松山英樹が『マスターズ・トーナメント』を制した喧噪もそろそろ収まってきたように感じるが、まだその余韻に浸りたい人も多いだろう。

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 アジア人として初めてグリーンジャケットに袖を通した事実に、ゴルフ界どころか日本中が湧いたが、それだけの偉業を達成したのは間違いない。何しろ男子の海外メジャーで優勝した日本選手はこれまで一人もいなかったのだ。

 通算113勝を挙げているジャンボ尾崎でさえメジャーでの最高成績は1989年全米オープンでの6位タイである。同じくレジェンドの青木功は80年全米オープンで帝王ジャック・ニクラスとの死闘を演じて2位に入ったが、やはり優勝するまでには至らなかった。

 その他、中嶋常幸は88年の全米プロで3位に、倉本昌弘は82年全英オープンで4位タイに、丸山茂樹は04年全米オープン4位タイに入ったが、あと一歩およばなかった。松山が優勝したマスターズでも01年に伊澤利光、09年に片山晋呉が4位に入る健闘を見せたものの、順位以上に優勝までの道のり遠いことを感じさせた。
  あまりにも高くて厚い壁をブチ破った松山と、その壁の前に屈したほかの日本選手との違いはどこにあるのか。今さら松山の技術について語る必要はないだろう。間違いなく総合力では歴代の日本人選手の中では群を抜いている。ただ、それを身につけた要因として挙げられるのが、早い時期からPGAツアーに参戦していたことにある。

 基本的に海外のゴルフ場と国内のゴルフ場とではコースレイアウトや芝質が大きく異なると言われてきた。

 言い方を変えれば海外のほうが難易度の高いコースが多い。それがメジャーを開催するとなれば、コースセッティングの難易度がさらに増す。狭いフェアウェイに長く伸びた粘り気の強いラフ、硬くてアンジュレーションの大きいグリーン、グリーンの端から数ヤードに切られるピンなど、数え上げればキリがない。

 その難コースを制するには、ショット力以外にも綿密なコースマネジメントやアプローチ、パットといったショートゲームの精度が要求される。当然、優勝争いともなれば、強いメンタリティーまで問われる。常にその環境に身を置いている選手に対して、いきなり国内ツアーから参戦した選手が勝負を挑んでも相手になるはずがないのだ。
  30歳でPGAツアーに本格参戦し、ツアー3勝を挙げた丸山がよく語っていたのが、「もっと若い時に参戦しておくべきだった」という言葉だった。それだけ国内ツアーとは環境がかけ離れており、慣れるまでに苦労したからだ。

 その点、松山がPGAツアーに本格参戦したのは22歳になった年からと圧倒的に若い。しかも、マスターズに初挑戦したのは19歳でローアマにも輝いている。このときは怖いもの知らず的な部分が功を奏したが、翌年のマスターズでは最終日に「80」を叩いてローアマを獲得できなかった。ある意味、このときに悔しさやメジャーの怖さを知ったことの方が、その後の松山にとって大きな財産になったように思う。

 どちらにしろ、早い時期でのPGAツアー挑戦は大正解だった。昨年までにツアー5勝を挙げていたが、そのうち2勝はメジャーに匹敵するWGC(世界ゴルフ選手権)の大会だし、プレーオフの最終戦である『ツアー選手権』にも7年連続で出場している。

 メジャーに勝つだけの実力は誰しもが認めるところまで成長していた。
  もちろん、環境だけが松山のゴルフを成長させたわけではない。並大抵の努力がなければ、それだけの結果を残すことはできない。

 ただ、世界のトップが常に近くにいることのメリットは間違いなく大きい。彼らがどのような練習をしているのか間近に見ることできるし、自分に何が足りないのかも理解できる。松山が技術だけでなく、筋力トレーニングに一層励んだのも、パワーゴルフを目の当たりにしたからだろう。

 おそらく、才能や体格に恵まれた選手が厳しい環境に身を置き、その実力をさらに開花させなければ、今後も日本人が海外メジャーを制することはできない。それを今回の松山が身を持って証明したのではないか。

文●山西英希

著者プロフィール/平成元年、出版社に入社し、ゴルフ雑誌編集部所属となる。主にレッスン、観戦記などのトーナメントの取材を担当。2000年に独立し、米PGAツアー、2007年から再び国内男子、女子ツアーを中心に取材する。現在はゴルフ雑誌、ネットを中心に寄稿する。