愛しのEURO(2)〜1996年、2000年

 6月14日(現地時間)、ドイツ対スコットランドで幕を開けるEURO2024。日本での放送が拡大され、欧州選手権が一気に身近になったのは1996年大会だろう。Jリーグの開幕や2002年W杯開催決定を受けて、日本人のサッカー観は一変。欧州サッカーへの関心もかつてないほど高まっていた――。

※                   ※                  ※

 1996年の欧州選手権から、それまで8だった本大会出場チームが16に倍増した。大会の期間も約半月だったそれまでから1週間伸び、6月8日?6月30日までの計23日間になった。日本在住のライターにとってはW杯に迫る大旅行になった。

 舞台はイングランド。今でこそプレミアリーグは欧州の盟主の座に君臨するが、当時の欧州ランクは7番目で、オランダ、ポルトガルにも後れを取っていた。サイドバックが前線に大きく蹴り込む、旧態依然とした放り込みに観衆が沸く姿は、筆者の目にも心配に映った。日本代表がその前年、イングランド代表とウェンブリーで対戦し、1−2というスコアどおりの競った試合していたことも、こちらを"強気"にさせる要素だった。

 カルチャーショックを覚えたのは、そのイングランドがスコットランドとウェンブリーで対戦した一戦だ。スタンドを埋めた『ゴッド・セイブ・ザ・クイーン』を熱唱したイングランドファンは、続いてスコットランドの歌が流れると、大ブーイングに転じた。スコットランドの歌と英国国歌が同じではない現実にもあらためて驚かされたが、場内に流れるその音をほぼ完全にかき消すブーイングには、同国のよしみは一切感じられなかった。だが、そこでスコットランド側が大暴れする感じでもなかった。お祭りムード漂う"お約束"のような光景だった。

 会場はロンドン、バーミンガム、マンチェスター、リバプール、リーズ、シェフィールド、ノッティンガム、ニューカッスルの8つで、ロンドンの定宿から列車で日帰りを繰り返した。新幹線ではないので列車移動に時間がかかる。加えて定時に到着しない。これはイギリスに限った話ではないが、外国人観光客が日本に来て、列車が時間どおり正確に動くことに驚く理由は、鉄道発祥の地で電車に乗って旅をすることで納得できた。

【W杯より外れの試合が少ない】

 日本は翌年、ジョホールバルでイランを破り、1998年W杯フランス大会に初めて出場した。それまでのW杯本大会に日本は存在しなかった。日本が出場していると、どうしてもそちらに気を取られる。観戦取材の旅はいやでも日本戦ありき、日本中心になる。

 それがEUROの旅にはない。しかもこの時の出場国は16なので、W杯よりレベルは拮抗していた。出場国が24チームで争われたEURO2016は、出場国間の格差が広がった気がするが、EUROの魅力は競った試合の多さにある。外れの試合が少ないのである。

 ウェンブリーで行なわれた決勝戦には、ドイツとチェコが駒を進めた。チェコが先制。ドイツが追いつき、延長戦に突入する競った試合となった。筆者が観戦していたのは記者席の最前列で、その前の予備席にはドイツ代表選手の奥様集団が陣取っていた。きれいな人たちではあるが、全体的に体格がよく、そして興奮しやすいので、こちらの視界を遮ることしばしば。延長に入ると興奮はピークに達し、ほぼ立ちっぱなしの状態となった。そうしたなかで事件は起きた。

 延長5分、ドイツはオリバー・ビアホフがゴールを決める。延長Vゴール制が採用されていたので、その瞬間、ドイツの優勝となったわけだが、その前のプレーで、副審がオフサイドフラッグを一瞬、挙げていたことも事実だった。今ならVARが介入するところだろうが、当時は何事もなくそのままドイツの優勝で決着した。チェコ側も激しく抗議をしたわけではなかった。判官贔屓の筆者には、大喜びする奥様集団が少々、鬱陶しく思えた。

 UEFA選定ベストイレブンは以下のとおり。

 GKアンドレアス・ケプケ(ドイツ)、DFローラン・ブラン、マルセル・デサイー(ともにフランス)、マティアス・ザマー(ドイツ)、パオロ・マルディーニ(イタリア)、MFポール・ガスコイン(イングランド)、ディーター・アイルツ(ドイツ)、カレル・ポボルスキー(チェコ)、FWアラン・シアラー(イングランド)、フリスト・ストイチコフ(ブルガリア)、ダボル・シューケル(クロアチア)。

【2002年日韓W杯開催を前に...】

 欧州選手権は、このオランダとベルギーが共催した2000年大会からEUROとして浸透することになる。通貨もユーロに変わっていた。ただ、オランダは完全にユーロに移行していたが、ベルギーはその途中で、使えないお店が多々あったと記憶する。

「共催」の走りだった。その後、W杯では2002年の日本と韓国、EUROでは2008年のスイスとオーストリア、2012年のウクライナとポーランドと共催は続くことになる。

 オランダの面積は沖縄を除いた九州とほぼ同じで、ベルギーはその4分の3程度、関東地方とほぼ同じだ。大会期間中、定宿にしたのはベルギーに近いオランダ第2の都市ロッテルダム。欧州一の港町は中華料理が名物で、観戦取材から戻ると直行したものだ。同行カメラマンが運転するクルマと電車を使った移動距離の少ない日帰り旅行。コンパクトで快適な取材旅行だった。

 オランダの場合、観戦チケットの保持者はすべての公共交通の乗車を無料にした。試合が行なわれる都市に限定されたベルギーに比べると、太っ腹、そして現実的な政策だった。「試合後、敗れたチームが切符の券売機の前に長蛇の列を作れば、騒動が起きる確率が高まる」とは、大会前、組織委員会を取材した際に返ってきた言葉だ。

 日本は2年後に韓国と共催でW杯を開催する。この大会は何かを学ぶいい機会だった。ある試合の前にメディアセンターで仕事をしていると、日本から視察にやってきたW杯関係者と思しき人たちが現われた。何か話しかけられたり、尋ねられたりするかもしれないと、半分そのつもりでいたが、ご一行様は、ぐるっと室内をひと回りしただけで、興味なさそうにそそくさと出ていった。

 オランダからベルギーの会場へ車で向かうと、当然のことながら国境を通過する。EUになる前はそこに検問所があった。渋滞することもあった。それがなくなると、知らぬ間にベルギーに入国している状態になる。とはいえ、ベルギーに入るや、高速道路を照らす街灯はだいぶ暗くなった。路面も整備が悪いのか、ガタガタと振動し、乗り心地が悪くなった。

 税金の高い国として知られるオランダに対し、ベルギーは安い。元サッカー選手など、オランダのお金持ちはベルギーに住むと言われる。

【魅力的だったオランダのサッカー】

 両国のサッカーの実力は、この頃が最も開いていた。この大会でオランダがベスト4入りしたのに対し、ベルギーはグループリーグ落ち。オランダサッカーの活気が眩しく映った。

 1994−95のチャンピオンズリーグ(CL)でアヤックスが優勝すると、それに触発されるように欧州では攻撃的サッカーのムーブメントが高まりを見せる。天下分け目の一戦と言われた1997−98のCL決勝で、レアル・マドリードが守備的なユベントスを倒すと、その流れはさらに加速した。オランダは1998フランスW杯で、ブラジルに準決勝でPK戦の末に負け、ベスト4に終わったが、欧州の各メディアはオランダを「大会で最もいいサッカー」をしたチームと絶賛した。

 その2年後、EUROでもオランダは準決勝まで勝ち上がった。イタリアとの一戦を前にロッテルダム市庁舎前の噴水は、通常の透明な水ではなく、オレンジ色を吹き上げていた。


EURO2000準決勝で、オランダを破り喜ぶイタリアの選手たちphoto by Reuters/AFLO

 他国が攻撃的サッカーに移行するなか、ディノ・ゾフ監督率いるイタリアは、「我こそが守備的サッカー最後の砦」と言わんばかりに、オランダの前に立ち塞がった。ところが5−2−2−1でスタートしたイタリアは、0−0で迎えた前半34分、右ウイングバック、ジャンルカ・ザンブロッタが、オランダのFWボウデヴィン・ゼンデンの足をかっさらい、2枚目のイエローで退場になる。試合は11対10の戦いになった。

 攻めるオランダ、守るイタリア。この構図は120分間続くことになった。PK戦を制したのはイタリア。その前に2本、PKを失敗していたオランダは、PK戦でも4人蹴って3人が外すという体たらくに陥った。笑ったのはロッテルダム市庁舎前の噴水。翌日、その色はオレンジ色からイタリアのブルー=アズーリに変わっていた。悲しみを笑いに変えるオランダ人のセンスに感激した記憶がある。

 オランダは2年後の2002年日韓共催W杯では欧州予選で敗退している。ダブリンで行なわれたアイルランドとの一戦に敗れ、敗退が確定的になったその夜のことである。筆者はダブリン繁華街でオランダ人が暴れていないかとカメラを持って探索した。ところがパブを覗けば、オランダ人は「俺たちの分まで頑張って来いよ」的な美しい台詞を吐き、アイルランド人と熱く抱擁していた。

 後日談をもうひとつ。EURO2000の直後、バルセロナが新シーズンに向けてオランダで合宿を張った時のことだ。PKの練習でフランク・デ・ブールがボールをセットすると、選手仲間からいっせいにヤジが飛んだ。「トルド、トルド、トルド......」。デ・ブールは勘弁してくれと苦笑い。周囲は大爆笑に包まれた。トルドがオランダのPKを5本止めたイタリア代表のGKであることは言うまでもない。

 優勝は決勝でイタリアを破ったフランス。だがオランダ対イタリアの準決勝は、それほどインパクトがある一戦だった。「サッカーってスポーツは、攻めていればいいってもんじゃないんですね」。日本に帰国し、サッカーにあまり詳しくない知人からそう言われ、筆者には返す言葉がなかった。

 UEFA選定ベストイレブンは以下のとおり。

 GKフランチェスコ・トルド(イタリア)、DFリリアン・テュラム、ローラン・ブラン(ともにフランス)、パオロ・マルディーニ、ファビオ・カンナバーロ(ともにイタリア)、MFエドガー・ダービッツ(オランダ)、パトリック・ヴィエラ、ジネディーヌ・ジダン(ともにフランス)、ルイス・フィーゴ(ポルトガル)、FWパトリック・クライファート(オランダ)、フランチェスコ・トッティ(イタリア)。

著者:杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki