「やっとです! 三度目の正直ですよ!」

 勝利後にベンチに引き上げてきた彼女は、溶けそうなほどに顔をほころばせ、喜びの声をあげた。

 テニス四大大会の全仏オープン予選には過去2度出場し、いずれも決勝戦で敗退。特に昨年は、試合が進むにつれ調子を上げるも、相手の背を捕らえるには一歩及ばなかった。

 全米オープンでも過去2度、予選決勝で敗退。昨年の全豪オープンにはワイルドカード(主催者推薦)で出場した内島萌夏(世界ランキング80位)ではあるが、予選を勝ち抜き自ら本戦の切符を勝ち取ったのは、これが初めてだった。

 内島の豊かな才能は、彼女が16歳の頃から、関係者の耳目を集めていた。2018年4月のフェドカップ(ビリー・ジーン・キング・カップ)対英国戦では、“サポートメンバー”として日本チームに帯同。その僅か2週間後のカンガルーカップでは、ワイルドカードでの出場ながら、決勝まで駆け上がった。

 その決勝で対戦したのが、当時の日本のエース、奈良くるみ。その奈良は、フェドカップで内島を初めて見た時に、衝撃を受けたという。
 「打つボールからして、この子は違うなと。こんなこと言うと偉そうに聞こえますが、うまく育てば本当に楽しみな選手だなと思った」

 6年前のちょうどこの時期、現ビリー・ジーン・キング・カップ日本代表コーチの奈良は、内島の未来を予見していた。

 ただその後の内島の歩みは、必ずしも順風満帆とは言えないかもしれない。

 プロ転向後は、コーチを含めた拠点を築くのに時間を要した。

 2019年末に、中国の名伯楽、アラン・マーとの知己を得て彼のアカデミーを拠点とするも、翌年のパンデミックにより、中国国内に閉じ込められた。

 ただこの期間を、内島は「良かった」と振り返る。サービスのフォームからフォアハンドのグリップまで、技術面に細かくメスを入れられたからだ。

 2022年に迎えた最初のブレークは、それら改革の成果。年末には、ランキングも104位に達した。

 翌年は足踏みを強いられるが、それもテニスの世界では珍しくない物語。高まる自分への期待と重圧、そして戦いのステージが上がったことによる苦戦……それらの通過儀礼を、彼女は正しく踏破していった。
  心身両面での酸いも甘いも経験し、重ねた試行錯誤が音を立てて噛み合ったのが、今年の4月だという。スペイン開催のITF W100初戦で、第1シードのアランチャ・ルス(オランダ)から逆転勝利をもぎ取った時だった。

「勝つための方法を自分で考えて見つける」ことができた時、彼女の視界は大きく開ける。奇しくもというべきか、ルスは1年前の全仏予選決勝で、内島が悔しい負けを喫した相手でもあった。

 6年前の16歳の日、奈良に敗れて届かなかった岐阜・カンガルーカップのトロフィーを、内島は6年ぶりの参戦でつかみ取った。「狙って取りに行った」この優勝は、「ノープレッシャー」で手にしたスペインでの優勝とは、また異なる力を彼女に与えただろう。

 そして、信じがたい快進撃が始まる。岐阜で優勝したその夜に、飛行機に飛び乗り向かったスロバキアで優勝。そこから休む間もなくマドリードに移動し、またもトロフィーを抱いた。その日の夕方には電車に乗り、パリ入りしたのは予選開幕の前日。そして今回の予選でも、3日連戦し3連勝。日本と欧州を横断しながら、24日間で連ねた白星は18に及ぶ。
 「全身にテーピングしたいくらい、疲労と痛みはあります」

 予選決勝後に内島は、さすがに苦笑いをこぼす。それでも「ケガなく戦えている」ことに安堵し、周囲のサポートに感謝した。

 今年の岐阜で内島の優勝を見届けた奈良は、「以前は、試合中に『どうした? もゆか(萌夏)、お昼寝しちゃったか?』と思うこともあったけれど、最近はその時間が短くなった」と、愛らしい表現で内島の成長を評していた。

 それから3週間が経ち、当時130位だったランキングは、80位に。

「何か一つきっかけをつかめば、トップ50、トップ30に行く力は備わっている」と奈良が言っていたその時、「きっかけ」は既に、内島の手の中にあった。

現地取材・文●内田暁

【画像】内島萌夏が日本代表として戦った2022年のBJK杯

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