「キスされても、何も感じない…」優しい彼に抱かれながら、違う男を想う女の後悔

「キスされても、何も感じない…」優しい彼に抱かれながら、違う男を想う女の後悔

広告代理店で働く橋本杏(24歳)は、同期の沢口敦史(24歳)に淡い恋心を抱いている。

しかし敦史は杏の学生時代からの親友・優香と付き合ってしまう。

失意のどん底で、健一の告白を受け入れてしまう杏。

ある日優香が、4人で蓼科の別荘に出かけようと提案をする。



「何してるの?」

突如聞こえた低い声は、私を反射的に動かした。

私はまるで何かに打たれたように飛び上がり、肩にかけられた敦史のシャツをさっと取り払う。そして逃げるように敦史のそばから離れた。

「ごめん、もう大丈夫」

シャツを手渡したとき、一瞬見えた敦史の顔は歪んでいた。

しかしそれがただの驚きなのか戸惑いなのか、それとも…もしかして傷ついているのか。それを考える暇もなく再び優香の声がした。

「…敦史が優しいのはわかるけど、杏は健一さんの彼女なんだよ?」

たしなめるような口調で敦史に近づき、そして当然のごとく腕を絡める。

健一の彼女。事実ではある。しかし彼女のセリフは、私の胸をギュッと掴み息苦しくさせた。

居た堪れず、私はその場から逃げたい一心で、早口に言い訳をする。

「ごめん。私、なんだかちょっと具合が悪くて…先にシャワー浴びて、休ませてもらってもいいかな」

「やだ、大丈夫?」と反応する優香の声が聞こえたが、そのトーンにはまるで抑揚がい。心配などしていないことは明白だった。

「健一さんが戻ってきたら、部屋に行くよう伝えるわね」

しっかりと敦史の腕を掴んだまま声をかける優香に、私は返事をする気力もなく部屋へと戻ったのだった。


部屋へと戻った杏。そこに健一が入ってきて…それぞれの夜が更けていく。

何もかもを洗い流すようにシャワーを浴びたはずなのに、部屋の照明を落としてベッドに横たわると、頭に浮かぶのは、顔を歪めて私を見つめる敦史のことだった。

見慣れないログの高い天井も、ひんやりと冷たいシーツも落ち着かず、目を閉じてみてもさっぱり睡魔はやってこない。

「…杏、入るよ?」

ベッドに入り、30分が経っただろうか。部屋の入り口から声が聞こえ、キイと扉の開く音がする。

廊下の光が漏れ入り、ベッドまでの道筋を照らした。

おそらくワインセラーから戻った健一が、せっかくの高級ワインを味見だけした後で、私の様子を見にきたのだろう。

「具合はどう?ここ、夜は想像以上に冷え込むよな。風邪ひいたりしないといいけど…」

酔っているからか。健一はいつもより少し饒舌だ。

「うん…大丈夫。休めば良くなると思うから」

上体を少し起こしながらそう答えると、健一は私の髪を撫で、抱き寄せる。そしておもむろに顔を近づけた。

それは私の目に、まるでスローモーションのように映った。

敦史みたいに強引じゃなく、避けようと思えば避けられるキスだった。しかしそれをしなかったのは、“杏は健一の彼女”と言った優香の言葉が脳裏に刷り込まれていたからかもしれない。

健一とのキスは、“無”だった。何も、感じなかった。

…敦史にキスされた時は、あんなにも心を揺さぶられたのに。

しかし唇が離れた、次の瞬間。健一が覆いかぶさってこようとするのを目にして、私はとっさに叫んでしまったのだ。

「やめて!」



その声は、思うより高く、鋭く響き、静まり返った寝室の空気を切り裂いた。

力いっぱいに健一を突き飛ばし、私はベッドの逆サイドへと逃れる。健一には背中を向けていたから、彼の表情を確認することはできなかった。

「...ごめん。その…今は本当に具合が悪くて、それで…」
「いいよ、もう」

慌てて弁解を口にしてみたものの、その言葉は自分の耳にも白々しく、私が言い切るよりも先に、健一から「もう聞きたくない」と遮られてしまった。

気まずい沈黙。

ここで何も言わない、何も言えない私の態度そのものが答えで、本心で、しかし健一も私も身動き一つできず、ただ暫し呆然と時が過ぎるのを待つほかないのだった。

空白を破ったのは、健一の漏らした「はああ…」と呻くような声だった。

ため息とも叫び声とも形容できない声に、私はびくり、と肩を震わせる。けれど恐る恐る振り返った健一の表情は、いつも通り、いつだって優しい同期のそれだった。

「いいんだ。杏はここでゆっくり寝て。…俺は別の部屋に行くよ」

彼はそう呟くと、腰掛けていたベッドから力なく立ち上がり、私を見ることもなく部屋を出ていった。

健一との関係は、きっとここで終わる。

それがわかっていても、私は彼を追いかけることができなかった。


健一を拒絶してしまった杏。時を同じくして、敦史もついに優香に対し本音を口にする

敦史「どうして気づかなかったのだろう…?」


「ねぇ、健一さん。そろそろ杏の様子を見てきてあげたら?」

健一がセラーから取ってきたボトルが空になったのを見て、優香が思い出したように声をかける。

見たこともないが、見るからに高級そうなエチケットのワインの味を、しかし僕はほとんど覚えていなかった。

先ほど、杏に振り払われたときの感触が、胸の痛みが忘れられず、口の中は何を飲んでもずっと苦いままだ。

「私たちもそろそろ部屋に戻ろうと思うし。ね、敦史?」

甘えた声で腕を絡ませる優香にも、これまでにない不快を感じ、僕は無意識に彼女から一歩身を引いた。

そんな僕の様子を横目にチラと見た後で、健一は「そうだな」と立ち上がった。

「じゃあ、そろそろ部屋に戻るよ」

誰に遠慮していたのか、何に迷っていたのかは知らない。しかし優香から声をかけられた健一は、背中を押されたように足早にテラスをあとにした。

刹那、無性に引き止めたい衝動にかられる。

しかしまるでそんな僕の心のうちを見透かすように、優香が僕の腕をぐいと掴んだ。

「健一さんがそばにいてくれるなら安心よね」

どこか念を押すような言い方で、優香は僕に語りかけた。

にっこりと無邪気に微笑む、その彼女の愛らしい笑顔を見つめながら、しかし僕は急にむせ返るような、激しい後悔に襲われるのだった。

−どうして気づかなかったのだろう?

いや、僕だけじゃない。たいていの男は騙される。

まさかこの天使のような笑顔の裏に、様々な計算が、策略が潜んでいるだなんて…きっと誰も思わない。

杏の元へ向かう健一の背中が、孤独が、別荘地に漂うひんやり冷たい夜風が、僕の目を覚まさせてくれたのかもしれない。



シャワールームから戻ってきた優香は、部屋着なのか、下着なのか判別のつかないシルク素材のキャミソール姿だった。

僕は早々にベッドに入り寝たふりをしていたのだが、優香はそんな僕の演技を完璧に見抜いているようだ。

「杏、大丈夫だったかなぁ?」

ベッドサイドランプを絞りながら、寝ているかどうかの確認もせず僕に話しかける。

そして「ねぇ」と好奇に満ちた声を出すと、おもむろに僕の上に覆いかぶさった。

「ねぇ…あの二人って、もうそういう関係になってると思う?」

優香は僕を見下ろし、「うふふ」と楽しそうに笑う。おかしくて仕方がないというような、弾んだ声で。

底意地の悪い笑顔だった。

いや、実際はいつも通りの愛らしい優香なのだと思う。しかしこの時の僕に彼女は、お世辞にも美しく映らなかった。

脱力し、無表情のまま、僕は優香から顔を背ける。

そしてついに、心につかえていた本音を口にしたのだった。

「ごめん…俺、もう優香とは付き合えない」


▶NEXT:9月28日 土曜更新予定
最終回:敦史から拒絶されてしまった優香。杏と敦史の恋の行方は…?


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