今年もまた、この日がやってきた。
東日本大震災の記憶を、多くの人々が、改めて、思い返す日が。
被災地のチームであるベガルタ仙台は、発災当日の3月11日か、その前後のリーグ戦が、ホームに設定されている。J2リーグで戦う今シーズンは、3月12日の第4節をユアテックスタジアム仙台で戦った。
対戦相手のいわきFCも、被災地のチームだ。両チームは2017年9月に、福島県いわき市で震災復興のチャリティーマッチを行なっている。(当時)福島県1部リーグのチームとJ1リーグのチームの対戦は、「次はJの舞台で」との期待を両チームの関係者に抱かせた。それからおよそ6年の時を経て、両チームがJリーグで相まみえたのだった。
試合前には黙とうが捧げられた。同日ごく普通のタイムスケジュールで進行される試合が並んだなかで、ユアテックスタジアム仙台は厳粛な沈黙を経てキックオフを迎えた。地元紙がスポンサードしたこの一戦は、『復興応援試合』と銘打たれている。
3月12日に行なわれた『復興応援試合』で白熱した戦いを見せたベガルタ仙台といわきFC
伊藤彰監督が率いる仙台は、ここまで1勝2分である。昨シーズンの課題だった守備を整備した一方で、昨シーズンJ2リーグ2位の得点を記録した攻撃陣が控え目だ。3試合で2得点にとどまっている。
J3から昇格1年目のいわきは、1分2敗でアウェーに乗り込んできた。こちらは3試合を終えて勝利をつかんでいないが、負けた2試合も1点差ゲームだ。試合内容は悪くない。
はたして、序盤から試合の主導権を握ったのはいわきだった。4−4−2のシステムで2トップから連動して規制をかけ、パスコースを限定してボールを奪いにかかる。3−1−4−2の仙台とはシステム上のミスマッチが生まれるものの、ボールホルダーに素早くアプローチしていく。ハイプレスとプレスバックをセットにして球際で激しくバトルし、主導権を引き寄せていった。
20分には試合が動く。
いわきが、動かした。
MF山下優人の左CKはクリアされるが、セカンドボールをペナルティーエリア正面外にいたMF嵯峨理久が収める。ペナルティーエリア内左にいたDF江川慶城は、その瞬間にボールがくることを予感した。
「嵯峨選手にいい形でボールが入ったので、ワンタッチで上がってくるなと思って、相手選手より先にいいポジションを取れて、しっかりと触ることができました」
緩やかな軌道を描いたヘディングシュートが、相手GKの林彰洋の頭上を越えていく。ゴールカバーに入る敵DFの菅田真啓のクリアも許さず、ボールはゴールネットを揺らした。
「欲張って自分がゴールを取ろうというよりは、ファーサイドのポスト際へボールがいけば事故が起こるかもしれない、もしくはそのまま入ったらラッキーだなぐらいの感じで頭で流し込んだら、自分の気持ちが乗って(ボールが)ゴールのほうへいってくれたかな」(江川)
前半は散発な攻撃に終わった仙台は、後半になると攻勢を強めていく。選手交代をきっかけに攻撃的な姿勢を強め、64分にMF相良竜之介の左足シュートがゴールを際どく襲う。相良は70分にも際どい一撃を放つが、ホームのサポーターが沸き立つような場面は訪れない。
いわきは前半開始直後から変わらない運動量で、仙台に圧力をかけている。主将の山下が言う。
「受け身にならずにどんどん奪いにいこう、どんどん前でプレーしていこう、というのが自分たちの強みです。引っ繰り返されても、走力があるので戻ればいいと」
後半アディショナルタイムには、仙台が敵陣左サイドで直接FKを得る。GK林もゴール前へ上がる。仙台のサポーターのチャントも、声量が一段上がった。「せん! だい! レッツゴー!」が連呼され、FW遠藤康がゴール前へFKを蹴り入れる――。
