【戦後80年】平和への思いを次世代へ 戦没者追悼式 語られた戦争の記憶《新潟》
TeNYテレビ新潟ニュース6/16(月)19:45

【戦後80年】平和への思いを次世代へ 戦没者追悼式 語られた戦争の記憶《新潟》
先の戦争で亡くなった人を忍び平和を願う式典が新潟市で開かれました。ことしは戦後80年の節目・・・遺族は「悲惨な戦争は二度と起こしてはならない」と訴えました。
新潟市中央区の護国神社に「平和の礎」と呼ばれる慰霊碑があります。
新潟県関係の戦没者を想い1968年に建てられました。
以来、毎年6月に「平和の礎」の前で追悼式が営まれています。
ことしは戦後80年・・6月13日に開かれた追悼式には初めて「平和の語り部」がその経験と思いを語りました。
語り部となったのは戦争で父親を亡くした金井勲さんです。
金井勲さん
「母が宮内駅に遺骨を取りに行きました。親戚の方が10人ほどおいでいただくなか、開けたところ、小さな今でいうスマホくらいの位牌が入っていた記憶があります」
金井さんは、次のように訴えました。
金井勲さん
「戦争がなければ父は戦死しなかったことであり、生活も大きく変わっていたと思います。戦争は時の政治に起こり、悲惨な戦争は2度と起こしてはなりません」
参列していた長岡市寺泊の長谷川彊さん、89歳。
長谷川彊さん
「父の顔はよく覚えてますけど、子供でしたから自転車によく前の方に乗せてもらいました」
父親は、終戦の年の2月にフィリピンで戦死しました。
父との最後の記憶に無念の思いをにじませていました。
長谷川さん
「5分くらいしかかからない桐原駅まで、(出征を)送らないで、2-3人の連中とその沿線の所に遊んでましたて。あのころ機関車でしたから手を振ったんですけど、見てたのかどうか、それもよくわかりません。これが最後の別れの私の実情です。だから親に対してあまり良い事やってなかったなあ。これが今でも心の中に残っています」
長谷川さんは、その後、1977年に自宅のすぐ近くに慰霊碑を建て父を偲んでいます。
長谷川彊さん
「8月の時期になりますとお参りしています。きのうも草刈りをしてきました」
長谷川さんと同じ寺泊に当時、住んでいた五十嵐哲夫さん。
終戦間際は、父の仕事の関係で兵庫県に住んでいました。
五十嵐哲夫さん
「とにかく夜になると毎日、B29が来てダメなのよ。ちょっと合間縫って私の母親がこんな所にいたらね死んでしまわんきゃだめだから寺泊に私の孫ばあさんがいたもんだから戻ってきた」
父が働いていたのは、戦闘機を作っていた工場。
五十嵐哲夫さん
「帰ってきて3-4日したら電報が来て、あんた、お父さん亡くなったと。会社に勤めている時に爆撃にあって」
戦後80年・・式典の中で初めて語られた戦争の記憶・・・遺族は平和への思いを次の世代に伝えようとしています。




