「 いったい、なにを考えているんだ」

 1996年夏、アーセナルのアーセン・ヴェンゲル監督(当時)がACミランからパトリック・ヴィエラを引き抜いたとき、イングランドのメディアは一様に首を傾げた。

 無名のフランス人で、ミランではわずかリーグ戦2試合の出場。26年前のセリエAはガッチガチの戦術至上主義で、指揮官だったファビオ・カペッロも規律にやたらとうるさかった。後にパオロ・マルディーニ、ジョージ・ウェアといった主力が、「軍隊じゃないんだから……」とこぼすほど厳しかった。

 好ましい環境ではない。数多くのルールでがんじがらめに縛られると、精神的に委縮する。カペッロはミランやレアル・マドリードに多くのタイトルをもたらした名将だが、イングランド代表を率いたおよそ4年間(08年1月〜12年2月)でもなにかにつけて規定を設け、マンチェスター・ユナイテッド、リヴァプール、チェルシーの三派に分かれていたチーム内の緊張感を、さらに煽っている。

 ヴェンゲルとは対照的な性格だ。この、フランス人の名伯楽は基本的に選手の個性に委ねる。明確なゲームプランを提示しなかったため、「責任逃れ」とも批判されたが、ヴィエラには適していた。

「ヴェンゲル監督は俺たち選手を信じてくれた」

 このコメントはヴィエラだけではなく、ティエリ・アンリやロベール・ピレスなどのフランス人、さらにトニー・アダムス、デイビッド・シーマン、ソル・キャンベルといったイングランド人も頻繁に口にしていた。選手たちをチェスの駒のように扱ったカペッロのもとで委縮していたヴィエラに、ヴェンゲルは自由を与えたのである。

「 唯一無二。俺にとっては世界一の監督であり、憧れの存在だ」

 ヴィエラはいまでも感謝を忘れない。

 鎖から解き放たれたヴィエラは、瞬く間にアーセナルの中盤に君臨した。豊富な運動量、恵まれたリーチを活かした深くて鋭いタックル、それでいて楔も打てれば、局面を瞬時に変えるロングパス。また、ポジショニングにも優れ、一対一でも無敵の中盤センターだった。

 しかも闘争本能が旺盛だった。勝利のためならイエロー、レッドカードも辞さず、相手ベンチが聞くに堪えない罵声を発した際は、鬼のような形相でつかみかかる。

 1990年代中期から10年間ほど、プレミアリーグの覇権を争いつづけたユナイテッドの闘将ロイ・キーンとは、つねに臨戦態勢。試合前に通路でエキサイトし、あわや大乱闘の気配を醸し出していた。レフェリーが仲裁して事なき得たものの、勝利のためにからだを張るヴィエラの姿勢を如実に物語るシーンといって差し支えない。

 ともすればアーセナルは、美しさにこだわりがあった。ロングボール・ドーン、ヘディング・ドカーンではなく、心地よいパスワークを軸とするアタッキング・フットボールだ。

 このスタイルを支えていたのがヴィエラの強さであり、喧嘩上等の心意気である。2003-04シーズンのプレミアリーグでも、ヴィエラがキャプテンとしてチームを支え、汚れ役に徹したからこそ、前人未到の無敗優勝を成し遂げられたのだ。

 全盛期の彼は巧くてパワフル、なおかつタフネス。憎らしいほどカッコよかった。

 10年間プレイしたアーセナルを05年に退団した後、ユヴェントス、インテル・ミラノと渡り歩き、10-11シーズン終了後、マンチェスター・シティでユニフォームを脱いだ。引退後はシティのデベロップ部門の責任者、ニューヨークシティ、ニースの監督を務め、今シーズンからクリスタル・パレスの指揮官を拝命した。

 35試合を消化した段階で10位。ヴィエラが志向するハイプレスとポゼッションは早くも実を結びつつあり、マンチェスター・シティやトッテナムにも勝利を収めている。また、コナー・ギャラガーやマーク・グエーイなど、近未来のイングランド代表を担う若者のタレントも磨いた。

「監督としての実績は皆無」とか「しょせんはニースを解任された男」とか、シーズン前は酷評していたイングランドのメディアも沈黙するしかない。

 しかし、ヴィエラはさらに上を見ている。クリスタル・パレスはあくまでも通過点だ。いずれは古巣アーセナル、現役として最後を飾ったシティなど、プレミアリーグが世界に誇るクラブで監督を務めることを視野に入れている。

 ヴェンゲルのもとで自由にプレイし、トレンドのハイプレス+ポゼッションも採り入れる。ヴィエラはどのようなチームを創り、遠くない将来に世界の名将と呼ばれるのか、興味は尽きない。

「わたしが指導した選手のなかでも、パトリックは並外れていた。リーダーとしての資質も申し分ない。いい監督になれると思うよ」

 ヴェンゲルも、ヴィエラ監督の成功を保証した。

文/粕谷 秀樹

※電子マガジンtheWORLD(ザ・ワールド)269号、5月15日配信の記事より転載