2021年のスポーツ界における名場面を『THE DIGEST』のヒット記事で振り返る当企画。今回は、元巨人の入来祐作の今に迫った1本をピックアップ。オリックスの投手コーチとして1、2軍合同キャンプで指導にあたっている彼が紡いだ言葉とは――。

記事初掲載:2021年2月24日

―――◆―――◆―――

 熱い男が、丸くなってグラウンドに戻ってきた。元巨人の入来祐作が、オリックスの投手コーチとして入閣し、故郷の宮崎で行われている1、2軍合同キャンプで指導にあたっている。巨人にドラフト1位で入団。浮かび上がるストレートで打者に立ち向かい、最高勝率もマークし、メジャーリーグにも挑戦したエリート。その後、横浜(現DeNA)に移籍し、現役引退後は打撃投手や用具係も務めた。

 華やかな舞台と、選手を支える光の当たらない裏方。その多彩な経験が若い選手に接すること多いコーチとしての大きな武器だ。そこには、戦力外通告を受け路頭に迷っていた時、PL学園と巨人の先輩、桑田真澄さん(現巨人投手チーフコーチ補佐)から授かった「謙虚でいるんだぞ」という金言があった。

「こちら、入来コーチです。了解しました」
  突き出たお腹に食い込むように、ベルトに挟んだ無線機を口に当て、他のコーチと連絡を取る姿もすっかり様になってきた。

 中嶋聡監督の下、A班とB班が同じ時間に同じ練習を行う効率の良いキャンプを続けるオリックス。選手が次の練習を待つ無駄な時間を少なくするため、無線機でのやり取りは必須なのだが、入来コーチは「無駄をなくし、質を究極的に求めるのが球団や中嶋監督の方針。アメリカで2年間、システムを底辺から経験させてもらい、自分なりに理解はしている」と、新しい球団での指導にも戸惑いはない。ブルペンでの指導や投手へのノックのほか、個別練習の時間にサブグラウンドの隅でシャドーピッチングをする選手にも、こまめにアドバイスを送る。

 多彩な経歴だ。PL学園、亜細亜大、本田技研を経て1997年に巨人入り。2001年には13勝4敗で最高勝率をマーク。日本ハムに移籍後、メジャーに挑戦しメッツとメジャー契約をした。その後、マイナー契約し傘下の3Aでプレー。メジャーでの登板はかなわず横浜のテストに合格し、3年ぶりにNPBに復帰した。現役引退後は、打撃投手、用具係を務め、2015年から5年間はソフトバンクでコーチを務めた。 逸話には事欠かない。174センチの小さな身体で打者に向かっていく気迫のこもった投球。外国人選手との対戦で乱闘騒ぎになった。巨人時代には、契約更改の席上、1軍での登板機会を求めて他球団への移籍を直訴したこともあった。

 巨人の元球団代表で、野球史家の山室寛之氏は「ホップするストレートが忘れられない。(契約更改での主張は)選手はみんな個人事業主だから、主張するのは当然」と当時を懐かしく振り返る。入来を再評価したのは、横浜で打撃投手を務めていた頃。巨人のOB会で再会した時の立ち居振る舞いを見て「ずいぶんと丸くなったな」と驚いたという。

 丸くなったのは、身体だけではない。それには、訳があった。2008年に入団した横浜では、3試合に登板しただけでオフに戦力外通告を受けた。「野球界で仕事がしたい。なにか球団で仕事はないですか」と、毎日のように球団編成担当の浅利光博さんに電話をかけて就活をしている時だった。

 桑田さんに頼まれ、野球教室を手伝った。終了後、「桑田真澄」と書かれた白い封筒を手渡された。「これで1か月、生活できるか」。戦力外通告を受けた後輩に対し、生活に困らないように考えてくれたアルバイトだった。お金以上に、働いた対価として受け取りやすいように考えてくれた先輩の心遣いがうれしかった。
  あふれる涙で顔をくしゃくしゃにして封筒を受け取った入来に、桑田さんは「とにかく謙虚でいるんだぞ」と声をかけてくれた。いつもはソフトで、はんなりとした口調の桑田さんだが、珍しく諭すような口調だったという。

「『謙虚』とはなんだろう。よく使われる言葉だが、いろんな意味があるはず」。辞書やネットで調べ、自分の中に落とし込んだ。

「桑田さんは、僕の生きざまを、それまで黙って見ていらっしゃったのでしょうね」

 振り返ってみれば、プロ生活12年間、実力だけが通用する結果がすべての世界に生きて、「自分が(結果を残して)稼ぐことで精いっぱいだった」。将来、コーチや職員として残ろうと球団幹部らにおもねることもなかった。

 これから始まる野球のない人生。そんな真っすぐな生き方では、世の中で生き残れないことを教えてくれた金言だった。年末に届いた打撃投手での雇用は、喜んで受け入れることが出来た。巨人のドラ1や過去の実績など、プライドはなかった。採用にあたり「キレたらダメだぞ。すぐに解雇だ」という浅利さんの心配は杞憂だった。
  ここからも苦難の道が待っていた。打撃投手なのにストライクが入らず、地面にボールをたたきつけてしまう。縦横4メートルはある大きい打撃ゲージの枠の中にも、投げることが出来なくなってしまった。イップスだった。打者が打ちやすい球を投げようと意識すればするほど、ボールがうまく手から離せなくなってしまうほどの重症。2年でお役御免になってしまい、今度は1軍用具係に転身することに。

「『(巨人のドラ1が)気の毒に』という目で見られたこともあるが、世間とはそんなもの。野球界で仕事をさせてもらってありがたいとしか思わなかった。(そのような経験を)苦労だと思ったこともない」と入来は言い切る。

 今季のオリックスの首脳陣は1、2軍監督の区別があるだけで、キャンプでは部門ごとにすべての選手をすべてのコーチが見るが、公式戦で入来が担当するのは2軍投手コーチ。選手には常に笑顔で接する。時には肩をポンポンと叩き、スキンシップを図る。

 キャンプ中盤の2月16日、大阪の球団施設・舞洲で調整していたC組が合流した際には、サブグラウンドの隅で、合流したばかりの育成で高卒2年目の谷岡楓太投手と話をして「プロ入り前に思い描いていた野球人生と違うかもしれない。これから一緒に考えていこう」と声をかけ、何度も肩をたたいて激励する姿があった。話し終わった谷岡投手に笑顔が戻った。
 「プロの野球選手として少しは成功し、いろんな経験もできたので、スーパースターの選手にも隅っこにいる選手にも、いろんな立ち位置で話が出来る。まだ何も見えていない若い選手には『こうしろ』ではなく、一つひとつ丁寧に話をしなくてはいけない。いろんな話が出来る関係になりたいと思う」

 そんな姿を、森川秀樹・球団本部長は「グラウンドの隅々まで目を配り、動き回って選手に声をかけるなどバイタリティーあふれる指導で、初めて見る投手にも短期間で距離を縮めている。前向きで実績もある。様々な経験は、若い選手らにとって参考になるはず」と評価。福良淳一GMも「あれだけの経験を、若い選手にいろんな形で伝えてほしいい」と期待を寄せる。

 昨年は、ソフトバンクのアカデミーで、子どもたちを相手に野球の底辺拡大や地域貢献に携わった。「何も知らない小学校低学年の子どもたちに接して野球を教えるなんて、こんな幸せなことはなかった。野球界に入って、最も穏やかに過ごせた1年だった」と、かつてないほど心身ともに充実した期間だったそうだ。 それだけに、オリックスからコーチでの入閣を要請された時には「なんでオリックスが、と頭が真っ白になった」と振り返る。中嶋監督や中垣征一郎・巡回ヘッドコーチらと日本ハムの現役時代に縁はあったが、オリックスから声がかかるとは思いもよらなかった。だからこそ思う。「ただただ、(NPBで)野球の仕事が出来ることがうれしかった。一生懸命、やるだけです」。
  2年ぶりのNPB復帰。ラインで桑田さんに報告すると、「自分が思うようにやりなさい。これからが勉強だね」とアドバイスがあった。年明け早々、電撃的に巨人にコーチとして復帰した桑田さんからは「今回の挑戦は、楽しんで挑戦します」と返ってきたという。「土俵は全く違うが、いつも考えさせられるお言葉をいただける」と入来コーチ。

 感謝の気持ちと謙虚さを忘れることなく、夢を追う若い選手のよき理解者になろうと、決意を新たに臨んでいる。

文●北野正樹(フリーライター)

【著者プロフィール】
きたの・まさき/1955年生まれ。2020年11月まで一般紙でプロ野球や高校野球、バレーボールなどを担当。南海が球団譲渡を決断する「譲渡3条件」や柳田将洋のサントリー復帰などを先行報道した。