1910年に創設され、NBA(1946年)より古い歴史を持つNCAA(全米大学体育協会)は、プロを目指す若手選手たちにとってNBA入りの“王道ルート”であり、時代を問わず何人ものスーパースターを送り出してきた。

 では、カレッジとNBAで実績を残した選手を対象に、大学別に最強メンバーを選出した場合、どんな顔ぶれになるのか。『THE DIGEST』では、双方に精通する識者に依頼し、各大学のベストメンバーを選んでもらった。

 今回は1979、2000と2度の全米優勝経験を誇り、NBAの歴史を変えた大型司令塔マジック・ジョンソン、ダンク王に2度輝いたジェイソン・リチャードソン、ウォリアーズ3度の優勝を支えた攻守万能のオールラウンダー、ドレイモンド・グリーンを輩出したミシガン州大編をお届けする。
 【ポイントガード】
マジック・ジョンソン
1959年8月14日生。206センチ・100キロ
カレッジ成績:62試合、平均17.1点、7.6リバウンド、7.9アシスト
NBA成績:906試合、平均19.5点、7.2リバウンド、11.2アシスト

 ミシガン州大を強豪校へ押し上げた選手にして、バスケットボール史上屈指の名選手。本名はアービンだが、身長206センチの大型PGながら誰よりも巧みにボールを操り、的確かつ華麗なパスを送る魔法のようなプレーぶりから、マジックのニックネームが浸透した。

 大学では1年時の78年に19年ぶりのNCAAトーナメント進出、翌79年は優勝。決勝で対戦したインディアナ州大のラリー・バードとはプロでも終生の好敵手となった。79年ドラフト1位でロサンゼルス・レイカーズに入団し、フィラデルフィア・セブンティシクサーズとのファイナル第6戦では42得点、15リバウンド、7アシストの大活躍で新人ながらファイナルMVP。通算5回の優勝を経験し、82年と87年にもファイナルMVPを受賞した。

 レギュラーシーズンMVPにも87、89、90年の3度輝き、キャリア平均11.2アシストは史上1位。親しみやすいスマイルでも皆を魅了した人気者は、92年にHIVウイルス感染を理由として31歳で引退したが、5年後に1シーズンのみ復帰している。
 【シューティングガード】
ジェイソン・リチャードソン
1981年1月20日生。198センチ・100キロ
カレッジ成績:70試合、平均9.6点、5.0リバウンド、1.4アシスト
NBA成績:857試合、平均17.1点、5.0リバウンド、2.7アシスト

 子どもの頃はアイスホッケー選手を志していたが、身体が大きくなりすぎスケート靴が履けなくなったためバスケットボールに転向。ミシガン州大に入学した1999−2000シーズンに全国制覇を経験した。

 翌年ドラフト5位でゴールデンステイト・ウォリアーズに入団、新人ながらオールスターのスラムダンクコンテストで優勝。続く03年の大会も、マイケル・ジョーダンに次ぎ史上2人目となる連覇を飾って、史上屈指のダンカーとして名を残した。05−06シーズンに自己最高の平均23.2点、シャーロット・ボブキャッツ(現ホーネッツ)へトレードされた07−08シーズンはリーグ最多となる243本の3ポイントを沈めた。

 オールルーキー1stチームに選出された以外、個人賞やオールスターには無縁。「自分は過小評価されている。何回かはオールスターに選ばれるべきだった」と不満を漏らしているけれども、NBAでの平均17.1点は、ミシガン州大出身者ではマジックに次いで2番目の数字となっている。
 【スモールフォワード】
スティーブ・スミス
1969年3月31日生。201センチ・90キロ
カレッジ成績:122試合、平均18.5点、6.1リバウンド、3.7アシスト
NBA成績:942試合、平均14.3点、3.2リバウンド、3.1アシスト

 本職はSGだがここではSFで選出。大学時代はマジック・ジョンソン二世との評判をとった大型PGで、通算2263得点の学校記録(現在は2位)を樹立し、91年ドラフト5位でマイアミ・ヒートに入団。94年の世界選手権ドリームチームIIにも選ばれたが、エース級に成長したのは94−95シーズン途中にアトランタ・ホークスへ移籍し、SGに回ってから。

 調子の波が激しい難点はあったものの、97、98年に2年続けて平均20点をクリアし、97年はオールスターに出場した。得意技は、一旦スピードを落としてから再加速してディフェンダーを振り切るヘジテーションドリブル。ダン・マーリー(元フェニックス・サンズほか)が「あれを繰り出してくるとわかっているのに、どうしても引っかかってしまった」と嘆いたくらい効果があった。サンアントニオ・スパーズに所属していた01−02シーズンは3ポイント成功率47.2%で1位。初めての優勝を味わった翌03年のファイナルでは、最終戦の最後に顔見せで1分出ただけだった。
 【パワーフォワード】
ザック・ランドルフ
1981年7月16日生。206センチ・113キロ
カレッジ成績:33試合、平均10.8点、6.7リバウンド、1.0アシスト
NBA成績:1116試合、平均16.6点、9.1バウンド、1.8アシスト

 ミシガン州大出身者で、NBAで最初に成功したジョニー・グリーンもオールスター4回の実力派PFだが、実績はランドルフが上回っている。大学ではリチャードソンの1年後輩で、同じ01年ドラフトの19位でポートランド・トレイルブレイザーズに入団。

 当時の同球団は「ジェイル(牢獄)ブレイザーズ」と呼ばれるほど素行の良くない選手が多かったが、ランドルフも未成年飲酒や危険運転などのトラブルに関与。04年にMIPを受賞、06−07シーズンには平均23.6点、10.1リバウンドの好成績を残しながらも評価は高くなかった。

 ところが09−10シーズンにメンフィス・グリズリーズへ移ると、改心して揉め事は激減。同年と13年の2度オールスターに選ばれ、「ズィーボ」の綽名でメンフィスの人気者になった。巨体からは想像もつかない機敏な動きでポストアップしては点を取りまくり、通算では平均20点以上5回、10リバウンド以上を9回。通算1万8578点もミシガン州大OBで最多である。
 【センター】
ケビン・ウィリス
1962年9月6日生。213センチ・100キロ
カレッジ成績:79試合、平均10.1点、7.1リバウンド、0.2アシスト
NBA成績:1424試合、平均12.1点、8.4リバウンド、0.9アシスト

 主にPFで21年もプレーを続け、通算1424試合出場はミシガン州大OBで最多、リーグ史上でも8位。空前の大豊作だった84年ドラフトで11位指名を受けホークス入りし、91−92シーズンは平均15.5リバウンドを奪取。怪物デニス・ロッドマンが18.7本だったのでタイトルには手が届かなかったが、リーグ2位にしてアトランタ移転後の球団記録ともなった。唯一のオールスター出場を果たしたのもこの年である。

 攻撃でも得意のジャンプフックで15〜20点を安定して稼いだ。94−95シーズン途中、後輩スミスとの交換トレードでヒートへ移籍して以降は、ほぼ毎年移籍を繰り返し、03年にはスパーズの優勝に貢献。この時もスミスがチームメイトだった。

 ホークスに復帰した04−05シーズンを最後に一旦引退したが、1年のブランクを置いてダラス・マーベリックスで復帰し5試合に出場。最後に出たのは44歳224日で、これはNBA史上2位、現在のリーグ名になってからでは最年長であった。
 【シックスマン】
ドレイモンド・グリーン
1990年3月4日生。198センチ・104キロ
カレッジ成績:145試合、平均10.5点、7.6リバウンド、2.9アシスト
NBA成績:639試合、平均8.8点、6.9リバウンド、5.3アシスト
 
 シックスマンとして選んだのは先発に比べて実力が劣るからではなく、様々な場面や状況への対応力の高さを買ったもの。有望な選手は早々とプロになるのが当たり前の時代に、4年間大学にいた結果、通算145試合出場は学校記録。
  12年のドラフトでも2巡目35位だったが、バスケセンスはウォリアーズ入団当初から光っていた。3年目には先発に定着し、リバウンド、ブロック、スティール、アシストとあらゆるスタッツシートを埋め尽くす。16−17シーズンはリーグ1位の平均2.0スティールで最優秀守備選手賞を受賞。10年代後半に3度の優勝を果たしたウォリアーズの守備の要であり、熱血プレーでチームメイトを守り立て、スティーブ・カーHCから「このチームの『鼓動』」と形容された。

 自己最多の8.9アシストを記録した今季は、アシストとリバウンドの数がどちらも得点数を上回った初の選手(出場30試合以上)になるなど、オールラウンダーぶりに磨きがかかっている。

文●出野哲也

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