危機的同棲カップルに必要な、たったひとつのこと。病床の母が込めた願いに未熟な2人が気付くとき

危機的同棲カップルに必要な、たったひとつのこと。病床の母が込めた願いに未熟な2人が気付くとき

東京で1人暮らしを始める際、家賃の高さに目を疑う人も多いのではないだろうか?

特に23区の人気エリアでは、狭い1Kでも10万円を超えることはザラ。まだ収入の低い20代の若者たちの中には、“実家暮らし”を選択する者も少なくない。

家賃がかからない分可処分所得が多くなり、その分自分の好きなことにお金を使えることは、大きなメリットだ。

大手総合商社で働く一ノ瀬遥(28)もそのうちの一人。

仕事は完璧、また収入の大半をファッションや美容に投資できる彼女はいつも隙なく美しく、皆の憧れの的。最近は新しい彼氏もでき、全てが順風満帆…のはずだったが!?

ウキウキの同棲生活がスタートするも、すれ違う遥と圭介。お互い他の異性からの誘惑に負けそうになるも、遥の母が倒れ事態は一変する。

遥から頼まれ家に帰った圭介は、遥が大切に取っていた「あるもの」を発見し…?



圭介が見つけたもの


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遥へ

大石さんと暮らし始めて数ヵ月が経ちましたが、どうですか?

先日連絡をくれた時、あなたは毎日の暮らしに奔走しているようで、母としては実家暮らしが長くのんびりしていたあなたを心配したり、まあ大丈夫かな、と思ってみたりしています。

まだ結婚したわけではないけれど、それでもこの人と一緒になりたい、と思うのならば、老婆心ながら少しだけ、お話させてください。

思い切り、自分の言いたいことを伝えましょう。

そして、大石さんにも言いたいことを伝えてもらうように、話してみてはどうでしょう。

相手のことを思いやろうとすると、相手の気持ちを大事にしようとしますよね。でも一緒に暮らすとは、生活することそのものです。まず自分のやることはきちんとやろうと、毎日頑張ってください。仕事も、家のこともです。でも出来ないなら、それを素直に言うのが良いと思います。

私は専業主婦なので、お父さんが稼いでいるから、と気後れして何も言えなかった時期が長くありました。

一度だけ、あなたが4歳、雄太が生まれたばかりのとき、お父さんに怒られたことがあります。

俺をもっと信用しろ、と。

それを言われた時はよく意味がわからなかったけど、話し合っていくうちに、お父さんは「夫婦なのだからどちらかがどちらかに従うのではなく、話し合いたい」という気持ちでそう言ってくれたのだとわかりました。

意外でしょう?カタブツのお父さんがそんなこと言うなんて。

話し合った私たち夫婦の答えは、家のことに手は抜かない、でも苦しくなるくらいならやらない、でした。

あなたにも楽しく過ごして欲しくて、結果世話を焼き過ぎてしまったかもしれません。そのぶん今苦労をかけていたら、ごめんなさいね。

でもあなたたちの生活も、きっとなんとかなります。なんとかなる秘訣は、ふたりで話し合うことです。理想を守ることではありません。


遥の母の手紙に、圭介の気持ちは…

少しだけ…と言ったのに、長くなってしまいました。お許しください。

この間連絡をくれたビーフシチューとマリネサラダ、大石さん喜んでくれるといいね。

それから、あなたが好きなもののレシピをいくつかメモに書いたので、一緒に送ります。大石さんも気に入ってくれるといいんだけど。スマホだと、見返す時にいちいち手を拭かないといけなくて、案外不便よね。

よくわからなかったら、いつでも電話でも、帰って来てでも聞いて下さい。

お父さんは遥が家を出たあと、更にぼんやりしています。今、もっと家事をやってくれるように、密かに企んでいるところ。

では、体に気を付けてね。

母より
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その手紙を読んだ圭介は、目頭が熱くなるのを感じ、目を拭った。袖口から、先ほどまで恵美理と一緒に作っていたハンバーグの香りがし、自分はなんとお気楽だったのかと嫌気が差した。

圭介は手紙とメモをそっと元通りに本に挟み込み、その本と着替えを持ち、タクシーに乗り込む。

―俺の両親も、こんな風に乗り越えてきたのかもしれない…。
―遥は歩み寄ろうとしてくれていた。それなのに俺と来たら…

圭介は、「頑張っているのをアピールされているみたいで嫌」と言ってしまったあの夜のことを思い出していた。

―少し落ち着いたら、遥に謝ろう。それから話し合おう。まずは、どうか無事で…。


遥の病院での様子


遥が病院について間もなく、弟の雄太も救急病棟の待合に駆け込んできた。

「父さん、姉ちゃん!母さんは?」

遥の「まだ何も分からない」という言葉に、弟は「どうしよう」と慌てる。

「どうしようって…そんな縁起でもないこと言わないでくれよ…」

遥の父も動揺し、弱気になっている。

「ちょっと」

遥の口がひとりでに開いた。

「まだ何の病気です、と言われたわけでもないのに、そんな悲観的なことばかり考えないで。今は信じて待つしかないでしょ」

一ノ瀬家の男2人は頼りなく頷く。遥の父は顔を上げ、キリリと張りつめた遥の横顔を眺めた。

間もなく、看護師が処置室から出て来た。ご家族の方ですね、と声をかけ、雄太が持って来たおくすり手帳などを渡す。

そしてしばらく待った後、先ほどの看護師が現れた。

「一ノ瀬さん、中へどうぞ」


遥の母の容体は?そして、遥と圭介は元に戻れるのか?

圭介が病院で見た、彼女の意外な姿


遥から病院内の売店前で待っていると言われ、圭介はタクシーを降り足早に向かう。

「遥・・・!」

病院の暗い廊下をところどころ照らす蛍光灯。その明かりに照らされた、今朝ろくに会話もせずに別れた彼女の意外な表情を見て、圭介はどきりとした。

出会った頃のように、遥は凜としていたのだ。

状況が状況だけに、髪は乱れ表情も曇っている。今日は出会った頃のように取り繕っていないはずなのに、最近の彼女とは違いとても頼もしく見えた。



「圭介、荷物まとめてくれてありがとう」
「…それで、お母さんの具合は」

圭介は遥に荷物を渡しながら、恐る恐る遥に尋ねた。

「心筋炎、っていうんだって。大手術とかにはならなくて、入院して経過をみるそうよ。今お母さんは寝てるわ」
「そうか…よかった、大事に至らなくて」

圭介は胸を撫でおろす。

「ありがとう。大騒ぎして、本まで持って来てもらっちゃって。ごめんね。」
「ううん、あの本、お守りだったんでしょ」

遥がこくりと頷き、2人の間に僅かな沈黙が流れた。

「じゃあ…私、今日は病院に残るから、明日戻るね。ありがとう。おやすみ」

遥が踵を返し、病室の方へ向かおうとするのを、圭介は「待って」と呼び止める。

「その……ごめん。帰ったら、ゆっくり時間つくろう」

遥は、もう一度、こくりと頷く。

「これ、読んだの?」

遥は笑いながら、あの手紙の挟まった料理の本を指す。圭介も微笑み返し、静かに頷いた。

「じゃ、おやすみ」

そして圭介が恵比寿の家に帰ろうと、病院の夜間入口を出た途端、背中をトン、と叩かれるのを感じた。振り返ると、遥の父だった。

圭介がぺこりと頭を下げると、遥の父はややあってこう言う。

「あんなに実家が好きだった娘がね、好きな人と同棲したいと言い出して…ショックだったんだけど、今日、凄く納得がいったんだ」

遥の父の急な独白に圭介は戸惑いながらも、続きに耳を傾ける。

「そう、お礼を言いたいんだ。今日、うろたえていたらしっかりしろと遥に叱咤されてね。妻に守られてのんびり生きてきた娘が、いつの間にか自分の足で立って、生活もして、私を励ますようなことも言えてね。しっかりしたのはきっと、大石くんとの生活があるからなんだと思ったよ」

じゃあね、ありがとう、と遥の父は踵を返す。

遠ざかる背中を見ながら、ああいう父親になりたいと、圭介は思い始めていた。


遥と圭介は、どんな未来を選ぶのか?

圭介の誕生日


「うん、うん。もうばっちりよ。一回内緒で試作もしたから。クロスバイクに出かけて、夕方帰ってくるっていうから、今から仕上げようと思って。じゃあね。無理しないでね」

遥は母親との電話を切る。先日退院した母は経過も良く、父が慣れない減塩の食事を作ってくれるのを側で見るのがとにかく面白い、と笑っていた。

今日は圭介の誕生日だ。遥は予定通り、圭介のためにビーフシチューとマリネサラダを仕込み、仕上げに取り掛かる前に実家の母に電話をかけていた。

母が退院したあと、圭介が謝ってきた。遥の頑張りを素直に認めず、批判ばかりで非協力的な姿勢を詫びたのだった。

遥にしてみれば、圭介の行動は自分の鏡映しのように感じることもあった。

家族の誰かに甘え、寄りかかっていた自分。圭介の前で頑張り過ぎていた自分は、頑張っていることを認めてほしいと、体じゅうでアピールしていたのだと思う。

認められたいための行動ではなく、ふたりの生活のための行動。互いにそれが出来れば、力の抜きどころも、感謝の仕方も、感情のやりどころも見つけられるのかもしれない。

―今日は、頑張る日。

よし、ともう一度腕まくりをし、シチューの煮込み具合を確認する。湯気の向こうには、少しだけ散らかった部屋。でももうそれを見ても、溜息は出ない。

それでいい、という話になった。

掃除は平日の1日と土日のどちらか、洗濯は困らない程度に1日おき。朝食は手軽なものを出来るだけ一緒に、夕食は平日はそれぞれ、土日はどちらか一緒に過ごす。自分で出したものは、自分でしまう。疲れてきたと思ったら、辛くなる前に声を上げること。

これが、2人ですり合わせたルールだった。

実家に暮らしていると、完璧に整った家は「当たり前」のように感じる。でも、2人で暮らしてそれがいかに大変なことかと、遥も圭介も身に沁みてわかった。

大変なのは、完璧を目指し過ぎるからだ。2人で働きながら生きていく以上、どこが2人の目指す姿なのかを話し合うこと、つまり仕事も家事も完璧にすることではなく、その落としどころを時間をかけて見つけていくことが、遥と圭介には必要なことだった。

母からの手紙の通りだ。

「ただいま」

圭介が帰ってくる。背負っていたリュックから、スーパーの袋を取り出した。

「あれ?買い物してきたの?」

遥が尋ねると、圭介は恥ずかしそうに袋から食品を取り出し、冷蔵庫にしまう。圭介が買ってきたのはハンバーグの材料のようだ。そして、こう言った。

「いつも遥に作ってもらってるから、たまには俺が作ろうと思って…」

「わ、嬉しい!でも、今日はもう準備したんだ〜。楽しみに待ってて。明日、作ってもらおうっと」

夕日の差し込む恵比寿のマンション。2人暮らしも、徐々に慣れてきた。

―これからも喧嘩をするだろうけれど、対等に2人で生きていくからこその衝突なのだと思えば怖くない。

シャワーを浴び終わった圭介に「座ってて」と促し、遥は久しぶりに手をかけた料理をテーブルに並べた。

うまそう、と圭介が感嘆の声を上げる。

「圭介、誕生日おめでとう。これからもよろしくね」

幸せの湯気の向こうで、圭介が微笑んでいる。ありがとう、と言う彼が、ポケットから取り出したのは―




「るりちゃん、さあ、行こう。明日は中目黒のじいじとばあばと遊べるからね」

朝7時半。遥は3歳になる娘・瑠璃子にヘルメットをし、抱き上げて自転車の前に乗せる。

「かえりはパパ?」

瑠璃子の質問に、遥は保育園まで自転車を漕ぎながら「そうだよ」と答える。水曜日の今日は、フレックスタイム制を使った圭介が娘を迎えに行き、夕食を作ってくれる日だ。いつもは風のように退社する遥も、この日だけは少しだけ長く集中して仕事に取り組める。

―今日は柴田さんから頼まれている作業をやって…。帰る前に進捗を共有しておこう。

遥は結婚を決めたあと、柴田さんを何度かランチに誘った。お互いの仕事を共有しやすくするためだ。「最近、頑張り過ぎなくなったわね」という柴田さんの一言で、あれこれ見透かされていたのだと顔から火が出そうになったのを覚えている。

夫婦共に慌ただしい商社勤務で共働きをしながら子育てをするのは、かなりエネルギーのいることだと、遥は気付いている。それでも何か歪みができそうになるたび話し合える夫婦間の雰囲気が、なんとか乗り切れているコツだった。

恵まれたことだとは思うが、圭介の実家も遥の実家も都内にあるため、孫かわいさにピンチの時はそれぞれ気軽に手助けをしてくれる。

守る家庭も、思いやる実家も、大事にしたい仕事もある。煩わしいことも多いが、実家に長くいたからこそ、家庭の在り方や、夫婦の在り方について大人の目線で見ることもできた、と今は思える。遥は、5年前の自分には想像できない今の自分を楽しんでいた。

「よし、急ぐよ!」

電動アシストの自転車のペダルを漕ぐ足にぐっと力を入れ、坂道を上る。きゃあ、と歓声をあげる娘。

―この子が実家を出たいと言うまで、何があっても楽しく暮らそう。

娘の柔らかな髪の毛が、初夏の爽やかな風になびく。たまらなく愛おしい景色を守るため、遥はまた足に力を込めた。

Fin.



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