52試合に及んだ国内女子ツアーの2020-21シーズンがついに閉幕した。

【動画】賞金女王に輝いた稲見のインタビュー映像をチェック! その目には涙も…

 最終戦となった『JLPGAツアーチャンピオンシップリコーカップ』は、11月28日に大会全日程を終了。三ヶ島かなが通算11アンダーで悲願のツアー初優勝を飾ったが、この日の主役は間違いなくシーズン9勝を挙げ、初の賞金女王のタイトルを獲得した稲見萌寧だった。

 100点満点としてシーズンを終わらせるためには、是が非でも最後のピースを埋めなければならなかった。そのピースとは賞金女王のタイトルだ。

 今年に入ってから順調に優勝を重ね、上位に入る回数も着実に増やしていった稲見。8月に開催された東京五輪では銀メダルも獲得し、9月に開催された『日本女子プロゴルフ選手権大会コニカミノルタ杯』では初の公式戦優勝も飾った。

 残る目標は賞金女王だけだが、『NOBUTA GROUPマスターズGCレディース』でまさかのアクシデントに襲われる。立っていられないほどの激痛が腰に走ったのだ。

「ぶっちゃけ言うと、その試合で棄権を決めたときは賞金女王を諦めました」と稲見。苦汁の決断だったが、ここで無理しなかったことで終盤の4試合に参戦できたと振り返る。
  毎試合痛み止めを服用しながらも『TOTOジャパンクラシック』では2位に入り、『伊藤園レディスゴルフトーナメント』では優勝した。しかし、体を酷使していたことは否めない。

 プロ4年目だが、開幕戦からフル参戦したのは今年が初めてだった。しかも、自分が納得するまで何時間でもボールを打ち続ける練習スタイルに加えて、ハードなトレーニングも習慣化されているだけに、若いとはいえ、いつ体が悲鳴を上げてもおかしくなかった。

 最終戦も腰痛を抱えた状態での参戦となったが、稲見が賞金女王になるには、ランキング2位につけている古江彩佳が3位以下になるか、単独2位でも自分が13位以内に入ることだった。

 今季好調の選手しか出場できない大会の13位以内は容易ではないが、好材料だったのは、奥嶋誠章コーチが東京五輪以来のキャディを務めてくれたことだった。
 「ショットの調子が悪ければ見てもらえますからね」と大会前は語っていたが、いざ初日を迎えると、予想以上に自分のゴルフをできないことに気がついた。

 しかも、肝心の奥嶋コーチとのコンビネーションも上手くいかない。「私が挫けちゃって、コーチも何をしていいのか分からない状態だったと思います」と珍しく弱音を吐いた。25位タイと出遅れ、2日目はパープレーで回ったものの、23位タイに順位を少し上げただけだった。

 しかし、その夜に奥嶋コーチにLINEを通じて、残り2日間はお互いの意見が合うまで相談することを徹底したことで流れが変わる。

 3日目にようやくアンダーパーとなる「69」をマークし、15位タイにまで順位を上げて最終日へ。一時はスコアを3つ落として21位タイにまで順位を下げたが、最後まで諦めることはなかった。

 スコアボードを確認しながらも、なんとか13位以内に食い込むことだけに集中し、最終的に「73」でホールアウト。通算イーブンパーの9位タイでフィニッシュした。古江が3位タイに終わったことで、稲見の順位は関係なかったが、賞金女王への執念が呼び込んだ1オーバーのラウンドだった。
  結果として古江の逆転賞金女王を阻んだ形となったのが、優勝した三ヶ島だ。

 19年の『富士通レディース』では最終日を首位でスタートしながら、当時アマチュアだった古江に逆転負けを喫していた経験を持つ。「プロなのにアマチュアに負けたことが申し訳なく、そのことがずっと心に引っかかっていました」と当時について語っていたが、そのリベンジをようやく果たした形となった。

 これまで優勝するチャンスは何度もあったが、あと一歩及ばないことが多く、それを打開するためにも渋野日向子を育てた青木翔コーチに師事したのが昨年1月。それ以来、アプローチ、パットを中心とした地味な練習をひたすら続けながら、スイングも修正して徐々にレベルアップしてきた。

 その成果がようやく形となっただけに、嬉しさもひとしおなのだろう。「自分へのご褒美にロレックスの腕時計(500〜600万円相当)を買いに行きます!」と語っていた。

 公式戦を制したことで3年間の複数年シードを得たが、今後はそれを使わなくて済むぐらいの強いゴルファーを目指すつもりだ。

文●山西英希

著者プロフィール/平成元年、出版社に入社し、ゴルフ雑誌編集部所属となる。主にレッスン、観戦記などのトーナメントの取材を担当。2000年に独立し、米PGAツアー、2007年から再び国内男子、女子ツアーを中心に取材する。現在はゴルフ雑誌、ネットを中心に寄稿する