松永浩美が語る福本豊 後編

(中編:福本豊は「ホームランを打ったら罰金」だった? 世界一の盗塁を可能にしたある能力も語った>>)

 松永浩美氏に聞く福本豊氏とのエピソード後編では、福本氏から教わったという守備の意識や1番打者としての心得、さらには騒動となった引退時の裏話などを聞いた。

【福本に教わった1番打者の心得】

――福本さんはダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデン・グラブ賞)を12回受賞した守備の名手でもありましたが、守備に関してのアドバイスを受けたことはありますか?

松永浩美(以下:松永) 「バッターがフライを打ったら、その瞬間にボールがどのあたりに落ちるのかを予測して動け」とよく言われました。それで、その予測が当たる確率が上がっていけばいいと。守備でそういった先読みする意識を持っていたことは、バッティングにもいい影響を与えてくれました。

――打った瞬間にわからないと、守備は上達しない?

松永 そうです。「これはフェンス手前で落ちてくる」「これはサードのファウルフライ」といったように。バッターが打った瞬間に、ピッチャーが「これはセンターフライだな」などと判断して、野手が捕球する前にベンチに向かうことがありますが、それと同じ感じです。

――松永さんは1番打者を務めることも多かったですが、福本さんから1番打者としての心得などを聞いたりしましたか?

松永 私は、甘いボールが来たら1球目からバチンと打ちにいくタイプ。一方で福本さんは、ピッチャーの球威や球種、その日の調子などを後ろのバッターに伝達することも含めて、ボールをよく見るタイプでしたね。

 ある時、福本さんに「1番打者でアウトになってベンチに帰って来た時、必ずほかのバッターから『(相手のピッチャーの)球はどんな感じ?』って聞かれるぞ」と言われたことがあります。その伝え方についても、選手の調子の良し悪しが試合によって違うこともふまえてアドバイスをもらいました。

――どんなアドバイスだったんですか?

松永 「マツの調子がいいのか悪いのかわからない状態で、『あのピッチャーは真っすぐが速い』とほかのバッターたちに伝えてしまうと、みんなが『真っすぐが速いんだな......』という意識で打席に入ることになる。だから、たとえ真っすぐを『速い』と感じても、そのまま伝えるのはなるべくやめたほうがいい」と。

 打者によってボールに対する印象や感覚も違うわけで、私の言葉で余計な意識を持たせてはいけない、ということでしょうね。それ以降は、なるべくマイナスなニュアンスを避けて「カーブが狙い目だ」「インコースに甘く入ってくる」「あの真っすぐは打てるよ」といった表現で、コーチやほかのバッターに伝えるようにしました。

【突然の引退の真相】

――ちなみに福本さんは、現役生活20年で大きな足の故障をしていないですよね。

松永 大きな故障はないかもしれませんが、足も含め、どこかしらは多少の故障をしていますよ。福本さんに限らないことで、どの選手もごまかしながら試合に出ているものです。

――福本さんは現役を引退して何年か後、「体力的にあと3年はやれた」とおっしゃっていますが、松永さんはどう見ていましたか?

松永 やれたとは思いますが、福本さんの引退に関してはいろいろありましたからね。突然の球団身売りの発表があり、阪急として迎える西宮球場でのラストゲーム(1988年10月23日)を終えた後、あの上田利治監督のスピーチがあって......。

――同試合を最後に山田久志さんが現役を引退することは知られていましたが、そのスピーチで上田監督は、福本さんも引退すると取れるような内容を話しましたね。

松永 いきなり上田監督から「去る山田、そして福本」なんて言われたら本人は驚きますよ。福本さんは、上田さんから「(現役を引退して)コーチ専任でやってくれないか?」と言われていたのですが、現役を続けたかった福本さんは「コーチ兼任ではダメですか?」と返答していた。そのやりとりは続いていて、阪急最後の試合の時にも「決着していない」と思っていたようです。

――上田監督のなかでは、コーチ専任でやってもらう意識があったんでしょうか。

松永 言い間違いという話もありますが、突然スピーチで出たもんだから、福本さんも「えっ?」となったわけです。試合が終わってグラウンドにみんなが集まっていた時、私は「おかしい」と思っていました。

 引退が決まっていた山田さんが胴上げされたんですが、その後に上田監督が「フク(福本氏の愛称)も胴上げしてやってくれ」と言ったんです。周囲からしたら、「なぜ、福本さんを胴上げするんだろう?」となりますよね。

――実際に福本さんは胴上げをされていましたが、どんな様子でしたか?

松永 その場の勢いで胴上げが始まっちゃったんですが、表情はまったく見えませんでした。胴上げしている選手たちも「なぜ?」となったかもしれませんが、「阪急の最後だから(チームの顔である)福本さん、山田さんを胴上げするのかな」と思っていたかもしれません。

――その時のことについて、福本さんと話をしたことはありますか?

松永 その数日後、おそらく東京で試合があったあとだったと思うんですが、大阪に戻る新幹線で福本さんと席が隣になったことがあって。私が「いったいどういうことなんですか?」と聞いて、「実はこうで......」と2時間ぐらい話したのかな......。

 私が「福本さんを胴上げするとなった時、阪急として最後だから胴上げするんだと思ったんです」と言ったら、「違うんよ」と。福本さんも「ちょっと話が違うじゃないか」とは思っていて、「まったく心の整理がつかなかった」と話していましたね。さらに「結局、引退するんですか?」と突っ込んで聞いたんですが、「もう受けるしかないやろ。言われたんやから」という感じでした。

【珍しく福本の感情が露わに】

――福本さんが引退を受け入れたことは意外でしたか?

松永 意外というか、「ここまできたら受けるんだろうな」と思いました。福本さんは、争いを好むタイプではない。事を荒立ててまで自分の主張をする人ではないとわかっていたので。

 ただ、上田監督と話し合っている最中だと思っていたわけで、それを無下にされた無念さのようなものは少し感じました。福本さんは普段会話する時も淡々としていて、感情をほとんど表に出さない方なのですが、珍しく感情を露わにしていて......あんな姿を見たのは初めてでした。

 あの時は新幹線のグリーン車で周りに人がいませんでした。夜遅かったし、近くの席に人がいなかった。もし近くに誰かがいたら、私から話を持ちかけることもなかったと思います。聞かれたらまずい話ですから。

――露わになった感情というのは、やはり怒りのようなもの?

松永 怒り、ということではなく、本当に「感情が出ていた」という感じなんです。先ほど(前編で)も話しましたが、上田監督に何か言われても「すいません!」と言う方ですし、そういうイメージが強かったので余計にそう感じたんでしょう。とにかく、あれだけじっくり福本さんと話したのは初めてだったんじゃないかな。

――福本さんと松永さんの関係の深さが伝わってきますね。松永さんにとって、福本さんはどんな存在ですか?

松永 挨拶の仕方から普段の過ごし方、準備の大切さ、バッティングや守備、走塁などに対する考え方......本当にいろいろなことを学ばせてもらいました。そういったことを厳しく言ってくるのではなく、何気ない会話の中で教えてくれたんです。「ああ、こういうことを言っているんだな」と、私自身が考えを膨らませていた部分もありますが。プロ野球選手として生きていくためのいろいろなヒントをもらえましたし、本当に多くのことを学ばせてもらいました。

【プロフィール】
松永浩美(まつなが・ひろみ)
1960年9月27日生まれ、福岡県出身。高校2年時に中退し、1978年に練習生として阪急に入団。1981年に1軍初出場を果たすと、俊足のスイッチヒッターとして活躍した。その後、FA制度の導入を提案し、阪神時代の1993年に自ら日本球界初のFA移籍第1号となってダイエーに移籍。1997年に退団するまで、現役生活で盗塁王1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞4回などさまざまなタイトルを手にした。メジャーリーグへの挑戦を経て1998年に現役引退。引退後は、小中学生を中心とした野球塾を設立し、BCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスでもコーチを務めた。2019年にはYouTubeチャンネルも開設するなど活躍の場を広げている。

◆松永浩美さんのYouTubeチャンネル「松永浩美チャンネル」

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著者:浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo