子ども部屋のテントの中に入れられた、娘に寝室に連れていってもらえない「2軍」「3軍」のぬいぐるみたち。かつてはみんな1軍だった


「子どものあと」は、子育て中の方に、これまでの歩みを振り返っていただくコーナーです。「あと」は、子どもが残した「跡」。暮らしの中で生まれた子どもの足あとや痕跡を写真で紹介しながら、子育てで大切にしていることや、思い出深いできごと、「あの時、こうしておけば良かった」という苦い思いや、大変だった頃の自分に向けたメッセージを記録します。

今回、話を聞いたのは…

ショウタさん

39歳、社会福祉士、東京都稲城市在住。子どもは、幼稚園年長(5歳)の長女。

寝つくまでに2時間…!

写真に写っているのは、5歳の娘の2軍・3軍のぬいぐるみたちです。かつては娘と一緒に寝ていた子たちなのですが、今は子ども部屋のテントの中に放り込まれています。

15体くらいいるかな。テントの外にもまだいるんです。1メートルくらいの大きい子もいて…。あまりたくさん出しっ放しにしていると妻に注意されるので、娘はここに入れています。

今、かわいがっている1軍のぬいぐるみたちが5〜6体いて、娘は布団の周りにその子たちを並べて寝ています。

娘が寝た後のリビング。折り紙は、作りかけの手裏剣のパーツ=2024年4月


その娘の寝かしつけに2時間かかるのが今の悩みです。家にいる時は、寝かしつけはだいたい僕がするのですが、夜7〜8時に絵本を読み始めて、寝るのは9〜10時。11時近くまで寝てくれないことも。

3歳ごろからは、何もないところから話をつくる創作物語も夜の定番です。「このあと、どうなると思う?」「誰が出てくると思う?」と盛り上がりますし、2人でいろんな話ができる親子のかけがえのない時間でもあります。でも正直、早く寝てくれよ!と思っています。

お風呂遊びの相手は僕が

お風呂も、かなり時間がかかります。妻が娘と入るときは遊ばないのでサッと出るのですが、週4日、僕と入る日は長い。30〜40分かかります。僕はどちらかというと、からすの行水タイプで、パッと入って短い時間で出たい。だから心の中で「もうイヤだー」と叫びながら、ひたすら娘の遊びに付き合っています。

2歳の頃の娘=2021年4月、東京都昭島市と立川市にまたがる昭和記念公園で


じゃんけんや、「せっせっせのよいよいよい」。それからお湯を使っての空想料理。「ギョーザつくります!」「うどんこねます!」と始まると、僕にも「こねてください」「広げてください」と指示が飛んできます。

先に上がりたい気持ちもありますが、それをしないのは、1人残して万が一、娘に何かあったら嫌だから。特に妻は心配性。安全確保は怠れません。

自分はできなかったから

娘を育てる上で、できるだけ本人がしたいようにさせたいと考えています。放任主義ではないので、ダメなことはダメと伝えます。でも何かを選ぶときに、2択、3択ではなく、選択肢をたくさん提示してあげたいし、自分の気持ちを言えるようになってほしい。自分が子どもの頃、そうじゃなかったから。

両親は僕が10歳の時に離婚しました。父と母、どちらについていくか選ばされましたが、僕は答えを出すことができなかった。「こうであるべきだ」という固い考えを持つ祖父母と暮らす中で、「この方がいいよ」と否定されることが続いて自分の気持ちが言えなくなり、話もだんだんしなくなっていった。夢中になれるものがサッカーしかない生活を送っていたけれど、本当はもっと選択肢があっただろうし、いろいろできたんじゃないかなと思う。

家でおもちゃのピアノコンサートを開こうとした娘からの招待状。右下の正方形は「QRコード」で、家中のドアにこのQRコードが貼ってある(読み取ってもどこにも飛びません)


だから娘には、自分で選べて、何でも話せる環境をつくってあげたい。大人だけで話さないで、娘にも分かる言葉で説明して「どう思う?」と聞いています。それに、娘が大きくなった時に、僕自身も意見を言える関係にしたい。そのベースを今からつくっておきたいという思いもあります。

コロナ禍のうれしい誤算

振り返れば、娘が1歳になり、ようやく歩けるようになって、これから家族でいろんなところに出かけられるね!というタイミングでコロナ禍に。当時は1LDKの狭い家に住んでいたので、リモートワークになっても仕事をする場所がありませんでした。寝ている娘が僕の声で起きないように、脱衣所でオンラインの打ち合わせをしたりと、閉鎖された中での生活は本当にきつかった。

せっかく歩けるようになったのに、コロナ禍で遠出できなかった1歳の夏=2020年8月、東京都調布市の深大寺参道で


ただ、コロナ禍で大変なことは数え切れないくらいあったけれど、家にいることで子どもとの時間が存分に持てたのはプラスでした。そうでなかったら平日は家にいられず、ごはんもお風呂も寝かしつけも僕は関われなかった。娘にとっては、僕が家にいることが普通。外で仕事をする日が増えた今は、「何でいないの?」と言われてしまっています。