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『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』 
第Ⅱ部 高め合うライバルたちの存在(3) 

数々の快挙を達成し、男子フィギュア界を牽引する羽生結弦。その裏側には、常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱がある。世界の好敵手との歴史に残る戦いやその進化の歩みを振り返り、王者が切り拓いていく未来を、長年密着取材を続けるベテランジャーナリストが探っていく。  


2015年グランプリファイナルで優勝した羽生結弦(中央)。左は2位のハビエル・フェルナンデス、右は3位の宇野昌磨

 2015年の世界選手権。羽生結弦は、ケガや手術で準備期間が十分でないながらも、本気で連覇を狙っていた。しかし、羽生を2.82点差で抑えて優勝したのはハビエル・フェルナンデス(スペイン)だった。

 羽生が12年からブライアン・オーサーに師事し、カナダのクリケットクラブを本拠地にした理由のひとつに、フェルナンデスの存在があった。11年からオーサーの指導を受けていたフェルナンデスは、羽生が初出場した同年のグランプリ(GP)ファイナルで、チャンと髙橋大輔に次ぐ3位になった。ショートプログラム(SP)で4回転トーループをクリーンに決め、フリーでも4回転トーループに加えて4回転サルコウもきれいに跳んだ。サルコウも含めた4回転の技術を高めるためにも、彼と一緒に練習することがプラスになると、羽生は考えたのだ。

 15年のGPファイナルでも、フェルナンデスはSP2位発進の後、フリーで4回転サルコウ2本を決めて201.43点の高得点を出した。この大会で羽生は歴代世界最高得点で優勝したが、「(フェルナンデスに)プレッシャーを与えられた」と話していた。

 トロントにあるクリケットクラブのリンクの壁には、クラブを拠点とし、五輪や世界選手権のメダリストになった歴代の選手の名前が記されている。そこには「ソチ五輪ゴールド」の羽生の名前もあり、「世界選手権ゴールド」のフェルナンデスの名前もある。当時、羽生は「彼は僕の名前を見て、『次は自分が......』と思っているはずですけど、僕も彼の名前を見て感じる悔しさがモチベーションになっている」と話していた。そうした思いを持ちながら毎日過ごせる環境は「恵まれたもの」とも語った。

 自身が完璧な演技で優勝した時も、ライバルとしてフェルナンデスの名前を口にしていた。その2015年12月GPファイナル、フリー演技のこと。SPで史上最高の110.95点を出した羽生が演技を始めた時、それを見ている記者としては、高得点への期待感より不安の方が上回っていた。

 試合後に、「フリーの演技前に連戦の疲労がピークに達していた」と吐露した羽生。彼が常々話しているように、SP、フリーともミスのない演技をするのは極めて難しい。この大会では、ノーミスの演技をすれば、11月のNHK杯の322.40点を上回る結果になる見通しだった。だが公式練習の動きや期待による重圧を考えると、「2大会連続で記録を更新できるのか」という疑問が、どこかにあった。

 6分間練習で少し腰が落ちる着氷になっていた4回転サルコウを完璧に決めても、次の4回転トーループをきれいに決めても、その不安は消えなかった。

 その後も、ジャンプをひとつ決めるたびに安堵(あんど)と不安が交互に去来する。ようやくホッとひと息つけたのは、このシーズン序盤のオータムクラシックやスケートカナダでミスが出ていた最後の3回転ルッツをきれいに決めてからだった。

 それは、羽生自身も感じていたことだった。

「ジャンプの不安要素を修正できないまま直前練習が終わってしまいました。それに加えて、パトリック(・チャン)選手や宇野(昌磨)選手の演技がよかったということが観客の大歓声でわかっていました。極めつけは、僕の前のハビエル(・フェルナンデス)が200点超えで『やばいな......』と。自分で自分を追い込んだところもありましたが、NHK杯の前からたくさん練習できていたので何とかなったのだと思います。演技の途中で徐々に不安はなくなってきましたけど、明確な記憶としてあるのは、前半の4回転トーループを跳んだ時に少しホッとしたことだけです」

 羽生自身、「いっぱいいっぱいだった」と振り返るこのフリーの演技。NHK杯ではGOE(出来栄え点)満点の3点加算はトリプルアクセル+2回転トーループだけだったが、この時は最初の4回転サルコウと4回転トーループも満点で、技術点を120.92点にした。そして、演技構成点は9人のジャッジが10点満点をつけた項目は23。合計で98.56点を獲得した。結果、歴代最高の219.48点を獲得し、合計も330.43点と他の追随を許さない得点をたたき出した。

「ここへ来るまで、本当にたくさんの方が調整のペースやピークを考えてくれた。もちろん、僕自身もしっかり考えてやって、フリーにピークを合わせようという狙いがありました。練習はそれほどよくありませんでしたが、自分で考えて練習をしてきた自信はあったので、それは出せたかと思います」

 これまでSP、フリーともに「ノーミスの演技は、地方大会くらいでしかやったことがなかった」と話す。だが、今シーズンはそれをNHK杯とファイナルという大舞台でやってのけた。前年シーズンをアクシデント続きで満足に練習できなかったことを考え、「練習が思うようにでき、それに耐えることができる身体であることが幸せだと思う」とも言った。 

 驚異的な高得点を出した羽生だが、自分ひとりが突き抜けたという意識はなかった。それは羽生が、フィギュアスケートは常にノーミスの滑りをできるような甘いものではないと、知り尽くしているからだろう。 


2015年グランプリファイナルのSPで史上最高の110.95点を出した羽生

「実際、今回もハビエルの演技には驚きました。別に得点がどうこうじゃないんです。得点がすごく注目されて『世界最高得点の演技』と、メディアもファンもワーッとなっていることもたしかにうれしいのですが、自分が目指しているのは、『自分の演技をどれだけ究められるか』『一つひとつの要素を究めていけるか』ということです。僕の演技が好きだと思ってもらえたらうれしいですし、『すごい』『感動した』『また見たい』と言われるような演技を、ジャンプも含めてこれからできるように練習をしていきたいです」

 このGPファイナルで、羽生は300点超えが特別なものではなく、いつでも出せる可能性があるものだと証明した。2大会連続の300点超えで、羽生はフィギュアスケートの持つ可能性を大きく広げた。そして、さらに上を目指す意欲を、彼は持ち続けていた。 
(つづく) 

*2015年12月配信記事『「得点だけではない」。羽生結弦が世界最高のその先に目指すもの』(WebSportiva)を再構成・一部加筆 

【profile】 
羽生結弦 はにゅう・ゆづる 
1994年12月7日、宮城県仙台市生まれ。全日本空輸(ANA)所属。幼少期よりスケートを始める。2010年世界ジュニア選手権男子シングルで優勝。13〜16年のGPファイナルで4連覇。14年ソチ五輪、18年平昌五輪で、連続金メダル獲得の偉業を達成。2020年には四大陸選手権で優勝し、ジュニアとシニアの主要国際大会を完全制覇する「スーパースラム」を男子で初めて達成した。

折山淑美 おりやま・としみ 
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。92年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて14回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は94年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追っている。

著者:折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi