「私は…夫でない男性に恋をいたしました」夫婦の危機を迎えた2組の男女は、何を思い、何を選ぶ?

「私は…夫でない男性に恋をいたしました」夫婦の危機を迎えた2組の男女は、何を思い、何を選ぶ?

仕事も恋愛も、自己実現も、自由に叶えられる時代。
それでも私たちは悩みの中にいる。

東京・銀座の片隅に、そんな迷える東京男女たちが
夜な夜な訪れるバーがある。

オーナーをつとめる年齢不詳の謎の美女、留美子は、記入済みの離婚届を持って夫が失踪した女・紗綾や、結婚にたどり着けないIT社長・壮太の、ヒモ男を切れない女・梓、そして“職業=美人”をクビになった女・美桜の悩みを厚かましく大胆な方法で解決へ導くのだった。

さて、今日のお客さまは–



時間を巻き戻したい男


「あと、マイルドブレンド。テイスティングで」

神谷新之助にとって、銀座『トリバコーヒー』で過ごすひとときは貴重な時間だ。

東京・銀座は午後1時。

品格の漂う店内。豆の販売をメインにしながら、1杯のコーヒーを「テイスティング」と称して提供するところに銀座らしい粋を感じる。

–どういうビジネスモデルなんだろう…

コンサルタントという職業柄、ついこういった無粋な方向に頭が働いてしまう。

新之助は今年で33歳。前職である広告代理店に在職中にUSCPA(米国公認会計士)の資格を取得し、いまの会社に移ってもうすぐ4年になる。

人生、万事順調に進んでいる。…ある1点を除いては。

コーヒーの香りを味わおうと目を閉じた瞬間、

「空也最中!わたしの空也もなかぁぁぁ…」

やたらと派手な中年女の悲鳴が、店内に響き渡った。

「これだけが楽しみで辛い仕事を乗り越えてきたのよ。どっかに落ちてないの?1個くらい」

ずいぶん無茶を言うが、何について悲鳴を上げているのかはわかった。

銀座の老舗菓子店『空也』の最中。予約必須で10個入りからしか手に入らないが、なぜかこの『トリバコーヒー』でのみ1個ずつ購入できるのだ。

–さっき買ったのがラスト1個だったんだよなぁ

女は未だに「もなかもなか」と悲鳴を上げている。新之助はつい気の毒になり声をかけた。「あの、よかったらどうぞ」

女がものすごい勢いで振り返る。その顔を見た途端、悲鳴を上げたのは新之助の方だった。

「ひっ!浦川さん…留美子さんですか!?」

それは忘れもしない、広告代理店時代に「使えない若造ね」とさんざん罵られ泣かされたキャスティング会社の女社長だった。

「あら、あなた」

女は新之助を見つめると、恐ろしい速さで手元の最中を奪い取る。

「ありがとう。少しは使える若造になったのね」
「恐縮です」条件反射的に背筋がピンと伸びる。

「ずいぶん羽振りよさそうじゃない。そういえば奥さまはお元気?思い出すわねえ、あなたの大恋愛劇」


「いや、あの…それがですね…」


留美子に再会した新之助の悩みとは?

「はあぁ…なんかすごいっすね」

神谷新之助は「銀座Timbuktu」の店内を見回すと間抜けな声を上げた。

真紅のビロード張りのソファ。立方体に近いTVとカラオケセット。クリスタルの灰皿に、なぜかルーレット式おみくじ。

「ようこそ昭和94年へ」

留美子がオーナーだというその店は、もうすぐ平成も終わろうというのにレトロな空気に満ちていた。

「で?」新之助のすぐ横で、留美子は長い脚を組む。

「聞かせてもらいましょうか。あなたの言う“時間を巻き戻したい”が一体どういう意味なのか」



妻と、結婚しなければよかった。


時間を巻き戻したい。後悔しているんです。妻…まどかと、結婚したことを。

彼女とは、僕が29歳のときに出会いました。

USCPAを取って前職を辞める決意がついた頃、長めの有給を取ってウズベキスタンに行きました。

サマルカンドにある礼拝堂なんですが、その天井がもう…心を丸ごと持っていかれるほど美しくて。1時間近くボーッと眺めていて、ふと顔を下ろした時に目の前にいたのが、まどかでした。

