連載「斎藤佑樹、野球の旅〜ハンカチ王子の告白」第38回

 斎藤佑樹のプロ2年目──監督が梨田昌孝から栗山英樹に代わり、メジャーへ移籍したダルビッシュ有がチームから抜けた。2012年、名護キャンプの初日、ファイターズのブルペンには斎藤と同学年のピッチャーが並んでいた。吉川光夫、植村祐介、榎下陽大、乾真大、そして主役を務めるべき斎藤は狙ったかのように最後、ブルペンのマウンドへ上がった。


2012年の開幕戦をプロ初の完投勝利で飾った斎藤佑樹(写真左)を称える栗山英樹監督

【梨田監督はお父さんのような存在】

 最後に? そうでしたっけ......もちろん、狙ってなんかいませんよ(笑)。プロ1年目を終えて2年目は期待されているなという感覚はありましたし、開幕投手の候補にもシーズンオフからずっと名前を出してもらっていました。だから、そのつもりで名護キャンプに臨んでいたことは事実です。

 投内連携でも、誰かが失敗するとみんながマウンドへ集まって、当時はファイターズのコーチだった福良(淳一)さんや中嶋(聡)さんが話をしに来ていました。そういう時、まだ2年目の僕には若手という意識があったんですが、栗山監督に「佑樹、おまえはもうこのチームを引っ張っていい存在なんだから、ああいうところで発言していいんだぞ」と言われたんです。いやいや、野手には大先輩の飯山(裕志)さん、金子(誠)さん、小谷野(栄一)さんもいるのに、僕なんかが、と思っていましたけどね(苦笑)。

 2年目から栗山さんが監督になりましたが、僕にとっては1年目の監督が梨田さんだったこともすごく大きかったと思っています。僕にとっての梨田さんは身近なお父さんのような存在でしたし、そういう安心感のある方が近くからいなくなってしまうのがすごく寂しかった。梨田さんが最後、「佑ちゃん、ずっと応援してるからね」と言葉をかけて下さったことは忘れられません。

 思えば高校の時の和泉(実/早実監督)さん、大学の應武(篤良/当時の早大監督)さん、プロに入ってからの梨田さん......みなさん、キャッチャーだったんですよね。これ、不思議というか、すごいことだと思うんです。しかもみなさん、似ていました。

 傍から見ていたら同じタイプには見えないかもしれませんが、僕にとっては似ているんです。僕が想像しているよりも遙かに、僕の投球のことを考えてくれているというところが似ている(笑)。「そんなこと、考えたこともなかった」ということをサラッと言ってくれるんです。「佑ちゃんはこういうピッチャーなんだから、こうすればいい」と言ってもらえて、『ああ、僕にはそんな一面があったんだ』と気づかせてもらいました。それはたぶん、キャッチャーならではの視点があるからこそ気づくことで、そういうことの全部を受け止めてくれる包容力が僕に安心感を与えていたんだと思います。

【栗山監督の第一印象】

 新しい監督が栗山さんだと聞いた時、じつは『やっぱりそうだったのか』と思った記憶があります。というのもその1年前、僕がプロに入って最初の名護キャンプの時、栗山さんがテレビのキャスターとして取材にいらしていて、来賓室で練習を見ていたんです。その時にお目にかかって、「佑樹、どう? 調子は」と聞かれたんですけど、その感じが取材目線じゃなかったんですよ。貴賓室で「どう?」って、もう球団関係者じゃないですか(笑)。あれっ、もしかしていずれ監督をやるのかなって、そんな雰囲気を感じたんです。僕の勝手な想像ですけど、あの時期、すでにその可能性はあったのかもしれませんね。

 栗山監督の最初の印象は、想いの強い監督だな、ということでした。戦術とか戦略よりも、想いが大事。想いによって人は動くし、信じることによって選手が期待に応える。そこは10年間、最初から最後まで変わりませんでした。いつも監督のほうから右手を差し出して、「最近、調子はどうだ」と聞いてくれる。毎日、最初に会うたびに握手をするんです。で、「今日はどう?」と、何かを答えさせる聞き方で入るんです。二軍から一軍へ上がった時も二軍に落ちる時も、監督は必ず握手をしてくれました。

 ファイターズでは高卒5年目、大卒と社会人出身2年目までの選手を対象に毎朝、いろんな人が講義をしてくれます。その講義に、監督に就任した直後の栗山さんが来て下さったことがありました。その時に栗山さんは、野村克也さんに聞いた話をしていて、栗山さん自身のことはあまり話をされなかった。だから、栗山監督の考えはどうなんだろう、どういう野球をやるんだろうと感じたことを覚えています。

 でも、そのうちに、栗山監督はこういう野球をやりたい、ということを掲げるのではなく、選手にどういう野球をやりたいのかを考えさせて、それをサポートするためにアドバイスをしようとしている......それが栗山監督のイメージする野球だったのかと思うようになりました。

 野村さんだけではなく、栗山さんのいろんな出逢いから得たヒントを、「斎藤佑樹にはこれが当てはまるかもしれない」「乾にはまた違うヒントがあるのかもしれない」「榎下にはどれがいいのか」と、それぞれが投げる姿を見て、話を聞いて、引き出そうとする......それが"栗山野球"というものなんだと、今となってはよくわかります。

【プロ2年目での開幕投手】

 開幕投手はヤクルトとのオープン戦の時、神宮球場の監督室で栗山監督から手紙を渡してもらう形で告げられました。手紙はその場で読みました......『2012年、開幕投手、斎藤佑樹。ともに戦おう。栗山英樹』。

 それを見て、泣きました。なぜ泣いたのか、言葉でうまく説明できないんですが、僕の不安な気持ちと栗山監督の覚悟がすべて手紙に込められていて、涙が溢れてきたんです。頑張ろう、栗山監督を胴上げしたいと、その時に強く感じました。栗山監督もちょっとウルッとしていたような気がします。

 開幕前日はめちゃくちゃ緊張しました。練習を終えたロッカーで僕がソワソワしているのを感じたのか、稲葉(篤紀)さんに「おまえ、もしかして緊張してるの」と言われたんです。だから「ハイ、緊張してます」と答えたら、金子さんが「今日、飲みに行ってきたら?」と言うんです。「いやぁ、明日、投げるんで」みたいに返事したら、「飲みに行ってさ、二日酔いで明日来いよ。そのぐらいの気持ちでいいんだよ。全然、大丈夫だから」って(笑)。それですごく緊張が和らぎました。

 2012年の開幕戦は、札幌ドームでのライオンズ戦です。初球についてはツルさん(キャッチャーの鶴岡慎也)とずっと話をしてきて、「(ライオンズの1番バッター、エステバン・)ヘルマンは初球を打ってくる、打つのは真ん中からアウトコースの球」というデータがあったので、「インコースへ投げて、踏み込ませないように、それでも振ってくれば詰まって内野ゴロが最高だね」ということでまとまっていました。だから初球はインコースへフォーシームを投げたのを覚えています。

 前日に比べれば、当日は緊張しませんでした。初球、インコースへ真っすぐを投げることを決めて、そこに集中していたからなのかもしれません。初球、力んだせいか少し高く浮いてしまいましたが、きっちりとインコースへ投げて、うまくヘルマンの足を動かすことができました。その結果、最後もインローの真っすぐ(140キロ)でヘルマンを見逃し三振。2番の栗山(巧)さんをサードゴロに打ちとって、ツーアウトから3番の中島(裕之)さん、4番の中村(剛也)さんを歩かせてしまいます。

 つづく5番の嶋(重宣)さんに、大きなファウルを打たれました。あの打球、マウンドから見ていたら完璧なホームランに見えたんです。ライトのポール真上で、当時、もしリクエスト制度があったらどうなっていたかわからない打球だったと今でも思います。もしあれがホームランだったら初回の3失点ですから、当然、いい流れになるはずがなかった。ファウルの判定を聞いて、心底、ホッとしました。結局、嶋さんをセカンドゴロに打ちとって初回をゼロに抑えると、2回以降はリズムに乗ることができました。徹底してストライクゾーンで勝負できたことが、いい結果につながったんだと思います。

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 マックス145キロのストレートを含む110球を投げて、被安打4、失点1。開幕戦でプロ初の完投勝利を成し遂げた斎藤は、鶴岡に頭を叩かれ、吉井理人コーチにハグされ、栗山監督に肩を叩かれて快挙を労われた。そして試合後のお立ち台で斎藤は「今は持ってるのではなく、背負ってます」と、またも大胆なフレーズを口にしたのである。

(次回へ続く)

著者:石田雄太●文 text by Ishida Yuta