世界が熱狂したワールド・ベースボール・クラシック。侍ジャパンが“野球大国”アメリカ代表を破って成し遂げた14年ぶり3度目の世界一は老若男女問わずに多くの日本人が歓喜し、熱狂した。試合中継の視聴率がほぼすべて40%以上を叩き出したのは、昨年11月に行なわれたカタール・ワールドカップに勝る注目度の高さの表れと言えよう。

 そんな日本代表の世界制覇から少し時間が経った。そこで今回の代表チームを改めて振り返ってみた。すると、筆者の頭の中で真っ先に浮かんだのは、ダルビッシュ有(サンディエゴ・パドレス)の存在だった。

「今回のチームは“ダルビッシュジャパン”と言ってもいいくらい。自分のことはさておいて、チームのため、野球のため、将来のため……今、僕が多くを語るつもりはありませんが、いつかきちんとみなさんにお伝えしたい」

 これは栗山英樹監督が準々決勝のイタリア戦後の記者会見で語った言葉だ。2月17日に始まった宮崎合宿から通して見ると、指揮官の言葉は決して大げさではない。

 筆者は大会MVPに輝いた大谷翔平(ロサンゼルス・エンジェルス)と同じ、あるいはそれ以上にチームにとって欠かせなかったのは、ダルビッシュだと考える。彼がグラウンド内外で与えた影響力は、それほどまでに大きかったのだ。
  自身の状態は決して芳しいものではなかった。グラウンド上では3試合に登板して防御率6.00、WHIP1.17と精彩を欠いた。本人が「難しい」と語ったように開幕前の春先の調整は百戦錬磨の右腕にとっても決して容易ではなかった。宮崎でも肌寒さの残った今年はなおさらだった。

 実際、栗山監督も36歳のベテラン右腕の不調は感じ取っていた。大会後の3月27日の記者会見では「調子が上がらなかったのは間違いない」と指摘している。それでも実働11年のメジャーキャリアを培ってきたベテランの見識や実力は、世界一を目指すうえで絶対に欠かせない。ゆえに「本当に申し訳ない」「勘弁してくれ」と謝るしかなかった。

 そんな指揮官の想いをダルビッシュは汲み、行動に移した。所属するパドレスからの許可が下りた影響はあったが、メジャーリーガー組で唯一、宮崎合宿から侍ジャパンに帯同。「友だちと思って接すること。年齢とか気にしていない」とオープンな姿勢で自らが磨いてきた技術と知識を惜しみなく、NPBに所属する若手投手たちに伝授した。

 いわば大スターであるダルビッシュからワールドクラスのスキルを学んだ選手たちも驚きを隠せなかった。山本由伸(オリックス)が「すごい野球のことを考えている人だなと話をしていて思います。本当に野球に対する熱の注ぎ方が本当にすごく深い。あれだけ才能のある方であるのに、それでもここまでもめちゃくちゃ努力をされている」と語る。 ありとあらゆる面で選手たちと日本球界が発展するキッカケを植え付けたダルビッシュ。そんな彼の言動で、何よりも驚かされたのは「代表戦」に臨むマインドだ。

 これはオリンピック、はたまたサッカー中継による影響なのか。日本ではかねてから代表戦となると、「絶対に負けられない戦い」という意識が先行。選手たちに壮大なプレッシャーがかけられがちとなる。もっとも、その“煽り”によって注目度が増している影響はあるのだが、SNSが発展した近年はそれが過剰になっている傾向があったのも事実だ。

 そうしたなかで大会前から「戦争に行くわけじゃない」と公言していたダルビッシュは、WBCが始まってからも「野球なので。やっぱり小さいときから楽しそうだから始めたことだと思うし、そこの原点を分かってほしいなと思います。とにかく楽しくやるのが野球だと思います」と強調し続けた。

 もちろん、WBCを「国別対抗戦」と捉える彼にとって、やはり選手としてメジャーのレギュラーシーズンこそが最優先とするところ。さらに言えば、父親としての人生を考えた時には優先順位が低くなる。そうした考え方が「気負い過ぎ」という代表戦への発想に至らせた部分は大いにある。だが、それを実際に公言し、行動に移した影響は計り知れなかった。

 筆者には興味深く、忘れられない言葉がある。それは不振に喘いでいた村上宗隆(ヤクルト)に寄せられたものだった。
  1次ラウンドを終え、侍ジャパンの4番を務めていた村上は打率.143、ゼロ本塁打と低迷。史上最年少のNPB三冠王と期待されていたなかでの極度の不振により、周囲からは状態を不安視する厳しい声が聞こえてきていた。

 この極限状態で“逆風”を受けた村上の前に、いわば壁のように立って見せたのがダルビッシュだった。1次ラウンド最終戦のオーストラリア代表戦後にメディアの囲み取材に姿を現し、こう言ってのけたのである。

「それ(好不調があること)が野球なので。そんなことを気にしていても仕方ないですし、人生の方が大事ですから。野球ぐらいで落ち込む必要はない。自分も含めてですけど、休みもあると思うので、それ以外のことで、すごく楽しいことをしたり、美味しいご飯を食べたりして、リラックスしてほしい」

 思わず気おされるような気持になったのを覚えている。ここまでの発言をすれば、日本球界では「気が抜け過ぎだ」といった批判が起きてもおかしくはない。もちろん彼がメジャートップレベルの投手という実績を積んだからこそ説得力があるのだが、「野球ぐらい」と堂々と言える選手は今までいなかったのではないか。 宮崎合宿からの約1か月。通常であれば、貴重な調整段階の時期にダルビッシュは自らのコンディションよりも先に、若手たちのケアやスキルアップに奔走。それも、今までになかったオープンな思考を代表にもたらした。

 これがいかに簡単ではないのか。それは栗山監督の言葉からも滲み出る。

「(通常は)1週間に1回、球数を増やしていきながら調整してもらって試合に向かっていく。一切、試合に出られずに、まあ1試合練習試合を中日がやってくれましたけど、韓国戦にいかなければいけないという状況の中で。申し訳ないと本人に謝りました」
  上下関係を取っ払ったダルビッシュの振る舞いによって、侍ジャパンの団結が深まったのは間違いない。さらに言えば、羨望によって生じる「壁」をなくしたことで、“世界ナンバーワンプレーヤー”の大谷、そして初の日系人選手として注目を集めたラーズ・ヌートバー(セントルイス・カーディナルス)にNPBの若手選手たちが臆せずコミュニケーションが取れる雰囲気も創出。結果的に両者も活躍しやすい環境が生まれていった。

 責任やプレッシャーに晒されがちな侍ジャパン。そんな凝り固まった考え方を開けた思考でもって変えたと言っても過言ではない。グラウンド上では万全の投球はできなかったが、「楽しく野球をしているところを、ファンの方々に見てもらうことがすごく大事だと思っていた」と大会終了後に語ったダルビッシュの存在は、この先も語り継いでいきたい。

文●羽澄凜太郎(THE DIGEST編集部)

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