NBA2020−21シーズンのMVPに、デンバー・ナゲッツのニコラ・ヨキッチが選出された。投票者101人中91人が彼に1位票を投じ、次点のジョエル・エンビードに385ポイント差をつける文句なしの選出だった。

 今季のヨキッチは全72試合に先発出場し、いずれもキャリアハイの平均26.4点、10.8リバウンド、8.3アシスト。さらに勝利への貢献度を示す「ウィン・シェアーズ」でもリーグトップと、まさに“最も価値のある選手”にふさわしい活躍だった。

 アメリカ外出身者のMVP受賞は、アキーム・オラジュワン(ナイジェリア)、ティム・ダンカン(バージン諸島)、スティーブ・ナッシュ(カナダ)、ダーク・ノビツキー(ドイツ)、ヤニス・アデトクンボ(ギリシャ)に次ぐ6人目。セルビア人では初の受賞者となった。

 そんな彼は、母国セルビアでは「スーパースター」というよりは「みんなの可愛い息子」的な存在だという(一番のスーパースターはテニスのノバク・ジョコビッチ)。北部の小さな町ソンボル出身の彼は、NBAのスター選手になっても、国に帰れば“素朴な田舎のお兄ちゃん”なのだ。
  彼のキャリアが拓けるきっかけとなったのは、2012年10月に行なわれたセルビア北部地区のジュニアトーナメントだった。当時17歳だったヨキッチが所属していたボイボディナとパルチザンが対戦した試合で、結果は80−75でパルチザンが勝利したが、ヨキッチは34得点、19リバウンド、5ブロックと大暴れ。次の試合でも38得点、9リバウンド、4アシストを叩き出し、スカウトの目に止まった。

 そのなかの1人が、現在ヨーロッパのバスケシーンで最も力のあるエージェント、ミスコ・ラジュナトビッチだった。

「いつものように週末のスポーツ欄のチェックをしていたら、ジュニアトーナメントですごい数字を出している子がいた。そうして記憶に残っていた彼の名前を、次の週末もまた、ものすごい数字とともに見ることになった。私はすぐにスタッフに電話をかけて、『すぐにこの子と契約してこい!それまでは帰ってくるな』と命じたよ」

 ラジュナトビッチはインタビューでそう当時を振り返っている。 レッドスターやパルチザンといったセルビアを代表するビッグクラブも一足先にヨキッチに接触していたが、より魅力的なオファーを提示したのが、ラジュナトビッチの会社がオーナーを務めるメガ・バスケットだった。

 当時のパルチザンのシニアチームのヘッドコーチで、2009年にはユーロリーグの年間最優秀コーチ賞を受賞したこともある名将デュスコ・ブジョセビッチは、ヨキッチのMVP受賞後に当時を後悔するコメントを残している。

「正直、彼のことは当時まったく目に入っていなかった。パルチザンでスカウトをしていた者たちから『彼は太っているから、このクラブに連れてくるほどの価値はない』という報告も受けていた。今となっては申し訳ない気持ちでいっぱいだ。ラジュナトビッチは、その肥満体のヨキッチをメガに連れていった。本当に残念なことをしたよ」

 もっとも、もしパルチザンやレッドスターに入団していたら、ヨキッチが2014年に19歳でNBAドラフトにかかることはなかったかもしれない。これらのクラブは、代表クラスや外国人のトップ選手も多く、若手にはなかなか試合に出るチャンスはまわってこない。
  一方メガ・バスケットは、エージェントが母体であることが物語るように、若い選手を積極的に採用し、彼らのスタッツを上げてリクルートに結びつけることを目的とした、まったくコンセプトの違うチームだ。彼らはユーロリーグ出場経験はないが、U18版のユーロリーグである「アディダス・ネクストジェネレーション・トーナメント」では常連で、今年も同大会で決勝リーグに進出している。

 いずれはNBAでキャリアを築くことになっていただろうが、あの時、ラジュナトビッチの目にとまりメガ・バスケットに入団したことは、ヨキッチのキャリアの大きな転換期となった。

 そしてもう1人、ポジションの枠にとらわれないヨキッチのプレースタイルを育む上でのキーパーソンがいる。ボイボディナに入団する前に4年間プレーした地元ソンボルのクラブ、ソー・コシュの指導者、イシドール・ルディッチだ。

 ヨキッチは当時から大柄な体格だけでなく、バスケの技能的にも同年代の子どもたちとは段違いのレベルにあった。それゆえ、彼としても張り合いがなく、モチベーションを保つのが難しいことも多々あった。ルディッチHCは、そんなヨキッチには伸び伸びやらせるのが一番だと考え、試合で真剣にプレーすると約束するのであれば、あとは自由にやっていいというルールを作った。 ヨキッチには、バスケの他に目がないものがある。競馬だ。それも荷車のついた、古代ローマ時代の映画に出てくるようなレースだ。セルビアの、とりわけヨキッチの生まれ故郷のあたりではこのレースが盛んで、彼は近所の仲のいいおじさんたちの影響もあって、10歳くらいの頃からのめり込んでいた。

 バスケシーズンが終わった初夏から秋にかけての3か月は、ヨキッチはバスケットボールの練習は一切せずに、競馬場に入り浸っていたという。そうしてトレーニングなしでプレシーズンを迎えることも、ルディッチHCは織り込み済みだった。

『スポルツキ・ズルナル』で25年間バスケットボールを担当するベテランのプレドラグ・サリッチ記者は、「成長過程でルディッチのような指導者と出会えたことは大きい」と話す。

「ともすればバスケットボールへの興味を失っていたかもしれないし、型にはめられていたかもしれないところを、自由を与えることで彼の良さを伸ばした。当時からゲームを読み取る力が卓越していたヨキッチの才能を存分に生かす指導をしてきたことが、今の彼のプレースタイルの土台になっているんだ」
  NBAのスターになった今も、ヨキッチはシーズンが終わるとすぐにソンボルにとんぼ帰りしてくるのだという。そして高校時代からのガールフレンドと連れ立って、競馬場に行くのが何よりの楽しみだそうだ。ここに集まる人たちは、サッカーやバスケといった他の競技にはまったく興味がなく、ヨキッチを見ても馬の話しかしない。だからヨキッチにとってもスイッチをオフにして、リラックスすることができるのだ。

「彼はもともと自然体の好青年で、パーティーといった派手なことにもまったく興味がない。有名選手になってもまったく変わらない、素朴な人柄だ」とサリッチ記者はヨキッチの印象を語る。

 2、3年前、タブロイド紙にあらぬゴシップを書かれて以来、会見以外では話さないとヨキッチは決めたそうだが、NBAで築いた地位からは想像がつかないほど、地に足がついた青年なのだという。

「それにセルビアではまだまだ、彼はスーパースターじゃない。この国の人々は“勝者”を好む。MVPよりも、優勝のタイトルを獲ったとき、人々は真のスターとしてヨキッチを崇めるようになる」

 ヨキッチ自身もMVP受賞後「欲しいのはMVPよりもタイトルだ」とコメントしていた。NBA史に残るであろうユニークな逸材は、この先も進化を続けていく。その過程でチャンピオントロフィーを手に入れるチャンスも、必ず訪れることだろう。

文●小川由紀子