「スピード列車」の消滅と復活の理由とは 昭和と平成の南武線「快速」物語

鉄道コム6/16(月)8:35

「スピード列車」の消滅と復活の理由とは 昭和と平成の南武線「快速」物語

「スピード列車」の消滅と復活の理由とは 昭和と平成の南武線「快速」物語

 神奈川県川崎市の中心地、川崎駅を起点に、多摩川沿いに立川方面へのびる南武線。同線は現在、昼間の時間帯を中心に快速が運転されており、主要駅間の所要時間短縮に一役買っています。

 この快速は2011年に運転を開始したものですが、それまでの南武線は各駅停車オンリーだったかというと、そうではありません。50年ほど前にも、南武線には快速が一時的に設定されていました。

 かつて存在した南武線の快速は、1969年12月に登場。昼間の時間帯に1時間あたり1本、川崎〜登戸間で運転されていました。使用車両は黄色(カナリア色)の101系。当時の南武線は「旧型国電」と呼ばれる茶色の電車が主力で、101系は目立つ存在でした。

 途中の停車駅は、東急線とのジャンクションである武蔵小杉駅、武蔵溝ノ口駅の2駅。下り列車では途中駅で各駅停車の待避がありましたが、上りは立川方面からやってきた各駅停車が登戸駅で快速に接続するのみで、川崎〜登戸間で快速を待つ各駅停車はなかったようです。

 停車駅を絞り、川崎市内の主要駅を短絡した快速でしたが、運転期間は長くありませんでした。1978年9月をもって快速は廃止となり、以降の南武線は各駅停車のみの運転が続きました。

 南武線にとっての次の転機は、2011年のダイヤ改正。一度は廃止された快速が、約33年ぶりに復活することになりました。復活の理由をJR東日本の広報に聞いたところ、

 「複数の私鉄路線と結節する南武線で、都心方面への利用が増えてきたこと、2010年3月に横須賀線の武蔵小杉駅が開業したことで、近隣のネットワークが更に強化されました。そこで、武蔵小杉駅、川崎駅などの主要駅への速達性を向上させ、更なる利便性を図るために快速運転を実施することとしました」

 という答えが返ってきました。南武線を取り巻く環境の変化が、快速の復活につながったようです。

 復活した快速は、3月のダイヤ改正で運転を開始……する予定でしたが、東日本大震災の影響で翌4月に延期されています。運転形態は初代のそれと異なり、川崎〜立川間の全線を、昼間に1時間あたり2本程度走るかたちとなりました。停車駅は、川崎駅、鹿島田駅、武蔵小杉駅、武蔵中原駅、武蔵新城駅、武蔵溝ノ口駅、登戸駅と、登戸〜立川間の各駅。登戸駅では、同駅始終着の各駅停車と連絡していました。快速運転区間はその後、2014年に稲城長沼駅まで、2015年には立川駅までの全区間に拡大され、現在の形となりました。途中駅で各駅停車との緩急接続もあるほか、土休日ダイヤは1時間あたり3本の体制になっています。

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