先を真っすぐ伸ばした両手を狭めるようなジェスチャーをして、苦笑混じりにこう言った。

「私は入り込むと、周りが見えずに突き進んでしまうタイプなので……」

 そんな猪突猛進型のキャプテンが見せた、世間の「高校野球」のイメージを覆すプレーの数々を再現してみたい。

 1回表、川口工業は1番打者の国府田さんが左打席に入る。その初球、仁村さんの投げた内角低めのストレートに対し、国府田さんは真下にしゃがみ込む。ボールは国府田さんが突き出した右ヒザ周辺に直撃した。投球をよけるというより、むしろ積極的に当たりにいっている動作である。

 判定はデッドボール。すると国府田さんはバットを持ったまま両手を腰に当て、マウンドの仁村さんをにらみつけて、つかつかと2歩、3歩と近づいたのだ。

 高校野球でまさかの乱闘か……と思わせる、見ているだけで冷や汗が出るシーンである。さらに、これだけでは終わらない。

 続く2番打者の送りバントがファーストの正面に強く転がり、上尾のファーストは二塁に送球する。ここで一塁ランナーの国府田さんはスライディングするのだが、ベクトルは二塁ベースではなく、明らかに送球を待ち受けるショートに向いていた。


高校生時代の国府田さん(写真/国府田さん提供)

 ヘルメットが吹き飛ぶほど強烈なタックルを浴びたショートは送球を捕球できず、国府田さんはセーフになる。さらに驚くことに、「加害者」であるはずの国府田さんがショートをじぃーっとにらみつけたのだ。いわゆる「ガンをつける」状態である。

 無死一、二塁となり、3番打者の関叔規(よしのり)さんが送りバントを試みる。ところが、動揺を隠しきれない仁村さんが打球を弾き、無死満塁になる。川口工はこのチャンスを生かし、1点を奪い主導権を握ったのだった。

 40年経った今、国府田さんはこう懺悔する。

「あれ(ショートへのタックル)はえげつなかったと思います。完全に当たりにいっていましたから、ラフプレーでアウトを取られても仕方ない。今になっていろんな人から言われますよ。『あれは今だったら絶対アウトだよ』と。自分でもそうだろうなと思います」

 ただ「アウトになりたくない」という一心だったという。二塁ベースに入ったのが誰かはその時はわからなかったが、「行くしかない」と体ごと突っ込んだ。だが、実は、その二塁に入ったショートとは中学時代からよく知っていた仲だったという。

「彼は同じ地域で野球をやっていましたし、話をしたこともありました」

 こちらが「知り合いにガンつけたのですか?」と驚いていると、国府田さんは「あとになって『お前、怖すぎ』と言われました」と苦笑した。誰彼構わずに威圧する40年前の高校球児と、目の前でにこやかに語る温厚な紳士が同一人物とはとても思えなかった。

 死球を受けて仁村さんに詰め寄ろうとしたシーンについて聞くと、国府田さんはあっさりとした口調で「あれはパフォーマンスです」と答えた。

「あんなことは初めてやりました。こういう展開は上尾にしてみれば初めてでしょうし、わざといつもと違う感覚にさせたかったんです。結果的に川口工業にとっては戦闘スイッチが入ったところがあるのかもしれません」

プロ野球の「勝利の女神」。美人チアリーダーたち>>

 国府田さんと同期であり、当時のエースで3番打者の関さんにも話を聞いてみた。関さんは川口工業の好戦的な態度について「監督さんの教えもありました」と明かしてくれた。

「『相手に弱いところを見せるな』と言われていました。戦う場なんだから、こっちが優勢に持っていかなければいけないと。デッドボールを受けても痛いふりをするのではなく、むしろ威嚇しろという教えでした。国府田に限らず、試合になるとみんなどんどん向かっていく感じでしたね」

 そう言う関さんも、打席に入った際に上尾の捕手をにらみつけるシーンがしっかりとテレビカメラに抜かれている。

「いろいろ言うから、『うるさいな』と思って。たぶん、国府田のスライディングのことで何か言われたんじゃなかったかな。話しかけられないとそっちは見ないので」

 前編でも触れたように、川口工業にはやんちゃ気質の生徒はいても、決して日常的にケンカに明け暮れていたわけではない。とくに野球部には、本来は威圧的な態度をとるような選手は多くなかった。それだけに、国府田さんは「チームに火をつけるために演じていた」と明かす。

 国府田さんたちを指導した大脇和雄監督は川口工業を強化し、初めて甲子園に導いた監督だった。黒縁の広いフレームの眼鏡をかけ、厚みのある体形をした大脇監督は社会人野球出身らしく戦略の長けた知将だった。国府田さんに言わせれば、「基本を重視するオーソドックスな野球」。そんな大脇野球だが、格上の上尾に対しては敵愾心(てきがいしん)をむき出しにした。

 上尾戦では、大脇監督はある奇策に出ていた。キャプテンの国府田さんを1番打者に起用したのだ。それは練習試合を含めても初めてのことだった。だが、国府田さんには予感めいた出来事があった。

「上尾戦の前に夢を見ていたんです。それまでずっと3番を打っていたのに、夢のなかでは1番を打っていて、しかも初球にデッドボールを当てられたんです。まさかデッドボールの部分まで正夢になるとは思ってもみませんでしたけど」

 そして、国府田さんはしみじみと、こうつぶやいた。

「監督と何か相通じるものがあったのかなぁ……」

 中学時代に上尾の野本喜一郎監督からも熱心な勧誘を受けていた国府田さんにしてみれば、上尾を倒さないことには川口工業に進んだ自分の決断を否定することになる。どうしても負けられない相手だった。

 8回には国府田さんがセンター前ヒットを打ってチャンスを作り、関さんがライトオーバーのタイムリーヒット。リードを2点に広げる。投げてはエース左腕の関さんが一世一代の快投を披露し、上尾を1失点に抑えて完投。関さんは当時の自分を「ただただガムシャラにやっていただけだった」と振り返る。

 大番狂わせを起こして、川口工は決勝進出を決めた。

 高校生らしいふるまいやマナーが重んじられる現代では、当時の川口工業の野球はにわかには理解しがたい感覚もある。ラフプレーを美化するわけでも、正当化するわけにもいかず、また当事者たちもそれを望んでいない。

 とはいえ、国府田さんの頭を支配していたものは「甲子園に行けたら死んでもいい」と言うほど決死の覚悟だった。40年前にも、甲子園に対してそれほどの思いを持っていた球児がいたことを記しておきたい。

 そして川口工業は、続く熊谷商業との決勝戦に臨む。そこで伝説の「大誤審」が起きるのだった。

後編につづく>>

著者:菊地高弘●取材・文 text by Kikuchi Takahiro