NBAの“キング”ことレブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)は、2010〜14年に在籍したマイアミ・ヒートでドゥエイン・ウェイド、クリス・ボッシュと“スリーキングス”を形成し、2012、13年にリーグ2連覇を果たした。3人はニューヨーク・ニックスに集結して一緒にプレーする可能性もあったというが、ある理由でそれは夢と消えたとギルバート・アリナス(元ワシントン・ウィザーズほか)は実情を明かしている。

 2003年のドラフト全体1位指名でクリーブランド・キャバリアーズに入団したレブロンは、瞬く間にチームの絶対的エースへ。2006年から5シーズン連続でプレーオフに進出し、2007年にはNBAファイナルに駒を進めるも、ティム・ダンカン、トニー・パーカー、マヌ・ジノビリのビッグ3を擁するサンアントニオ・スパーズの前に4連敗。キャブズでの7シーズンでリーグ優勝を果たすことができず、2010年にFA(フリーエージェント)でヒートへと移籍した。
  米スポーツ専門局『ESPN』の特別番組『The Decision』でヒート行きを発表し、ウェイド、ボッシュという同期のスーパースターとトリオを組むと、キャブズの英雄から一転、ファンがレブロンのユニフォームを燃やして批判を繰り広げるなど全米中の悪役となったのは有名な話だ。

 ヒート以外のチームもレブロンの獲得に動き、その去就は大いに注目されていた。ニックスやシカゴ・ブルズは有力候補のひとつと目され、レブロンの第一希望はニックスだったとも言われる。アリナスは自身のポッドキャスト番組『Gil's Arena』で「ウェイド、ボッシュ、レブロンが一緒のチームになることを決めた時、誰かの所属している都市ではなく、全員が新鮮な気持ちでプレーできるように考えた。だから彼らはニューヨークに行くつもりだったんだ」と、ニックスに3人が降り立っていた可能性について触れた。

 ただ、ニックスは2010年7月8日(日本時間9日、日付は以下同)、フェニックス・サンズからフリーエージェントとなったビッグマンのアマレ・スタッダマイアーと5年総額9970万ドル(約157億円)の大型契約を締結。レブロンとウェイドは、ボッシュ抜きで契約の話を進めるつもりはなく、シナリオは大きく変わったとアリナスは語る。
 「(名物オーナーのジェームズ)ドーランはアマレ・スタッダマイアーに大金を叩いたことでミスを犯した。自分たちのビッグ3があるから、アマレ・スタッダマイアーとはプレーしたくなかったんだ。ニューヨークはチャンスをフイにした。そして、彼らはミッキー(ヒートのオーナーであるミッキー・アリソン)に電話をして、『ヘイ、ミッキー。これが僕らのやりたいことだ。実現できるかい?』と言った。そして、実際に実現したんだ」

 ウェイドは7月9日にヒートと再契約、レブロンとボッシュは7月10日にサイン&トレードでヒートへ。そして、レブロンが一緒にプレーすることを望んでいたとされたマイク・ミラーも、ニックスからの5年総額6000万ドル(約94億5000万円)のオファーを蹴って7月15日にヒートとサインした。アリナスはニックスの失敗を指摘する。
 「当時何が起こっていたか知っていたら、ニューヨークが失敗したとわかるはずだ。マイク・ミラーに高額オファーをしたのは、マイク・ミラーがグループの一員だったからだ。マイアミが彼を盗んだ。(ユドニス)ハズレムはその動きを察知すると契約を一旦拒否し、減俸を受け入れる形で再契約して戻ってきた。彼らはみんな一緒に動いていたんだ」

 ニューヨークのファンとすれば、レブロンやウェイドがニックスの一員として聖地マディソンスクエア・ガーデンでプレーする姿を見たかったに違いない。

構成●ダンクシュート編集部

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