■ヘッドコーチの首を絞めるという愚行でチームを追われる

 問題行動が目立ち始めていたラトレル・スプリーウェルだったが、コート上では素晴らしい成長を見せ続けていた。1996−97シーズンには自己最多の平均24.2点(リーグ5位)、6.3アシストをマークし、3度目の出場となったオールスターではウエスタン・カンファレンス最多の19得点を奪取。確執があったドン・ネルソン・ヘッドコーチ(HC)やティム・ハーダウェイもこの頃にはチームを去っており、ゴールデンステイト・ウォリアーズは事実上彼のチームとなっていた。

 そんなスプリーウェルの運命は、1997年に大きな転機を迎える。この年から、ウォリアーズの指揮官にはPJ・カーリシモが就任していた。選手に対して厳しく、激しい言葉で怒鳴りつけるのが常だった鬼軍曹と、繊細で感情的なスプリーウェルはまさに水と油。練習の欠席や遅刻を繰り返し、公然とコーチの批判を口にしていた彼とカーリシモが衝突するのは時間の問題だった。
  12月1日の練習中も、カーリシモは例によって選手たちを怒鳴り散らし、スプリーウェルにも「もっとしっかりパスをしろ」と文句をつけた。対するスプリーウェルも「今日はそんなことを聞きたい気分じゃない」と吐き捨てる。彼に詰め寄ろうとするカーリシモ。「近づくな!」と叫ぶスプリーウェル。それでもなおカーリシモが近寄ってきた時、スプリーウェルの頭の中で何かが弾け飛んだ。「ぶっ殺す!」と唸り声をあげながら、気がつけば彼は両手でカーリシモの首を絞め上げていた。

 チームメイトたちが必死に止めて、引き離されたカーリシモは一旦引き上げた。だが、20分後に再び練習場に戻ってきた彼に、スプリーウェルは再び襲いかかった。

「首を絞めたわけじゃなく、襟首をつかんだだけだ。2度目の時も殴ってはいない」

 スプリーウェルは一連の暴行を否定したが、チームメイトは確かに彼がHCを殴ったことを証言した。

 ウォリアーズは2370万ドルも残っていたスプリーウェルの契約を解除。コンバースも契約を破棄し、当時コミッショナーだったデイビッド・スターンは無期限の出場停止処分を下した。選手会が不服を申し立てた結果、2年分の年俸は保証され、出場停止処分もシーズン終了までに軽減されたが、ウォリアーズにはもはや彼の居場所はなかった。
  そんな彼に救いの手を差し伸べたのは、ニューヨーク・ニックスだった。ゼネラルマネージャーのアーニー・グランフェルドの妻とスプリーウェルには共通の友人がいて、グランフェルドはスプリーウェルの自宅に赴き、直接彼と話をした。

「彼が知的な人物であり、世間の誤解を解きたがっていることがよくわかった。もう一度チャンスを与えるにふさわしい男だと私は判断した」

 事件について謝罪し、正式に復帰を認められたスプリーウェルだったが、再スタートも順風満帆とはいかなかった。開幕早々に右足踵を疲労骨折し、復帰後は慣れないベンチ出場でリズムを掴めず、移籍初年度は平均16.4点と平凡な成績に終わる。チームも8位でプレーオフに滑り込むのがやっとだった。
 ■ニックスでの栄光の日々と、理解しがたい理由での引退

 ところがプレーオフに突入すると、スプリーウェルとニックスは水を得た魚のごとく生き生きとし始める。1回戦で宿敵マイアミ・ヒートをアップセットで破ると、イースタン・カンファレンス準決勝でもアトランタ・ホークスに4連勝。カンファレンス決勝ではインディアナ・ペイサーズを下し、史上初めてとなる第8シードからのファイナル進出という奇跡を成し遂げた。

 ファイナルでは実力差のあるサンアントニオ・スパーズに屈したとはいえ、スプリーウェル自身は最終第5戦で35得点をマークするなど大奮闘し、マディソンスクエア・ガーデンの満員の観衆から惜しみない拍手を送られた。彼は自らの力で、忌まわしい首絞め事件を人々の記憶から葬ったのだ。

 このオフには、2000−01シーズンから始まる5年6200万ドルの延長契約にサイン。再びスター街道に戻ってきたスプリーウェルだったが、奇妙なトラブルと縁が切れることはなかった。2002年10月には所有するヨットの乗客と喧嘩して手を負傷し、2003年2月には、またしても免停中の運転で逮捕。ニックスの成績も下降線をたどり、かつて彼を救世主扱いしたファンも次第に愛想を尽かし始めた。
  2003年7月にはミネソタ・ティンバーウルブズへ移籍し、ケビン・ガーネット、サム・キャセールとともに、チームを球団史上初のカンファレンス決勝へと導く。ところが、オフに提示された延長契約の条件を不服とし「正当な対価を払わないチームのために尽くすつもりはない」と公言。2004−05シーズンには気のないプレーに終始して顰蹙を買った。

 シーズン終了後にいくつかの球団から誘われたが、もはや彼の情熱は尽きていたようだ。結局どことも契約することはなく、後味の悪さを残したままNBA生活は終焉を迎えた。
  スプリーウェルはいつでも心の内に、満たされない不満を抱えていたように思える。それは時として熱く燃え上がりすぎ、災厄を呼び込んだ一方で、目を見張るようなパフォーマンスの源泉ともなっていた。もし彼が自らを制御する術を知ってさえいたなら、真にレジェンドと呼びうる選手になっていたのかもしれない。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2012年2月号掲載原稿に加筆・修正。

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