仙台フォーラスは2月29日、39年間の営業に一旦の区切りをつけ、3月1日から長期休業に入りました。「若者文化の発信地」だった仙台フォーラスは同時に、古くから周辺商店街の中心的な存在としてその歴史を刻んできました。

屋上にあるものとは…

仙台市中心部にあるファッションビル「仙台フォーラス」が建物の劣化調査などのため、39年間の営業に一旦、区切りをつけ3月1日から長期休業に入りました。前日の29日には、仙台フォーラスの前で、休業セレモニーが行われました。

TBC

この仙台フォーラスの屋上に、何があるか知っていますか?街で聞きました。

「屋上?行ったことないですね」
「知らないです。屋上庭園みたいなのですか?」

仙台フォーラスの屋上にあるのは、和霊神社。

TBC

商売繁盛の神様として親しまれてきました。神社や商店街の歴史に詳しい浜中文夫さんは、この「和霊神社」を創建した人物こそが、周辺の商店街の「始まり」を作ったと言います。

クリエイティブディレクター 浜中文夫さん:
「一番町は昔、今みたいな商店街ではなくて、武士の街だった。明治維新後、武士は食べていけない状態になって、山家豊三郎が『山家横丁』、今でいうショッピングモールのような物を作った」

武士の街がなぜ商店街に

江戸末期の伊達藩士・山家豊三郎(やんべ・とよさぶろう)。明治維新の翌年、職を失った武士たちのため、自宅の一角を貸して「山家横丁」を作り商売を始めさせました。

TBC

浜中文夫さん:
「まさにちょうど向かい側、そこが山家横丁」

以降、この辺りには芝居小屋や洋食屋、映画館などができ、まさに「商店街の始まり」となったのです。

TBC

浜中文夫さん:
「その当時、本当に困っていた武士たちを助けた救世主。そして、一番町商店街を興したという。商店街からすれば、山家豊三郎さんも神様にして間違いないのでは」

ジャスコ仙台店から仙台フォーラスに

その後、商店街は昭和の仙台空襲などいくつかの大きな困難を乗り越えて発展。そして1975年には、仙台フォーラスの前身、ジャスコ仙台店がオープンします。ビルに入ると、若い頃の思い出が蘇ると浜中さんは言います。

TBC

浜中文夫さん:
「ここがゲームセンターだったりしていたことがあって、卓球台があった。そこで友達と学校帰りに卓球をしてよく遊んでいた。多分奥の方だったと思うんですけど…」

このビルに仙台フォーラスが開業したのは1984年。それまで仙台にはなかったファッションビルとして、若者文化の象徴的な存在になりました。

TBC

浜中文夫さん:
「たくさんの人が来ていて若者ばかり。バーゲンの時はすごかったですよね」

仙台フォーラスといえば、何と言っても「バーゲン」。当時のニュース映像でも、若い女性たちが値引きされた洋服を目当てに大挙しています。

TBC

買い物が終わるのを待つ子どもたちは少し手持無沙汰。毎年、数千人の若者が列を作りました。

「ラス前」は待ち合わせ場所

39年もの間、「若者文化の発信地」だった仙台フォーラスの休業。今年に入って設けられたビル1階の特設コーナーには大勢の人がメッセージを寄せました。中にはこんな人も…。

TBC

夫婦:
「高校生の時にここで最初待ち合わせをして出会って、そこから結婚した。ここがスタートということで、2人の中では思い出の場所」

TBC

浜中さんが気にするのは長期休業による周辺商店街への影響です。

長期休業による影響は…

浜中文夫さん:
「東日本大震災があって人通りが途絶えたわけではないが少なくなって、コロナ禍が来て、また人通りが少なくなって」

TBC

仙台商工会議所が毎年行っている通行量調査によりますと、最も多いときに8万人を超えていたフォーラス前の人通りは、現在では半分以下に。逆に、仙台駅前は再開発の影響もあり大きく数字を伸ばしています。

浜中さんは再開後の仙台フォーラスが周辺の活性化の起爆剤になればと大きな期待を寄せています。

クリエイティブディレクター 浜中文夫さん:
「さらにまた新しくなって、たくさんの人を呼び込んでほしい。この一番町通りにもっともっとたくさんの人が歩いてほしい」

TBC

周辺ではここ数年、店舗の移転や閉店が相次いでいて、浜中さんは「一番町らしさが薄れてきている」と感じているということです。改装後の仙台フォーラスが新たな「一番町らしさ」を作り上げて賑わいを生むといいですね…