数秒後、仙台のサポーターのチャントが止まった。メインスタンド右側に集まる赤いユニフォームのブロックだけが、歓喜に揺れている。いわきFCのサポーターだ。ピッチ上ではアウェー用の白いユニフォームを着たいわきの選手たちが、喜びを爆発させていた。
いわきはGK高木和徹、DF遠藤凌を除くスタメン9人と7人の控え選手が、J2初挑戦である。大学卒業とともにいわきに加入し、鍛えられてきた選手たちばかりだ。18人の平均年齢は23.33歳で、仙台より2歳以上若い。J2屈指の"無印集団"は、J1昇格候補の仙台を敵地で撃破し、J2での初勝利をつかみ取ったのだった。
試合後の村主博正監督は、興奮を抑えるように話した。
「自分たちのなかでは手応えのある試合をしてきましたが、なかなか勝点が取れなかった。そのなかで、アウェーで仙台と戦う状況を迎えて、何のためにチームが立ち上げられたのかを再確認して、諦めない姿勢をサポーターに見せようと選手たちと話しました。それを最後まで、やり続けてくれました」
チームを代表してマイクを向けられた山下も、「被災地のチーム」としての立場に触れた。2019年から所属する26歳は、GK高木和に次ぐ年長者だ。
「僕たちが必死に戦うことで、勇気や希望を持ってもらえるようにしようと、選手全員で話していました。それが勝利という形になってよかったです」
いわきの選手たちの"必死さ"は、ピッチ上のいたるところで読み取ることができた。彼らと対峙した仙台の遠藤は「僕たちがやりたいことがあまりできなかった」と切り出し、いわきの戦いぶりに触れた。
「それぞれにいろいろな思いを背負ってこの試合に臨みましたが、正直なところ、気持ちの面でいわきのほうが上だったのかなと思います」
仙台のジュニアユース出身のMF郷家友太は、今シーズンの新加入選手だ。プロ6年目の23歳は、J1のヴィッセル神戸から地元のクラブに戻ってきた。前半のシュートチャンスを逃した自分を責めつつ、力強く前を向いた。
「昨日(3月11日)も今日もすごく特別な思いがあって、絶対に勝ちたい思いがすごく強かった。このクラブに帰ってきた時から、J1のステージへ上げたい気持ちでいます。今日の『復興応援試合』だけでなく、"チームのために"という気持ちを一日も忘れずにやっていけば、最後にサポーターのみなさんと喜べると思います」
2011年の東日本大震災から、今年で12年目になる。発災によって外壁の剥がれ落ちたスタジアムの最寄り駅は、もうずいぶん前に元どおりの姿を取り戻している。路面の安全確保のために置かれていたカラーコーンを、持ち出す必要もなくなっている。
街の景色からは、震災の傷跡がほぼなくなっている。ただ、震災の影響には濃淡がある。日常を取り戻した人がいれば、苦しみを抱える人もいる。『3.11』を思い起こすきっかけとなる仙台のホームゲームは、だからこそ、意味があるのだろう。
「震災からの復興が目的でできたクラブとして、ベガルタ仙台さんとJ2の舞台でできるのはホントにうれしかった。ただ、そのことを変に意識するのではなく、自分たちが積み上げてきたものを全力で出しきることは、どの試合でも変わらない。そこは変に気負いすぎることなく、でも、いつも以上の魂を込めて戦いました」
決勝点を決めた江川が語った思いは、両チームの選手とスタッフに共通する思いだったのではないだろうか。
3月11日だけでなく、12日も、13日も、1週間後も、1カ月後も、半年後も、被災地と被災者に寄り添っていく。復興へ向けてともに歩んでいく具体的なアクションとして、被災地のチームは、選手は、どの試合でも、どの瞬間にも、全力を注ぐ。
真っ直ぐな思いが連なるその姿勢が、スポーツの価値を高め、サッカーが被災地に欠かせないものとなっていくのだろう。
著者:戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei