北海道コンサドーレ札幌
小林祐希インタビュー(前編)


オランダのへーレンフェーンで活躍していた当時の小林祐希

 東京ヴェルディでプロ生活をスタートさせて以降、国内外の7クラブを渡り歩いて今季から北海道コンサドーレ札幌でプレーしている小林祐希。移籍はプレーヤーとしての容量を大きくし、人間的な成長を促してくれるが、若い時と30歳を超えた今回の移籍は、少し様子が異なるように見える。

 札幌への移籍はどういう考えで至ったのか。そして、"移籍"そのものについて小林はどう考えているのだろうか――。

「移籍は正直、(移籍先に)行って、(実際に)やってみないとわからないですね」

 移籍というものについて、小林は自身の経験からそう語る。

「移籍するってことは、オファーをくれたチームが、自分が持っている何かを求めてくれたというのと、自分がチャレンジしたいという気持ちとか、いろんな要素が合致して生まれるものだと思っています。それが、うまくいくかどうかというのはまた別の話で、期待されているのに、チームにフィットできずに自分の実力を出せない時もあるし、逆にあまり期待されていなくても、すごい力を発揮できるパターンもある。

 ただ、プレーの結果だけで判断できないところもあります。環境が変わったなかで、順応していくという行為自体が成長につながると思うので」

 小林が初めて移籍をしたのは、ちょうど20歳の時だった。東京Vのアカデミーで育ち、2010年に二種登録選手としてトップチーム(J2)でプレー。2011年にはトップチームに昇格してレギュラーを獲得し、2012年には19歳で主将になった。

 そしてその年の夏、J1のジュビロ磐田に期限付き移籍した。

「この移籍は、完全に"逃げ"でした。キャプテンやって、『10番』を背負っていましたけど、すごく生意気でしたし、チームの輪に自分から入っていかなかったんです。かといって、絶対的な実力があったかというと、そうでもない。

 そのうち、誰からも相手にされなくなって、ピッチ上ではミスが増えて、めちゃくちゃ怒られるし、サッカーが全然面白くない。もう練習にさえ行く気がなくなって......。自分に原因があったんですけど、ヴェルディでは『もう無理だ』と思って逃げました」

 期限付き移籍だったが、中盤で故障者が出た磐田にとって、小林は必要な選手になり、そのシーズンの終わりに完全移籍をした。

「磐田でも、最初は苦労しました。環境を変えて、楽しくサッカーをしたいという気持ちでいたんですが、ヴェルディでそうだったように、人間的に未熟だったので、いろんな人と衝突したりして......。たぶん、本当の意味での自信が自分になかったんでしょうね」

 小林が自らの変化を実感できたのは、2年後の2014年だった。

「自分が変わったな、成長できているなと感じたのは、(ペリクレス・)シャムスカが来てからですね。監督のサッカーにハマり、『今、自分はきてるな』『サッカー楽しいな』って思えたんです。

 シャムスカが途中でいなくなったあとは、名波(浩)さんが監督になりました。名波さんには『プレーは好きにやればいい。あとは、おまえが中心選手としてチームを引っ張っていくうえで言動に気をつけろ』って言われたのですが、それが結構大きかったですね。そこから言動を気にするようになり、コツコツと頑張っていたら、日本代表に入ることができたので」

 2015年、J2を戦う磐田のなかで、小林は中心選手として活躍。最終節の大分トリニータ戦では、アディショナルタイムに決勝ゴールを決めてJ1昇格に大きく貢献した。同シーズンでは、40試合に出場し6ゴールを挙げてキャリアハイの成績を残した。

 翌2016年にはJ1でプレー。リーグ戦で3試合連続ゴールを記録するなどして、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の日本代表に初招集された。この頃の小林は飛ぶ鳥を落とす勢いがあった。

 その夏、小林は海外移籍を決めた。

「2015年ぐらいから海外に行きたいなぁっていう気持ちと、J1でもプレーしたい気持ちが入り混じって、結構悩んでいました。でも、昇格を決めたゴールで『J1でやろう!』と気持ちが吹っ切れた。J1では半年間、すごく楽しくサッカーができた。そのいい流れでオランダに行けました」

 小林は2016年8月、オランダのへーレンフェーンに移籍した。チームにはすぐに溶け込んで、1年目から中心選手としてプレーした。

「最初は海外で環境が大きく変わり、言葉もわからず、いろいろと苦労しました。でも、サッカー面ではプラスばかり。それまで、戦術というものを考えたことがなかったんですけど、オランダが作った戦術を学べた。それはサッカーを理解し、個人戦術を膨らます意味でもすごく大きかったですね。

 同時に、楽しくサッカーができた。自分が望むポジションではなくても、監督から『祐希にはこういうよさがあるから、ここで(それを)発揮してほしい』と言われるので、めちゃくちゃ気持ちよくプレーできるんです。そういう監督との関係であったり、言葉で選手の気持ちを乗せてくれるのはすごく大事だなと思いましたね。

 オランダのあと、ベルギーに行くんですが、いい形でステップアップできていたと思います。ヨーロッパでのプレーは(自分の)成長につながりました。プレー面やコミュニケーション(言語)です」

 オランダでプレーしたあと、2019−2020シーズンにベルギーのベフェレンに移籍。その後、2020−2021シーズンが始まってすぐ、9月にカタールのアル・ホールSCに移籍した。唐突とも言える中東のクラブへの移籍は、どういう理由があったのだろうか。

「スペイン、イングランド、ドイツとかへの移籍が実現できなかったので、あとは欧州の主要国じゃないところで、めちゃくちゃ安い給料で頑張るか、レベルは下がるけど、条件のいいカタールに行くか。その二択、だったんです。

 その時は、"プロ"という基準で考え、自分をより評価してくれるチーム=お金を出してくれるところ、ということでカタールを選びました。そのまま欧州でプレーしていたら、何かが変わったかもしれないですけど、その時は家族があっての選択でもあったので、後悔はしていないです。ただ、カタールで自分がステップアップできたかというと......」

 オールラウンダータイプの小林は、個が強調される欧州のトップリーグではなかなか目に留まりにくかったのかもしれない。主要国からなかなか声がかからない状況に苦しみ、中東に行くのも葛藤があったという。

 とはいえ、個人の高い評価の対価として高額な年俸が保証されたチームに行くことは、プロとしてあるべき姿でもある。実際、南米のトップ選手が中東に行くケースが多いが、オイルマネーがあるクラブが提示する高額年俸は魅力的だ。

 10カ月後の2021年7月、小林は中東から韓国へと戦いの舞台を移した。ソウルイーランド(2部)に移籍を決め、2022年からは江原FC(1部)でプレーした。

「韓国での(個人的な)収穫はあまりなかったですね。収穫があったとすると、理不尽なことも受け入れる気持ちや心構えができるようになったこと。

 自分のプレーがうまくいかないとかではなく、何をしたらいいのかわからない。迷子になっているみたいで、何をしても名前を呼ばれるし、何をしても怒られる。すごく悩みながらプレーしていたので、サッカーがまったく楽しくなかった」

 2022年7月、小林は韓国から帰国し、ヴィッセル神戸に加入した。

 6年ぶりの国内リーグの復帰となった神戸で、小林は後半戦から出場をするようになったが、それには大きなきっかけがあった。

「僕は、めちゃくちゃスピードがあるわけではなく、体がすごく強いわけでもない。周囲とのパスワークで相手をはがして、決定的なパスを出したり、ゴールに絡むタイプなんです。だから、神戸の監督はどこで使ったらいいのか、すごく悩んだと思うんです。

 そんな時、代表で一緒にプレーしていた仲間が『祐希をトップ下にしたほうがいい。中間ポジションでボールを受けてくれれば、リズムを作れるし、守備でも前から追ってくれるから』っていう雰囲気を練習の時から作ってくれた。そういう周囲の後押しがあって、試合に出られるようになったんです。だから、チームメイトにはすごく感謝しています」

 仲間たちの目に狂いはなかった。9月14日のFC東京戦からトップ下で出場すると、2−1の勝利に貢献。7試合続けてトップ下でプレーし、5連勝を果たした。

 神戸のJ1残留に尽力。当初は、今シーズンも神戸でプレーする気持ちでいた。しかし、札幌のラブコールに応え、小林は30歳で9チーム目となる札幌への移籍を決めた。

 今や、若い選手がどんどん海外へ移籍し、J2で結果を出した選手がJ1に個人昇格を果たすことはトレンドとなっている。そうやって、さらなる飛躍を遂げていく選手がたくさんいる。

 移籍というものは、選手個々に何をもたらしてくれるのだろうか。

「自分はJリーグでデビューして海外に行ったけど、国内でコツコツやっていくのも、いきなり欧州に行くのも、どっちの道も間違いだと思わない。選手は試合に出てナンボなので、自分で決断したところで思いきり暴れたらいいんじゃないかなと思います。

 とにかく(移籍先に)行ってやってみないとわからないことが多いし、そこで無理だと思えば出ていけばいい。でも、活躍できたら、いろんなものを手に入れられる。自分次第ですが、"移籍"というチャレンジは自分を成長させてくれると思います」

(つづく)

小林祐希(こばやし・ゆうき)
1992年4月24日生まれ。東京都出身。東京ヴェルディの下部組織出身のMF。2011年にトップチームに昇格。2012年にはキャプテンを任されるも、同年夏にはジュビロ磐田に移籍した。その後、2016年夏に海外へ。オランダ、ベルギー、カタール、韓国のチームでプレーし、2022年にヴィッセル神戸入り。そして今季、北海道コンサドーレ札幌に完全移籍した。

著者:佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun