森保ジャパン注目のサイドバック
毎熊晟矢(セレッソ大阪DF)インタビュー・後編

◆毎熊晟矢・前編>>「ストライカーだった男は、どうやってサイドバックで成功したのか?」

 幼少期に「やらされて始めた」サッカーは、いつしか「絶対にプロになれる」と思えるほど大事なものになった。高校時代に"鼻"を折られ、大学時代にそれまでのマインドを変え、プロになってFWからSBへの転向を打診されるも、その思いがブレることはない。

 セレッソ大阪のサイドバック、毎熊晟矢──。日本代表の肩書を得た今、どのような考えを持つようになったのか。26歳の男が思い巡らす現在の心境に耳を傾けた。

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毎熊晟矢は今やセレッソ大阪に欠かせぬ存在 photo by Getty Images

 V・ファーレン長崎で2年間、不動のレギュラーとして活躍した毎熊の存在を、J1クラブが見逃すわけがなかった。プロ3年目の2022年、複数のクラブが興味を示すなか、毎熊は一番高く評価してくれたセレッソ大阪への移籍を決断する。

 もっとも、シーズン序盤は出場機会を得られなかった。

「やっぱりJ2とJ1の違いっていうのを痛感させられましたね。より考えながらプレーしないといけない、というのも感じました。移籍当初は、今のままでは出られないなっていう危機感がありました」

 それでも5月以降に右サイドハーフのポジションを掴み取ると、翌2023年からは右サイドバックの定位置を確保した。持ち前の攻撃センスを生かし、C大阪で躍動する毎熊はその年の9月に森保一監督率いる日本代表に招集されることとなった。

 25歳での代表入りについて毎熊は、ある人物のおかげだと語る。

「(香川)真司さんですね。ピッチ内外で学ぶべきことがすごく多い選手ですし、超一流だなっていうのは近くにいるとすごく感じます。僕は真司さんに100パーセントの信頼を寄せてプレーしていて、助けられることも多かった。もし去年、真司さんがピッチにいなかったら、代表にはなれていなかったと思います」

 昨年、13年ぶりにC大阪に復帰したレジェンドの存在が、年代別の代表経験さえなかった毎熊を日本代表へと導いたのだ。

【絶対にチャンスは来ると信じて...】

「初めて代表に行く時にちょっと緊張していたんですが、真司さんに『セレッソでやっているようなことをそのままやれば絶対に大丈夫だから』って言っていただいて。その言葉があったから、代表でも自分らしくプレーできていると思っています」

 実際に毎熊は、代表デビュー戦となったトルコ戦でふだんどおりのパフォーマンスを示し、アシストも記録した。

「あの試合はすごく集中してプレーできたと思いますし、堂安(律/フライブルク)選手や久保(建英/レアル・ソシエダ)選手とも、いい関係でやれたと思います。連係もそうだし、アシストという結果を出せたことも含め、自分にとっては大きい試合だったと思います」

 ポーカーフェイスに見える毎熊だが、実際はデビュー戦を前にして、緊張を隠せないでいたという。

「試合前日にスタメンを発表されてからは、ずっと緊張していましたね。でもスタジアムに向かうバスのなかで、緊張が覚悟に変わりました。日本代表としてプレーできることが楽しみだというマインドに変わっていったので、それもいい方向に働いたと思います」

 デビュー戦で結果を出した毎熊は、以降も継続的に代表に招集されることとなった。今年1月のアジアカップでも、堂々とメンバーに選出されている。

 そして、この大会は毎熊にとって、さらなる飛躍の場となった。

「昨年の9月から代表に呼んでいただいていますけど、1カ月近く活動するのはアジアカップが初めてだったので、行く前から成長できるチャンスだと思っていましたし、ただ行くだけで終わりたくないっていう気持ちがありました。

 最初はなかなか試合に出られませんでしたけど、絶対にチャンスは来ると信じて準備をしていましたし、その準備があったからこそ、3試合にスタメンで出ることができました。自分のなかでは、スタッフやほかの選手たちの信頼を少しは掴めた大会になったと思っています」

 それまで日本の右サイドバックは菅原由勢(AZ)が軸を担っていたが、グループリーグ第3戦のインドネシア戦から敗れた準々決勝のイラン戦まで、そのポジションに立ったのは毎熊だった。

【今の自分は日本代表がすべて。すごく大切な場所】

 毎熊はこの大会で、序列を高めた選手のひとりであることは間違いないだろう。しかし彼自身は、そうはとらえていない。

「バーレーン戦までは周りの選手との連係もすごくよかったと思いますし、守備でもいい部分を出せて、すごく手応えを感じていました。

 だけど、最後のイラン戦は相手の強度だったり、圧力がまた一段階上がったなかで、守備で負けてしまう部分もあったり、そこから前に出ていくこともなかなかできなかった。ひとつレベルが上がったなかでのパフォーマンスに関しては、ぜんぜん満足できないものでした」

 手応えを得た一方で、課題を突きつけられる大会ともなったのだ。

 日本代表における毎熊の立場が盤石ではないことは、アジアカップ後の最初の試合となった3月のワールドカップアジア2次予選・北朝鮮戦でも浮かび上がった。招集されながらもベンチ外の屈辱を味わったのだ。

「まだまだ自分に足りていない部分を森保さんには伝えてもらいましたし、そこをもっと上げていかないと、代表に選ばれ続けたり、試合に出ることはできないんだなっていうのは、この間の活動であらためて思い知らされました。ベンチ外は自分のなかでは納得しているので、その課題に向き合って取り組んでいくだけです」

 毎熊の意識は、日本代表に選ばれたことで、大きく変わりつつある。

「今の自分にとっては『代表がすべて』というぐらい、すごく大切な場所です。そのなかに入ったからこそ得られる刺激だったり、成長できるという感覚もあります。なにより、あの高いレベルのなかでやれることが、とにかく楽しいですね」

 もちろん代表の活動の前には、所属クラブでの日常が重要となってくる。今季のC大阪は開幕から8戦無敗で一時は首位に立つなど、好スタートを切った。毎熊は次のように分析する。

「4-3-3のフォーメーションで、新しいビルドアップの形に取り組むなかで、より考えながらプレーする選手は増えていますし、新しく入った選手もいいアクセントを加えてくれています。もともと高い技術を持つ選手が多いなかで、そういった選手たちがチームのためにハードワークを欠かさずやってくれるので、今はいい方向に向かっているのかなと思います」

【一番の目標は、やっぱりワールドカップ】

 一方で、自身のパフォーマンスには納得できていないという。

「個人としては苦しい時期なのかなって感じています。アジアカップに出たことで、周りからの期待だったり、見られ方っていうのも変わってきていますし、そのなかで責任も感じながらプレーしています。

 今年は副キャプテンとして、よりチームを引っ張っていかないといけない立場にもなりました。メンタル的な部分を今まで以上に強く持たないといけないですし、チームのやり方としても、昨年までとは与えられた役割が変わって、自分らしさを少し出しにくい状況にもなっています。いろんな面で考えることが多いので、今は心に少しモヤモヤしたものを抱えながらプレーしている感じですね」

 それでも毎熊は、これまでも幾多の逆境に立ち向かってきた。試合に出られなかった高校時代、サイドバックへの転向、C大阪での1年目もそうだった。今の苦しい状況もこれまでと同じように、飄々(ひょうひょう)と乗り越えていくはずだ。

 そしてその先には、大きな夢がある。

「一番の目標は、やっぱりワールドカップに出ること。そのためには代表に選ばれ続けて、試合でアピールするしかない。代表に選ばれ続けるには、当然クラブでのパフォーマンスが重要になってきます。チームを勝利に導けるようなパフォーマンスを続けて、ワールドカップ出場という目標を達成したいですね」

<了>


【profile】
毎熊晟矢(まいくま・せいや)
1997年10月16日生まれ、長崎県出身。大分で生まれて小学校から長崎で育つ。東福岡高校時代はFWとしてインターハイと高校選手権で二冠を達成し、卒業後は桃山学院大学に進学。2020年にV・ファーレン長崎に加入後、サイドバックへコンバートする。2022年にセレッソ大阪に完全移籍し、2023年9月にはベルギー戦で日本代表デビューを果たす。ポジション=DF。身長179cm、体重69kg。

著者:原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei