若くして成り上がった女には、恐ろしい裏の顔がある?生粋のお嬢様に芽生えた、初めての疑心暗鬼

若くして成り上がった女には、恐ろしい裏の顔がある?生粋のお嬢様に芽生えた、初めての疑心暗鬼

深窓の令嬢が、超リッチな男と結婚。

それは社会の上澄みと呼ばれる彼らの、ありふれた結婚物語。

有馬紅子(ありま・べにこ)もそんな物語の一人として17年間幸せに暮らしてきた。

しかし突然、夫・貴秋が若い女と駆け落ち同然で家を出てしまい、紅子のプライドは消えかける。だが生粋のお嬢様は、そんなことで負けたりしない。

17歳の一人息子・秋雅に反対されながらも離婚を決意し、就職先を探して新たな一歩を踏み出すが、そこにはさまざまな女たちの罠と思惑が張り巡らされていた。

「社会経験、ほぼゼロ」。有閑マダムのレールから強制的に外された女・有馬紅子のどん底からの這い上がり人生に迫る。



「紅子さま!」

通用口から外に出た、22時過ぎ。

名前を呼ばれて振り返ると、もう5、6時間前に店を出たはずの涼子さんがそこにいて、手を振りながら近づいてきた。

紅子さまと呼ばれた私に、通り過ぎていく従業員の方々の視線がチラチラと刺さる。それが気恥ずかしくなった私をよそに、涼子さんはもう一度、紅子さまお疲れ様です、と言って私の隣に並んだ。

「田所さん、紅子さまはやめて頂きたいのですが」

「紅子さまこそやめてください、田所さん、なんて。今まで通り涼子、と呼んでくだされば」

涼子さんが、シュンとした顔になった様子は可愛らしいけれど、この線引きはさせてもらいたい。

「己の立場を知り、わきまえることが、今の私には必要なことだと思っています。田所さんは、私にとって上司も同然の方ですから」

「…紅子さま…」

涼子さんは納得のいかない様子だったけれど、私は帰りを急ぐという名目で彼女を促し、歩き出す。私は右側に並び、私よりほんの少しだけ背の高い彼女の横顔を見上げると、ふと、右目下のホクロが目に入る。

『有馬さんって誰かに似てるな、とずっと思ってましたけど…田所さんと似てたんだ』

昼間の加藤さんの言葉を思い出した。

「私達、同じところにホクロがあったんですね。ずっと気がつかなかったわ」

少し気まずくなっていた空気を壊したくて、私は自分の右目下のホクロを、トントン、と指差しながら、最後は茶化すような口調で言った。すると。

―え?

涼子さんは、本当に、本当に嬉しそうに、微笑んで…。

「やっと…気がついて下さった」

そう、言った。

やっと、という言葉に妙な重みを感じて戸惑ったけれど、先程から気になっていたもう一つの疑問を彼女にぶつける。

「田所さん、小河さんとお話された後、もう、何時間も前にお帰りになったはずですよね?もしかして、私を待っていて下さったんですか?」

すると涼子さんは、スッと真顔になり、私の質問には答えずに言った。

「小河さんには気をつけてください、と言いたくて。彼女は自分の出世のことしか考えていませんし、その野心に紅子さまを利用するつもりです。出世のためなら、手段を選ばない人として有名なんですから」


厳しい指導には思惑が?信頼する上司の信じられない情報に紅子は…

「小河さんが…私を利用する?」

言葉の意味が分からずオウム返しのように聞き返した私に、涼子さんは神妙な顔をして頷くと、続けた。

「小河さんは、うちのブランドで日本一売り上げのある店の店長で、顧客の中でも大口のお得意様の、個人的な担当も任されています。

彼女の若さで…確か、今32歳のはずですが、その人事は異例中の異例で、決定された時は本社もざわつきました」

「…小河さんほどお仕事ができる方なら、そういうこともあり得るのではないでしょうか?」

まだ1週間程しかご一緒していない私でも、彼女の敏腕さは理解できる。思ったままのことを口にした私に、涼子さんは呆れたような憐れむような顔で言った。

「紅子さまは、世間の汚さを知らない方ですから。どんなに優秀でも能力だけでは出世できないのが、日本社会というものなんですよ。外資とは言え、古い体制の残るうちのような企業では特にそうですし、女性なら尚更です。

しかも彼女の場合は…大口顧客に商品を買わせ続けるのに女を使っていたともっぱらの噂で、店にその奥様が怒鳴り込んできたこともあるとか。それに本社のお偉方とも汚い関係を持っているらしい、という曰く付きの女なんです」

おんな、と言い放った涼子さんの声の響きが、酷くイヤな感じに聞こえた。それに、私が知っている小河さんからは想像がつかない話だ。

「田所さんは私を心配して言ってくださっているのでしょうが、私は噂話は信じません。小河さんは、頼りになる私の上司です。それにそもそも、今の私が彼女の出世に利用できるほどの存在だとは思えませんし…」

「紅子さまはあの頃の…少女の頃のまま、なんですね。幸せなほどに、何もご存じない」

言葉を続けようとした私を遮り、涼子さんはそう言うと、歩く足を止めた。つられた私も止まり、私たちは向き合った。

私は、涼子さんの言葉を待った。

涼子さんは少し言い淀む様子を見せながらも、本当はお伝えしたくなかったんですけど、と前置きした後で、言いにくそうに口を開いた。



「小河さんは去年まで、月城家本家の担当でした。つまり紅子さまのお義父さま、月城貞秋さまと、繋がっている。その関係の程は知りませんが、そんな小河さんの元に、紅子さまが配属されたのは偶然だと思いますか?」


1人だちしたつもりが、全てを見張られていた?初めて疑惑を覚えた紅子は…?


