三重県伊勢市に真っ白な十割蕎麦や、蕎麦がきなどを味わえると人気の蕎麦店がある。店主1人で営む店は完全予約制で、いまや1か月待ちだが、修業を積んで開店したばかりだ。たとえ1人でも店を営んでいこうと決めたのは、学生時代に引きこもり、迷惑をかけた母への「恩返し」だった。

■愚直に真っ直ぐに…スローペースでも一人で店を切り盛りする蕎麦職人

 三重県伊勢市にある「生粉(きこ)打ち蕎麦処 武藤」。

女性客: 「ん〜!あまい!」 別の女性客: 「おいしいです!このまま食べてもおいしいような感じです」

そばの風味が口いっぱいに広がる、十割そば。なのに、のどごし良く、つるっと食べられる。このそばを作っているのが、そば職人の武藤伸吾さん(45)だ。

この店では自家製のそばがきや天ぷら、そしてメインのそばと、そばをメインとしたコース料理が楽しめる。だが、店のメニューの表紙には「お待ちいただく時間が長くかかる」とお断りが書かれている。

 実は武藤さん、素早く動くことが得意ではない。そのため、時間がかかってもマイペースでできるよう、1人で店を切り盛りしていた。 武藤さん: 「そばは盛り付けた瞬間からどんどん劣化しはじめるので、できるだけいい状態で食べていただけるように、完全予約制にさせてもらっていて。僕が1人で切り盛りさせてもらっている」

■メインは真っ白な「更科粉」だけの十割蕎麦…1か月待ちの「蕎麦づくしコース」に舌鼓

 開店3時間前の午前8時。武藤さんは1人で仕込みと開店の支度をしていた。テーブルのセットも自ら行う。あとは料理の仕込み。ほとんどを前の日に準備し、残りはそこまで多くないというが…。

武藤さん: 「僕の根本的な動作の遅さ。無駄に丁寧にしてしまう感じなんですよ」 実は武藤さん、素早く動くことは得意ではないため、マイペースでできるよう1人で、店を切り盛りしている。特に時間がかかるのが「天ぷら」。そこで武藤さんがやっているのは…。 武藤さん: 「二度揚げするのも、2回目はちょっと短縮できるもんで」 1度揚げた後に置き、食べる前もう一度揚げる「二度揚げ」。油のしつこさが落とせて、衣はサクサクに、具材はやわらかくなるという。

 開店の11時。予約のお客さんがやってきた。一人でさばけるよう、午前は6人、午後は8人という完全予約制にしている。

自宅を改装して2022年4月にオープンした「生粉打ち蕎麦処 武藤」。緑が映える庭を眺めながらおいしい蕎麦をゆっくりと楽しめると、SNSなどでたちまち評判に。現在は、1か月先まで予約が埋まっているという。

女性客: 「ぜんぜん(予約が)取れなかったの。待って待って、やっと今日取れたので」 そんなお客さんのため、厨房では武藤さんが調理を始めた。メニューはコース料理のみだ。  一品目は、粗びきのそば粉に水を足し約10分練りあげた、自慢の蕎麦がき。お餅のような柔らかく粘り気のある食感と、豊かなそばの風味がたまらない逸品だ。

 次は、赤たまねぎなど旬の野菜を使った日替わりの天ぷら。

この日のおススメは旬の赤たまねぎ。二度揚げしたサクサクの衣と、たまねぎの甘みが楽しめる。

 天ぷらのあとは、いよいよメインのそば。武藤さんも気合が入るが…。

武藤さん: 「ここ失敗したら終わっちゃうんですよね。これもできるだけ俊敏にしないと、どんどん伸びていっちゃうんで、難しいところなんですよ」 時間との勝負。精一杯、素早く盛り付ける。

 ちなみに、この真っ白なそばは…。 武藤さん: 「更科そばです。そばの実の中心の真っ白い部分だけで、普通に打ってもつながらない粉なんですけど」

武藤さん自慢の「更科蕎麦」。“そばの実”の中心の白いところ、通称「更科粉」のみで作る。小麦粉などのつなぎを入れないため、独特の食感と喉ごし、そばの甘みが楽しめる。

こうした十割の更科そばは珍しいため、これを目当てにくるお客さんも多いという。

女性客: 「おいしい、初めて食べる。他のおそば屋さんに行っても、こんなの出ないもんね。食感は歯ごたえがあるし、おいしい」

さらに、太さの違うそばの食べ比べができる、十割そばの「三種盛り」。

女性客: 「おいしいです。全然味がちがって感じます、ちょっと感動」 そばを堪能した後は、トロっと濃厚な「蕎麦湯」。そばつゆではなく、塩をひとつまみいれて飲むのがおススメだ。

 そしてシメは、そば粉だけで作った武藤さんのオリジナルスイーツ。わらび餅のようなプルプル食感で、ほんのりそばが香る。

 そばづくしコースは、全6品で2800円。

女性客: 「おそばもおいしかったし、天ぷらも。お野菜が甘いね。満足です」 スピードは決して速くありませんが、お客さんは大満足で店をあとにしました。 武藤さん: 「ちらほら、おいしいと聞こえてくるとうれしいですね。決して安くない値段のコースやのに、それを支払って食べてくれることがありがたいことやなと」

■「1人でやってるけど1人じゃない」…蕎麦の道へ進んだのは引きこもり迷惑をかけた母への親孝行

 調理も接客もすべて1人。手間も時間もかけて、それでも1人で店を営むのには、ある思いがあった。 以前は介護福祉士として12年働いていた武藤さん。

武藤さん: 「長いこと引きこもりをしていた時代があって、その時に両親に迷惑をかけてしまって。いつの頃からか、親孝行に徹しようって決めたことがあって」

武藤さんは学生時代、不登校になり長く家に閉じこもっていた時期があった。その後、介護福祉士になり安定して働いていたものの、母・美子さんが重い病にかかってしまった。 何か親孝行したい。

そんなとき、出会ったのが…。 武藤さん: 「自分の高校時代の恩師が、そば打ちを教えてくれるお店があるってことを教えていただいて。母親に『そば職人ってどうなのかな』と話しをしたところ、『いいやんか』とすごく賛成してくれて」 そば店なら、母と暮らしながら自宅で店を開ける。何より母親の後押しもあったことから、そば職人の道を決意。

しかし、お店の完成を見ることなく、美子さんは還らぬ人に…。

 それでも母が応援してくれたことを糧に2年間修業し、念願のそば職人になった。 武藤さん: 「自分の打ったそばを目の前で食べてくれて、おいしいって言ってくれる顔は見たかったですけどね」

 そんな母への思いが、店でも現れていた。 武藤さん: 「このお箸にハンコが推してあるんですけど、むかし母親が、小学校の時かばんとかに名前を書いてもらっていたんですけど、その時いつもカタカナで『ムト』と書いてくれていたんですね」

お母さんもお店に一緒にいるよ、という思いを込め、母との思い出を箸袋にデザイン。 スローペースでもマイペースで。何より母への感謝を込めて、今日も武藤さんはおいしい蕎麦を打っている。

武藤さん: 「自分は1人でやってるけど、1人じゃないという思いでやれているので、この店をなんとか切り盛りしてがんばっていくことで、それが(母への)恩返しになるんじゃないかなと思ってやっているんです」

「生粉打ちそば処 武藤」はLINEの公式アカウントから予約することができます。