夢をみているのかと思いました。礼拝堂の荘厳な雰囲気に飲まれていたのもあるでしょう。

まどかは…そっくりだったんです。僕が学生の頃、おかしくなるほど好きだった女に。

子鹿っぽい雰囲気っていうんですかね。目が大きくて、活発そうなボブヘアにパンツがよく似合う感じの。

彼女は僕より5歳年上で、仕事はフリーの翻訳者です。

…すいません。留美子さんには前に話しましたね。

はい。はい。その節は本当に申し訳ない。確かに止められましたね「気の迷いじゃないの?」って。

でもあのとき僕はそれで余計に盛り上がってしまい…出会って3ヶ月もしないうちに婚約して、結婚しました。

はい。はい。おっしゃる通りです、4年前の自分に会って引っ叩いてやりたい気分です「目を覚ませ」って。

結婚して4年になりますが、僕とまどかは何ていうか…人生で大切にしているものがまるで違うんです。

僕にとってそれはもちろん仕事です。激務ですが、やりがいがあるし収入も高い。

住まいは赤坂です。ええ、利便性重視で。もちろん賃貸です。いずれは海外で働きたいという気持ちもあって、いま家を購入するなんてリスクでしかない。

でも妻は違います。翻訳の仕事でほとんど家にいるからか、木や土の香りがするような一軒家に住みたいとずっと主張しています。収入についても「困らない程度にあればいい」という考え方で…。

それに子どものことも。

妻の年齢もあって「どうしても子どもが欲しい」というプレッシャーがすごいんですよ。でも僕はまだ必要ないと思う、これから色々と勝負をかけようというタイミングだし、夫婦2人の身軽な生活だって悪くない。

そんなすれ違いが重なっていた頃に、偶然、出会ってしまったんです。

僕が学生の頃におかしくなるほど好きだった女…

峯岸文子(みねぎしあやこ)に。


昔の恋人と再会した新之助。不倫の恋の相談に訪れたのか、それとも…?

「どうぞ。ウイスキーのソーダ割りです」

留美子の後ろに影のように控えていたバーテンダーが、音もなくお代わりのグラスを差し出す。

「少し薄めにおつくりしました。翌朝のお仕事に障りませんように」

見抜かれたか。新之助は、実はほとんど下戸に近い。こういうのが“使える若造”というのだろう。

赤くなった顔をチェイサーで冷ましながら話を続ける。



「彼女と再会したのは、USCPAの試験対策で通っていた予備校のOB会でした。文子は僕のちょうど一年前に卒業したようでした」

もっとも、再会した時に彼女は峯岸文子から「山口文子」になっていたが。

新之助と文子は大学の同級生だ。新設された学科の一期生で、100人程度の学科だったためか毎日のように顔を合わせた。

文子はとにかく目立つ女だった。小さな顔に抜群のスタイル、気が強く明るい性格。学科の男たちはみな彼女を目で追っていたものだ。

「はじめは全く相手にされなかったんです。彼女がYESって言ってくれた時はこのまま死んでもいいと思いました」

今でも思い出す。新之助が住んでいた神泉の小さなアパート。土曜の2限が終わると文子がやってくる。なんとなくDVDを観たりして、やがてどちらからともなく言う。

腹へったな。そうね、お腹すいた。何かつくってよ。えーしょうがないなあ。やったぜ。ちょっと新ちゃん、手はなしてよ。やだ、はなさない。もうホントに子どもみたい…

忘れられない。忘れることなんてできやしない。どうしようもなく好きだった人の記憶。

「でも…振られちゃったんですよね。就職してすぐに」



「10年ぶりに再会した文子は相変わらず、いやあの時よりもずっと綺麗になっていました」

さらに驚くことに彼女はいま戦略コンサルで働いているのだという。

同じ業界だし仲良くしよう、と勢いで約束をとりつけ、銀座の『黒猫夜』で食事をした。

文子は派手な見かけによらず、昔から酒が弱い。紹興酒1杯で真っ赤になっているのが可愛かった。

「あの時はショックだったなあ」「やだ、新ちゃんがこう言ったから」「いやいやそっちが間違えてるよ」…

どれだけ語っても話が尽きることがない。そのまま2軒目、3軒目と続き、気づけば朝になっていた。

学生じゃあるまいしバカみたいだね。お互いに苦笑しながら顔を見合わせ、その日は別れた。



「文子のご主人…山口さんは前職の先輩で、いまは自営業だそうで。それより驚いたのは、彼女が逗子の一軒家に住んでいるということです」

新之助とまったく同じ4年前、29歳の時に結婚したというその男は文子より10歳も年上だという。彼の希望で逗子に古民家を土地ごと購入しリノベーションしたらしい。

「戦略コンサルなんて僕より激務でしょうに、逗子から1時間以上かけて通わせるなんて。それに彼女は逗子って感じじゃないんです。都心のタワーマンションが似合うタイプの女性で…あれ、留美子さん聞いてます?」

隣を見ると、留美子はうつらうつら舟を漕いでいた。人が真面目に悩みを明かしているというのになんという女だろう。

「あ?はいはい、ともかくその元カノと再会して恋心が燃え上がっちゃったわけね」

「そうです…いや違います。そんな単純な話じゃないんですよ」

新之助が留美子に掴みかかろうとした時、バーの朱色の扉が静かに開いた。

「ごめんなさいね遅くなって」

「留美子さん。こちら妻の、まどかです」


夫婦の危機を告白した直後に、なぜ当事者の妻が現れる…?

私は、夫でない男性に恋をいたしました。


神谷新之助の妻・まどかは、美しい女性だった。

首の長さが際立つボブヘア。白いシャツにコットンパンツ、チェスターコートというシンプルな出で立ちが地味に見えないのはスタイルが良いからだろう。透明感のある肌はとても38歳には見えない。

「はじめまして。神谷の妻のまどかです」

奇妙な光景だった。

昔の恋人と再会し盛り上がっている。妻と上手くいっていない、という話をさんざんした後に登場する、当事者の妻。

まどかは一直線にカウンターに向かってくるとタカハシを見つめて言った。「ワイルドターキー、ダブルで」

それを一息で飲み干すと向き直り、今度はじっと夫の目を見る。

「どこまで話した?」
「まあ、だいたいは」

「じゃあ私のパートだけ話すわね」まどかはよく通る澄んだ声で言った。

「私たち夫婦は結婚4年になりますが、価値観というものがまるで違います。そしてそんな折に…」


–私は、夫でない男性に恋をいたしました。


翻訳者という職業柄だろうか。妙にきっちりとした日本語が、その内容の奇妙さを際立たせる。

「その方と出会ったのは、2ヶ月ほど前。夫には内緒で不動産の物件探しをしていた時のことでした。

すでにお聞きかと思いますが、私はとにかく今の高層マンション住まいが性に合わず。…あ、同じのください。ワイルドターキーのダブル」

まどかはそれもまた一息で飲み干した。かなり酒が強いようだ。

「一軒家リノベーションのカタログに、まさに私の理想を形にしたような家があったんです。聞けば、オーナーは自営業の方で、時間が合えば中を見せてくださるとか。その家は逗子にありました」

タカハシには話の大筋が見えてきた。

この女性はロマンチストな夫とはまるで真逆だ。感情を排した理路整然とした話し方をする。

「詳細は省きます。私はその家でオーナーである山口修司さんという40代の男性に出会い、家の話などをしていくうちにその方に惹かれていきました。

彼は…夫の恋人である山口文子さんの、ご主人です」



パチパチパチパチパチパチパチ。


静まり返った店内に、突如拍手の音が響き渡った。

「いやー面白い!途中までありがちな話すぎて眠くなったけど、奥さんの登場で一気に展開が変わったわね」

拍手の主は、留美子だった。

「で?どうしたいのよ」

留美子は夫婦の顔を交互に見た。
夫は下を向いて黙り、妻は前を向いて黙っている。

「もう答えは決まってるんでしょ。ここに来る人はみんなそう、ただ背中を押して欲しいの」

「……」

「じゃあ私が言うわね。あなた方は…」

「交換します」沈黙を破ったのは妻のまどかだった。

「まずは期間を決めて。私が山口家に行き、文子さんがうちに来る。夫婦の生活を…交換してみます」


▶︎NEXT 1月22日火曜更新予定
次週、いよいよ最終回。まさかの夫婦交換劇に、それぞれの男女が出した結論とは?



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