「有馬さん?私に何か言いたいことでも?」

翌朝、小河さんを前に、無意識に彼女を見つめてしまっていた自分に気がついた。私は不躾な視線を謝り、急いで制服のジャケットに袖を通した。

ロッカーの小さな鏡で身だしなみを整えながら、ぼんやりと昨日の涼子さんの言葉を思い出す。

「紅子さまは月城家の力を借りず、自分の力で独立の道を歩み始めたと思われていますが、果たして本当にそうでしょうか?」

自分では、今は無き実父の友人を頼って就職したつもりだった。同じ縁故とは言え、月城家の力を借りるのは嫌だったから。でも、もしも裏で義父の思惑が動いているとするならば。

たしかに、月城本家は、このブランドの大顧客ではある。本家を訪ねている担当者を私は知らなかったが、それがもし本当に小河さんだったとしたなら。

涼子さんは、こうも言った。

「紅子さまの行動は、きっとお義父に筒抜けでしょう。その見返りに小河さんが何をもらうか…どう指示されて行動しているか想像できますか?そう考えてみると…小河さんが紅子さんに厳しくするのはなぜでしょうか」

私は1人で生きていくために、あの家を出たはずなのに。結局私は、月城家の…あの義父様の手の上にいる、ということを涼子さんは言いたいのだろうか。

「私が調べてみますから、その結果が出るまで小河さんのことをあまり信用しないでください。良いですね、紅子さま」

涼子さんは、そう言うと、私の反論を許さず、立ち去って行ったのだけれど。

そう言えば涼子さんは「紅子さま」と呼ぶのをやめてくれなかったな、とぼんやりと思った時、小河さんの声がして、朝の全体ミーティングが始まった。

「有馬さんは、必ず入り口付近に意識して立つようにしてくださいね。今日も売り上げが無いままでは困りますよ」

昨日までと変わないはずの指示に、はい、と返事をする。

けれどそれが、昨日の涼子さんの言葉の後では、何か意図を含んでいるように聞こえてしまうのが自分でも不思議だった。打ち消そうとしても、抱えたモヤモヤはそう簡単に消えない。

―この会社に入って、誰より小河さんを信頼していた…けれど。

これまでの人生で、誰かの言葉で誰かのことを疑い、不安になったことなどなかった。けれど、貴秋さんが家を出て行って以来、初めての感情ばかりが吹き出てしまう。

―負の感情に、振り回されてはいけない。不確かな憶測に振り回されるなど、はしたない。心強くありなさい、紅子。

そう自分に言い聞かせた時、バッグヤードで電話がなった。この着信音は本社からのものだと、教えられている。

小河さんがミーティングを中断させ、バックヤードに引っ込む。着信音が途切れ、しばらく小河さんの声が聞こえたあと、戻ってきた小河さんは、少し慌てているように見えた。そして…


小河店長の思いもよらぬ指示と行動に紅子が立ちすくむ!

「私はこれからすぐに、外出しなければならなくなりました。私が戻るまで店内のチーフは加藤さんにお任せします。皆さんは加藤さんの指示に従ってください」

どうやら社外でトラブルが発生して、小河さんはその対処に回るらしい。私が、皆と同じようにハイと返事をすると、小河さんが私を見た。

「有馬さんには、私と一緒に来てもらいます」

不意をつかれたようなその言葉。

わけが分からず固まっていると小河さんに急かされ、私はバッグも持たぬまま彼女の後を追って店を出た。

エレベーターを待つ間、隣に並ぶ私を見て、小河さんが…ニヤリという音がぴったりの笑顔で言った。


「あなたが…役に立つ時が来ましたよ」



そう言った彼女は、なぜだか少し興奮しているようにも見えた。その笑みの意味を私は思いもよらぬ形で知ることになる。


執事・西条実の心配:署名入りの離婚届が届いたのです


「西条は貴秋に甘すぎる」

貞秋さまが、常々私におっしゃっていた言葉ですが、私にもその自覚がございます。

幼き頃からお仕えしたおぼっちゃまは可愛く、父性というにはおこがましいのですが、貴秋おぼっちゃまのためなら命も捨てられる自負がございます。

けれど、今回ばかりは少々、憤りを感じずにはおられません。

「離婚はしない」とおっしゃっていたはずの貴秋さまから、署名入りの離婚届が届いたのです。


▶NEXT:8月26日 日曜更新予定
離婚届の思わぬ真意とは?そして紅子が直面するトラブルとは?



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