長らくテレビを見ていなかったライター・城戸さんが、TVerで見た番組を独特な視点で語る連載です。今回は『坂道の向こうには青空が広がっていた。』(毎週火曜夜24:25-24:55、フジテレビ)をチョイス。

■ヤラセについて考える『坂道の向こうには青空が広がっていた。』

私はヤラセが大好きである。基本的によくない意味で使われることがほとんどで、テレビで発覚でもしようものなら番組存続の危機なのだろうが、私は、(あくまでもモラルに則ったうえで)面白ければ何でもいいと考えるので、私に提示されているコンテンツがフィクションなのかノンフィクションであるのかは、まったく重要ではない。と、私はそう思うのだが、確かに、ヤラセでしたと聞いたとき、どこか落胆してしまう気持ちも存在する。これはなぜだろうか。どうしてヤラセだと嫌なのだろう。まず大前提として、単に嘘をつかれているから嫌というのはあるだろう。「本当ですよー」として提示されたものが嘘だったわけだから、こちらが不快感を覚えるのも当たり前だ。しかし、それよりもっと深い何かがあるんじゃないだろうか?

たとえば、Aさんが、すべらない話を披露するとする。彼は巧みな話術と表情でその場を爆笑の渦に包み込んでから、「まあ、今の全部作り話なんですけどね」と言う。するとどうだろう。私を含め、ほとんどの人は、「いや作り話かよ」と落胆してしまうに違いない。落胆とまではいかなくても、「本当だったらもっとよかった」と思うはずだ。なぜなら、嘘より本当のほうが良いのは明白であるから。じゃあ、彼は、嘘をついたのだろうか?彼がしたのはあくまで『すべらない話』である。『本当にあったすべらない話』ではない。彼がすべっていたら嘘をついたことになるだろうが、彼はすべっていない。爆笑をかっさらった。本来、話の面白さに、事実か作り話かという事はまったく関係がないはずなのだ。それならばどうして、作り話であると知った途端に落胆してしまうのだろう。「夢の話はつまらない」という風潮も、きっと同じ理由なんじゃないかと思う。でも、分からない……。我々の、”リアリティ”を求めてしまう姿勢とは、一体、どこから来ているのだろうか……。

さて、どうしてこんなにも長々とヤラセの話をしたかというと、火曜深夜に放送されている『坂道の向こうには青空が広がっていた。』にて、ヤラセをテーマにした回が放送されていたからだ。アイドルグループ”僕が見たかった青空”のメンバーたちが、”抜き打たないカバンチェック”と”いわくなし心霊ロケ”に挑み、業界内でいつ来るやもしれないヤラセの瞬間に備えるというもの。企画としてはもはや鉄板ともいえるもので、早崎すずきさんのカバンから200万円が出てきたところで爆笑してしまった。200万円って現金の中で一番面白い。ヤラセによって200万円が登場してくれるなら、私としてはやはり、ヤラセを肯定せざるを得ないのだ。