宮城県多賀城市で開かれている「悠久の絆 奈良・東北のみほとけ展」で、奈良・西大寺の国宝で、叡尊の姿を細かく表現した「興正菩薩坐像」が展示されています。めったに西大寺から出ることがないというこの「興正菩薩坐像」が作られた背景について、特別展の企画を担当した東北大学の長岡龍作教授に聞きました。

叡尊は信仰で社会福祉事業を行った?

東北大学 長岡龍作教授:
今もよく知られる東大寺を作ったのは聖武天皇ですが、西大寺を作ったのは、娘さんの称徳天皇です。

東北大学 長岡龍作教授

お父さんの建てた寺と対になるような大きな寺を称徳天皇が作りました。そのときの関わったのが、道鏡という方です。ですから奈良時代の西大寺は、道鏡の考え方を大きく反映した、密教的な要素を含んだお寺として始まりました。

西大寺

しかし、その後、大きく発展する東大寺に対し、西大寺は一度衰退するのですが、鎌倉時代の初めに入ったお坊さんが、叡尊という人で、この人が興正菩薩(死後のおくりな)です。叡尊が新しい形で西大寺を、彼が考える、律宗という教団の拠点として再興しています。弟子の忍性という人と2人・・・、この2人は特に病人や貧しい人、そういう人たちを積極的に救済するという活動に文字通り身命を賭して、生涯を捧げた人、そういうふうに言っていいと思います。

興正菩薩坐像

実は貧しい人や、病人などは、文殊菩薩の化身であるという考え方が古くから日本の仏教の中では信じられていました。そのために、彼らはそうした人たちを文殊とみなして、積極的に救済するという活動に励んだのです。ここが仏教の非常に巧妙なところで、信仰を使いながら、いわゆる社会福祉事業を行う仕組みをきちんと用意できているというところが、ある意味素晴らしいと思います。

西大寺

「悠久の絆 奈良・東北のみほとけ展」は6月11日(日)まで、多賀城市の東北歴史博物館で開催されています。